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220815読んだ本

街まで歩いて行く度に救急車が停まっている家を必ず一軒は見かける〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

土橋寛『日本古典評釈・全注釈叢書 古代歌謡全注釈 日本書紀編』(角川書店,1976)

山口佳紀&神野志隆光(校注・訳)『新編日本古典文学全集1 古事記』(小学館,1997)260~261頁
から応神天皇が国見歌を詠んだ件を同書の現代語訳で引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/ある時、[応神]天皇が、近江国に越えていらっしゃった時に、
    宇遅野[うじの]のあたりにお立ちになって、葛野[かずの]を遥かに
    見やって、歌っていうには、

    千葉の 葛野を見れば 百千足[ももちだ]足る 家庭[やには]も見ゆ 国の秀[ほ]も見ゆ

     (〈千葉の〉葛野を見ると、数多く満ち足りた村里も見える。国の高く秀でたところも
      見える)

    とお歌いになった。/・・・

この後、女性と出逢い、それも国見歌を考えるポイントらしいが、省略(^_^;) 同書261頁は「・・・
宇遅野の上に御立[みたち]して、葛野を望みて、・・・」(同頁)の「望みて」に付された頭注7
で「遥かに見やる意。国見すること。それが天皇として大事な行為であることは、仁徳天皇の国見の
話でもわかる。・・・」とするし、土橋寛『日本古典評釈・全注釈叢書 古代歌謡全注釈 古事記編』
(角川書店,1972)180頁も「宇遅野の上に御立ちまして」の語釈で〈・・・「御立ちまして」は、
高い所に登り立つこと。次の「望」の字と結んで「国見」を意味する。・・・〉と解説(^_^;) また
大久保正(全訳注)『古事記歌謡』(講談社学術文庫,1981)102~103頁は「一五 応神天皇の国見
歌(記41)」の解説で次のように記している(原文では、記76の「見れば」、紀84の「見が欲し」、
巻一・二の「国見をすれば」のそれぞれに傍線が引かれている)(^_^;)

    /独立歌謡として国見歌の定型的な表現を示している歌である。「……見れば……も見ゆ
    ……も見ゆ」というパターンは、後出の、

     おしてるや 難波の埼[さき]よ 出で立ちて わが国見れば 淡島[あはしま] 自凝島
    [おのごろしま] 檳榔[あぢまさ]の島も見ゆ さけつ島見ゆ(記53)

    にも見られる。「見れば……見ゆ」の型はさまざまに変化し、下の「見ゆ」を欠いた、

     埴生坂[はにふざか] 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群[いへむら] 妻が家の
     あたり(記76)

     大和辺に 見が欲しものは 忍海[おしぬみ]の この高城[たかき]なる 角刺
     [つぬさし]の宮(紀84)

    のごとき形ともなり、さらに『万葉集』の、

     大和には 群山[むらやま]あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば……
     (巻一・二)

    のごとくにもなるが、国土の繁栄をたたえる祝歌であることは変らず、かような類型は
    現代の民謡にも指摘できる。/

この歌は「国見歌の定型的な表現を示している歌」らしいのに、鈴木健一『天皇と和歌 国見と儀礼
の一五〇〇年』(講談社選書メチエ,2017)や谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書,2008)の国見の
歌の節等を見ても見当たらないねC= (-。- ) フゥー なお、「国の秀」について前掲『日本古典評釈・
全注釈叢書 古代歌謡全注釈 古事記編』181頁は〈クニは海に対して陸地をいう。国土の高く隆起し
ている所。低湿の地でなく高燥の地を良しとするところから生まれた国讃めの言葉で、高い地を讃め
る心持は「大和のこの高市[たけち]に小高る市の高処[つかさ]」(記101)によく現われている。
「国の真秀[まほ]ろば」(記30)参照。〉と語釈で解説している_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

『古事記』と違い、『日本書紀』では女性が登場しないだけでなく、ビミョーな違いがある由、小島
憲之&直木孝次郎&西宮一民&蔵中進&毛利正守(校注・訳)『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』
(小学館,1994)473~474頁の現代語訳(一部の字体は異なる)を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/六年の春二月に、天皇、近江国に幸して、菟道野[うぢの]の上[ほとり]に
    至りまして、歌[みうたよみ]して曰[のたま]はく、

     千葉[ちば]の 葛野[かづの]を見れば、百千足[ももちだ]る
      家庭[やには]も見ゆ 国の秀[ほ]も見ゆ

    とのたまふ[ママ]。/・・・

     ・・・/六年の春二月に、[応神]天皇は、近江国に行幸されて、菟道野[うじの]の
     辺りにおでましになり、歌を詠まれて、

      〈千葉の〉葛野[かずの]を見渡すと、多くの満ち足りた村里も見える。
       国の秀でたところも見える。

     と仰せられた。/・・・

土橋寛は本書131頁の「菟道野の上に至りまして」の語釈で、この「上」は『古事記』では「御立」
「野」「望」という語との関係から「ウヘ」と訓むべきだが、『日本書紀』のは「至」との関係から
見て「ホトリ」と訓むほかはないとした上で〈・・・『書紀』の文は、『記』の文に基づきながら、
その国見的イメージを消し去っている。・・・〉と指摘( ̄◇ ̄;) このことは、大久保正(全訳注)
『日本書紀歌謡』(講談社学術文庫,1981)110頁の語釈の「菟道野の上に至りて」の項でも〈・・・
『古事記』には「宇遅野の上[ほとり]に御立たしまして、葛野を望[みさ]けまして」とあって、
『書紀』に比し国見のイメージが明瞭に出ている。〉とし、同書110~111頁の解説で次のように記し
ていた( ̄◇ ̄;)

    /語釈で述べたように、『古事記』では国見のイメージを浮かびあがらせる叙述が
    前文に見られるが、『書紀』ではそれが消え、史実の記録のような形で記されている。
    これは、記紀の記述態度の相違によるもので、『古事記』のほうが古い物語としての形
    をよく伝えている。/しかし、独立歌謡として見れば、国見歌としての典型的表現を
    示しており、「見れば……見ゆ……見ゆ」と「見」を三度も繰り返しており、「見る」
    ことによるタマフリ(この場合、国土に内在する霊力を発動させようとする呪術)に
    よって、国土の繁栄をもたらそうとする国見歌の特徴が著しい。/

「記紀の記述態度の相違」から「国見のイメージ」は『古事記』に有り、『日本書紀』には無い(^^)

さて、さて、さ~て!小生の目が留まったのは、本書の「一五、応神天皇の国見歌 〔34〕」(本書
131~132頁)の語釈の「六年の春三月」(=前掲『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』の「六年の
春二月」)の項(本書131頁)(@_@;)

    /応神天皇の六年。「三月」は、底本に「二月」とする。『書紀』に国見・野遊び的な
    物語歌の記事を見ると、「大和は 国の真秀らま」(紀22)は、『景行紀』十七年の
    「春三月」。「いざ吾君 野に蒜[ひる]摘みに」(紀35)は、『応神紀』十三年の
    「春三月」。「隠国の 泊瀬の山は」(紀77)は、『雄略紀』六年の「春二月」に
    なっていて、二月の例もありはするが、三月の方が適当で、兼右本によって「三月」と
    しておく。/

『大辞林』(初版第一刷)では「国見」は「年頭、または一年の農事の開始に先立ち、その秋の豊穣
にかかわる呪的景物を見て、豊穣を祝すること。また、その儀礼。花見はその一種。のちには天皇の
即位儀礼の一環として、領有する国土の繁栄を予祝する儀礼にも分化した。」と説明されてるけど、
国見は「二月の例もありはするが、三月の方が適当」というように時期が決まってたのかな(@_@;)
タグ:和歌 歴史 古典
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

千葉の 葛野を・・・の"千葉"が気になってしまったり(笑)。
千葉には数多くの満ち足りた村里が多いのかも・・・と千葉県人
にとって都合の良い解釈をしてみたり。
by tai-yama (2022-08-16 00:12) 

ナベちはる

室内にいるからといって熱中症・脱水症状などにならないとは限らないので、気を付けないといけないですね。
by ナベちはる (2022-08-16 01:11) 

middrinn

応神天皇が千葉県の国見歌を詠んでいたとしても、
tai-yama様、都ほど繁栄せ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2022-08-16 06:11) 

middrinn

建物は長時間ずっと日光を照射されているわけですから、
ナベちはる様、屋内の室温も上がりますものね(^_^;)
by middrinn (2022-08-16 06:28) 

df233285

なるほど。年度の始まりが4月である事に関して、
旧暦からの習慣にするか、西洋暦に換算するかで
日本でモメたという話が無いのは、江戸時代に、
「年度始まり」という概念が無い証拠ですね。
by df233285 (2022-08-16 08:07) 

middrinn

農事は国の政の根幹ですけど、江戸時代は天皇・朝廷の式微
ということで、国見は行なわれなかったんですかね(@_@;)
by middrinn (2022-08-16 08:33) 

df233285

>国見は行なわれなかったんですかね・・ のres.→
江戸時代の天皇家は、力は有るけど跡取りの子供が夭折のイメージ。
by df233285 (2022-08-16 11:27) 

middrinn

寡聞にして、江戸時代の天皇の国見歌を知らないので、
新嘗祭が長いこと廃絶してたのと同様かと愚考(^_^;)
by middrinn (2022-08-16 13:56) 

yokomi

野蒜美味しいです(^_^;) 花見の花は梅?
by yokomi (2022-08-17 09:01) 

middrinn

答えてもレスを見ないでしょ(^_^;)
by middrinn (2022-08-17 16:17) 

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