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220818読んだ本

Amazonで「閲覧履歴」表示し「6個の商品:¥350から」をクリックも350円の1個しか表示されん(-ω-、)
仕方ないから表示された350円+配送料等350円を注文したけど、もし400円+配送料等無料あったら(+_+)
図書館で借りた本、違うだろ~ブログに書いちゃうぞ~が既に2箇所あるも面白いから注文したよ(^_^;)

【読んだ本】

小島吉雄(校注)『日本古典全書 新古今和歌集』(朝日新聞社,1959)所蔵本
石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂,1960)所蔵本
窪田空穂『完本新古今和歌集評釈 中巻』(東京堂出版,1964)所蔵本
久保田淳(校注)『新潮日本古典集成 新古今和歌集 上』(新潮社,1979)所蔵本
田中裕&赤瀬信吾(校注)『新日本古典文学大系11 新古今和歌集』(岩波書店,1992)所蔵本
峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集43 新古今和歌集』(小学館,1995)所蔵本
久保田淳(訳注)『新古今和歌集 上』(角川ソフィア文庫,2007初版)所蔵本
久保田淳『新古今和歌集全注釈 三』(角川学芸出版,2011)所蔵本

仁徳天皇の逸話を山口佳紀&神野志隆光(校注・訳)『新編日本古典文学全集1 古事記』(小学館,
1997)287~288頁の訳で引く(^^)

    ・・・/さて、[仁徳]天皇は、高い山に登って、四方の国を見渡して、「国の中に、
    炊煙がたたず、国中が貧窮している。そこで、今から三年の間、人民の租税と夫役を
    すべて免除せよ」とおっしゃった。こうして、宮殿は破損して、いたるところで
    雨漏りがしても、全く修理することはなかった。木の箱で、その漏る雨を受けて、
    漏らないところに移って雨を避けた。/後に、国の中を見ると、国中に炊煙が満ちて
    いた。そこで天皇は、人民が豊かになったと思って、今は租税と夫役とをお命じに
    なった。こうして、人民は繁栄して、夫役に苦しむことはなかった。それで、その
    御代をほめたたえて、聖帝の世というのである。/・・・

「・・・天皇、高き山に登りて、四方の国を見て、・・・」(同書287頁)の「高き山に登りて」に
付された頭注13(同書287頁)では〈山に登って国を見るのは王としての儀礼的行為。『万葉』二の
題詞にも「天皇、香具山に登りて望国[くにみ]したまふ時の御製歌」とある。〉、「四方[よも]
の国を見て」に付された頭注14(同書287頁)では〈天下の広がりをいう。単に四方を見るというの
でなく、天皇の治めるところ全体を指す。「四方の国を安国と平らけく知ろしめす」(「祝詞」祈年
祭)。〉と解説されている(^^)

この仁徳天皇の逸話は『日本書紀』ではどうかというと、小島憲之&直木孝次郎&西宮一民&蔵中進
&毛利正守(校注・訳)『新編日本古典文学全集3 日本書紀②』(小学館,1996)31~33頁の訳(^^)

    /四年の春二月の己未朔の甲子(六日)に群臣を詔して、「私は高台[たかどの]に
    登りて遠望したが、国の中に煙が立っていない。思うに、人民はひどく貧しくて、家に
    飯を炊く者がいないからではないか。私の聞くところでは、『古の聖王の御世では、
    人々が聖王の徳を褒めたたえる声をあげ、家々には安らぎの歌があった』という。今、
    私は人民を治めて三年になるが、称賛の声は聞えず、炊飯の煙はいよいよ疎[まば]ら
    になった。そこで、五穀が実らず、百姓が窮乏していることを知った。畿内でさえ、
    まだ十分供給されない者がいる。まして畿外の諸国では、さらに不足しているだろう」
    と仰せられた。/三月の己丑朔の己酉(二十一日)に、詔して、「今後三年の間、
    すべての課役を免除して、人民の苦しみを癒せ」と仰せられた。この日から天子の礼服
    や履物は、破れ尽さなければ決して新調なさらない。ご飯や吸物は、腐って酸っぱく
    ならなければ取り替えられなかった。自らを厳しく責めて、驕りたかぶらず、無欲で
    善政を施された。こうして、宮垣が崩れても造らず、茅屋根が壊れても葺[ふ]かれ
    なかった。風雨が隙間から入って、衣服や夜具を濡らす。星の光が壊れ目から漏れて、
    床や敷物を露わにした。この後、風雨は適度に訪れ、五穀は豊穣であった。三年の間に、
    人民は豊かになり、徳を称賛する声が満ちあふれ、炊飯の煙もまたさかんに立ちのぼる
    ようになった。/七年夏四月の辛未朔(一日)に、天皇は高台に上がって、遠望された
    ところ、煙が多く立ちのぼっていた。この日に、皇后に語って、「私はすっかり富裕に
    なった。どうして憂えることがあろうか」と仰せられた。・・・

『日本書紀』では「朕[われ]、高台[たかどの]に登りて遠く望むに、・・・」(同書31頁)や
「・・・天皇[すめらみこと]、台上[たかどののうへ]に居[ま]しまして、遠く望みたまふに、
・・・」(同書33頁)となっており、『古事記』の「天皇、高き山に登りて、四方の国を見て」云々
に比べると、土橋寛『日本古典評釈・全注釈叢書 古代歌謡全注釈 日本書紀編』(角川書店,1976)
や大久保正(全訳注)『日本書紀歌謡』(講談社学術文庫,1981)等が応神天皇の国見歌を例に指摘
していた(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-15 )のと同様に『古事記』
に比べて『日本書紀』では「国見のイメージ」が後退・希薄化しているようにも思われる(@_@;)

さて、さて、さ~て!仁徳天皇御製として『新古今和歌集』に入集している「高き屋に登りて見れば
煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」を鈴木健一『天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』(講談社
選書メチエ,2017)38頁&39~40頁や谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書,2008)172~173頁&193頁
は国見歌とするが、手元の『新古今和歌集』の各注釈書には「国見」という語すら出てない(@_@;)

『新古今和歌集』は仁徳天皇と作者表記も本当の作者は藤原時平で、「国見のイメージ」が消された
『日本書紀』に基づく詠だし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-26 )、
「夏四月」は土橋寛・前掲書が指摘してる「三月」でないこと等がまさか関係してたりして(@_@;)
タグ:古典 和歌 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

今の時代も高台に登って四方を見渡しても煙は立っていない・・・
免税してくれないかな(笑)。
by tai-yama (2022-08-18 23:32) 

ナベちはる

6個の商品のうちの5個、どこに行ってしまったか気になりますね…
by ナベちはる (2022-08-19 01:33) 

middrinn

たしかに遺体を焼く煙と間違われてしまうというので、
tai-yama様、詠まれないだけではないのかも(^_^;)
by middrinn (2022-08-19 05:16) 

middrinn

現在は「5個の商品:¥350から」となって、同じように、
ナベちはる様、350円の1個しか表示されません(^_^;)
by middrinn (2022-08-19 05:55) 

df233285

以下個人的見解ですが。仁徳天皇の頃に税金が
べらぼうに高く、民が奴隷のようであったから、
たくさんの古墳が作れたのでは無いと、私は思
います。今は無いから、昔も無いと思っちゃい
けない地下資源。
by df233285 (2022-08-19 07:50) 

middrinn

たしかに、地下資源は掘り尽くしたから今は無い、という可能性もありますね(^_^;)
by middrinn (2022-08-19 07:56) 

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