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220813読んだ本

平城京出土の土器に「弁埦勿他人者(この飯埦を他人が使うな)」と書かれてた由、「俺の」と大書
している現代人を見たことあるし、♪人間なんてララララララララ~〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

萩谷朴『おもいっきり侃侃』(河出書房新社,1990)所蔵本

本書所収の「ひらがな墨書土器幻想」(初出は読売新聞1978年4月4日)は、「平安京左兵衛府跡の溝
から発掘された土師器[はじき]の坏[つき]の内面に墨書の平仮名があったというニュース」から
その仮名文字を萩谷朴が判読しようとしたものだが、小生が興味あるのは次の件(^_^;)

    ・・・/そこで、さらに思い合わされるのが、醍醐寺五重塔の初層天井板の落書き
    (十世紀半)である。これは絵師が、格天井の天井板に彩色文様を施す時、格子を
    打つとその下に隠れるはずの余白部分に、筆ならしのために、簡略な馬の絵や人の顔、
    手、指のみならず、断片的な漢字や仮名、さらには片仮名や平仮名で和歌の本文を
    胡粉[ごふん]や墨でいたずら書きしたものである。その片仮名二首、平仮名五首の
    和歌の中には、『拾遺集』恋三の「数ならぬ身を宇治河の網代には多くの水魚を
    累はすかな(『拾遺集』の本文と少異あり)」や『伊勢集』の「逢ふことの明けぬ
    ながらに明けぬれば我れこそ帰れ心やはゆく」の二首が見いだされた。/これらは、
    絵師の創作した和歌ではない。当時、世間に流布していた有名な和歌を思いつくままに
    書いたものなのである。いってみれば、現代の一般大衆が、他人の創作した流行歌を、
    何の疑いもなく、おのが意にかなうままに口ずさむように、古代の下層官人や庶民たちも、
    上層貴族の創作した和歌を、曲節つけて常に口ずさんでいたのである。/・・・

この話は手元にある伊勢タンの家集『伊勢集』の各注釈書を見ると、平野由紀子(校注)『伊勢集』
(犬養廉&後藤祥子&平野由紀子[校注]『新日本古典文学大系28 平安私家集』[岩波書店,1994]
所収)、関根慶子&山下道代『私家集全釈叢書16 伊勢集全釈』(風間書房,1996)、秋山虔&小町谷
照彦&倉田実『日本古典評釈・全注釈叢書 伊勢集全注釈』(角川書店,2016)の全てに出ているが、
一番正確かつ詳しい秋山&小町谷&倉田・前掲書から引く(^_^;)

    ・・・/この歌は、諸注に指摘されているように、天暦五年(九五一)に建立された、
    醍醐寺五重塔の初層の天井板に落書きされた、「あふことのあけぬながらにあけぬれば
    われこそかへれこゝろやはゆく」と同一歌らしいことが、伊東卓治「初層天井板の落書」
    (高田修編『醍醐寺五重塔の壁画』吉川弘文館、一九五九年)に報告されている。/
    ・・・

手元の注釈書の底本は全て西本願寺本で、「逢ふことの逢はぬ夜ながら明けぬれば我こそ帰れ心やは
行く」(関根&山下・前掲書は「今夜逢うことができるはずだったのに、こんなことで逢えないまま
に夜があけてしまいましたから、やむなくわたしは帰ります。しかし、わたしの体は帰りますが、心
は帰るでしょうか。とても帰りはしませんよ。」と訳)となっていて、関根&山下・前掲書と秋山&
小町谷&倉田・前掲書によると第二句が落書きに近い「明けぬ夜ながら」となってるのは群書類従本
と歌仙家集本(『新古今和歌集』入集歌も同じ)、またこの歌は屛風歌の一首で、寛平8年(896年)
~同9年(897年)の頃の詠とされ、更に伊勢タンの生前に自撰の家集があったことは『古今和歌集』
入集歌の詞書から、死後に娘の中務の撰で村上天皇に奉られた家集が存在したことは『拾遺和歌集』
入集歌等の詞書から判るが、ともに現存の『伊勢集』には結びつかないとされている(^_^;) では、
「世間に流布していた」という落書きの歌の発信源はどこなのか(@_@;) 屛風の「絵柄は、同じ邸
から出た男の帰る姿が描かれているのであろう。」と秋山&小町谷&倉田・前掲書は推測してるが、
もしそーゆー「絵」も落書きと一緒に描かれてたなら、「絵師」は屛風を見たことあるのかも(^_^;)
タグ:和歌 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

ナベちはる

「これは自分のもの」というような意味を持つ言葉、大昔からあったのですねφ(..)
by ナベちはる (2022-08-14 01:14) 

middrinn

消えてしまった可能性もありますけど、名前を書かないと(^_^;)
by middrinn (2022-08-14 05:20) 

df233285

奈良時代初期にもこの字は、隋・唐渡来人が
書いたように見えていたはずだと思う。よって
奈良時代の書の筆記者の方が「俺の」と書く
現代人よりレベルは上。奈良時代には、字が
書けるかどうかで、誰なのかが区別出来たと
いうのが当たり前。飛鳥終期~奈良初期人一般。
国が唐から圧迫されていたので、論理思考能力
をつけるという点で、今の平均人より頭鍛えて
いたんですね。
by df233285 (2022-08-14 07:55) 

middrinn

留学生を派遣してたぐらいですし、落差があったんでしょうね(^_^;)
名前を書かなくても誰のだか判るだろ!という心性が不変かと(^_^;)
by middrinn (2022-08-14 17:59) 

tai-yama

今の時代なら、・・・・参上。とか落書き(試し書き)するのかな。
平安時代より教育レベルが低いとも言えたり(笑)。
by tai-yama (2022-08-14 23:32) 

middrinn

「・・・参上!」は名前を書きますが、所有権の主張ではないですね(^_^;)
by middrinn (2022-08-15 05:41) 

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