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220814読んだ本【バカチン4発】

岩波新書の執筆者は各分野の大家が多いから編集者は原稿の誤りに気付いても言えないのかな(@_@;)

【読んだ本(バカチン4発)】

中村真一郎『色好みの構造─王朝文化の深層─』(岩波新書,1985)所蔵本

「中村真一郎といえば現代の作家の中でももっとも多読家の一人・・・」と坪内祐三は高評したが、
日本の古典に関しては「多読」ではあっても実は誤読しまくっていることに最近になって気付いて、
『平家物語』『大鏡』『平中物語』『枕草子』を例に、中村真一郎『日本古典にみる性と愛』(新潮
選書,1975)の間違い等を指摘C= (-。- ) フゥー 今回は本書から〈第二章 前期・「色好み」の起源と
原型─『竹取物語』と『伊勢物語』─〉の〈宮廷の「色好み」風俗〉という見出しの節の最後の件を
取り上げるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/村上帝の後宮には、帝の二人の兄の娘が、それぞれ入内し、承香殿の女御、
    麗景殿の女御となっている。当時、通い婚の風習のなかで、子供は母方で育つことが
    普通であったから、兄の愛人の邸に出入りする機会のない男にとって、兄の血を引く
    娘は肉親的感情の相手ではなく、全く見知らぬ女性であって、恋愛や結婚の対象として
    不自然ではなかったのである。/ところで、帝の最初の妃、弘徽殿の女御安子の妹は、
    帝の兄であるとともに、妃承香殿の女御の父でもある[重明]親王の、その夫人だった。
    そして美貌をもって聞えていたが、宮中に行事のあるごとに、姉の安子は、この妹の
    登子を招いて、ともに見物するのを愉しみとした。極めて仲のよい姉妹だったのである。
    ところが帝は、この登子と秘かに通ずるに至り、そして安子は「色好み」の道に反して、
    率直な嫉妬を帝に示すことになった。/『大鏡』によれば、夕方、弘徽殿を訪問した帝に
    閉めだしをくわせ、すべての格子が閉されていて、供の殿上の童が御殿の口から覗いて
    帝の来訪を告げると、中からは返事もしないで女房どもが一斉に笑い声をたてて、
    はやしたてた。そこで帝も苦笑いして「いつものことだ」とつぶやいて。帰られたとある。
    /「例のことなり」というのは、帝の少年時代以来の妃であった安子は、帝に対して
    遠慮のない心の通わせ方をしていたらしく、自分の感情を帝に露骨に示すことを惧れ
    なかった。たとえば安子が中宮に冊立された際に、同時に女御となった芳子に対する
    帝の熱愛ぶりが目立った時、安子は壁に穴をあけて、芳子の容貌をすき見し、その穴から
    かわらけの破片を投げこむという、子供らしい率直さも見せている。/この宣耀殿の女御
    芳子は『枕草子』の伝えるところによれば『古今集』二十巻の歌をことごとく暗誦していた
    という才女でもあった。/ところで、二十五年間、起居をともにしたこの慣れ親しんだ
    皇后安子の死は、帝には衝撃となった。しかし、その機会に、例の妹、登子を入内させて、
    登華殿の尚侍とすることを得た。/次の冷泉帝、さらにその次の円融帝の母はともに
    皇后安子であり、そして、先にも述べたように、この弘徽殿の女御として後宮に無比の
    権力を揮い、帝でさえ遠慮させた女性は、わが国の伝統的な「色好み」の型ではなく、
    大陸中国の宮廷女性、たとえば則天武后に似た──あるいはそれを手本として学んだ、
    ──政治に強い関心を持つ珍しい型の、例外的な女性だった。/後の『浜松中納言物語』
    のなかで、大陸帝国の女性は、政治に関与するところが、わが国の女性との大きな相違
    だと書かれているが、この安子皇后はまさに中国型の政治女性で、村上帝の宮廷に
    君臨して、天皇の意向を無視してまで関白職の任命を強引に左右するという、最高の国事
    を干渉するに至るのである。/こうした反「色好み」の偉大な女性をも、当時の宮廷が、
    同時に生んだということは、一般の「色好み」の風潮を対照的に際立たせる意味で、
    興味深い。/

「帝は、この登子と秘かに通ずるに至り」の「秘かに」は、流れから「安子」に対してと読めるが、
村上天皇は安子にせがんで、その手引きで登子と「通」じたんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)から当該件の訳を引いておくオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/ああ、そうそう、この皇后〔安子さま〕のお妹の中の君〔登子さま〕は、
    重明の式部卿の宮の北の方でいらっしゃいましたよ。その重明親王は、村上天皇と
    ご兄弟でいらっしゃいます。この親王の北の方〔登子さま〕を、何か興趣ある宮中
    のお催し事のある場合には、お見物おさせ申し上げようと、〔お姉君の〕后の宮
    〔安子さま〕がお招きになりますので、いつもお忍びで参内なさいましたが、それを
    帝〔村上天皇〕が、ちらりとお見掛けあそばされて、〔登子さまが〕たいへん
    お美しくいらっしゃいましたのを、〔帝は〕ひどく好色めいたご性癖から、后の宮に、
    「自分はこんなに思い込んでいるのだが、ぜひ逢わせてほしい」と、無理無体に
    おせがみ申されましたので、〔后の宮も〕一、二度はそ知らぬ顔をして、お見のがし
    申し上げなさいました。そんなふうにして、後には天皇はひそかに登子さまとお心を
    通わしなされたようなご様子でしたけれども、〔后の宮は〕そんなに度々お逢わせ
    するのは考えものだと、お思いになったのでしょう。〔その後は登子さまの参内を
    おとめになったのでした。それに〕この后の宮は、ほかの女御・更衣の場合であっても、
    このような後宮のご寵愛の筋のことは、平静を装ってお過ごしになれないご性格
    ですのに、ましてこれはご肉親ですから、他人の場合よりは、いっそうご不快に
    お思いになったでありましょうが、一面〔この后の宮は〕近親などの周囲の方々に
    ひろく目をかけ、気を配っておやりになるご情愛の深さから、お妹君のおために
    外聞がわるく、いやなことでもありますので、穏やかにお顔色にもお出しにならず、
    お過ごしなさいましたのは、まことにもったいなく、ごりっぱなことでしたよ。
    そうしているうちに、この后の宮もお亡くなりになりましたが、その後に、((すでに
    式部卿の宮〔重明親王〕も亡くなられていることで、天皇は登子さまをたいへん
    恋しく思し召しましたので))お側へお呼びよせになり、たいへんご寵愛あそばれて、
    〔この御方を〕貞観殿の尚侍と申し上げたのでした。・・・

「帝は、この登子と秘かに通ずるに至り、そして安子は・・・率直な嫉妬を帝に示すことになった」
とするが、以上の通り、安子は「率直な嫉妬を帝に示」してないぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

妹(登子)の「外聞」(村上天皇の兄の重明親王の北の方なのに村上天皇と通じている事実が世間に
知られること)をはばかって安子は妨害した、と『大鏡』は書いてるぞ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

なお、中村真一郎は旧著(前掲『日本古典にみる性と愛』の「18 乳房の験証==『大鏡』」)では
『大鏡』の当該件を次の如く正しく解してたのに、10年後に斯く誤読するのは理解に苦しむ(@_@;)

    ・・・/また、ある帝[=村上天皇]は宮中で、自分の后[=安子]の妹で親皇
    [=自らの兄の重明親王]の妻であった女性[=登子]に関心を持ち、そして
    后にその妹との間の仲介を依頼した。それは帝が「色好み」であったからである。
    前にも述べたように、当時はこの色好み、好色は、近代におけるように悪徳では
    ない。美と官能とに対する敏感さの証拠であり、文明人の条件なのである。だから
    この事件を報告している、この本の著者は、この帝の行為を道徳的に断罪している
    のではないことに、注意しなければならない。/それに対して后は、妹に対する
    深い愛情によって、帝と妹との恋愛を保護したのが、美しい行為であったと、
    著者は賞賛している。この妹は、后の没後、宮中に入って后のひとりとなった。
    ・・・

本書本節の論旨に関わるが、中村真一郎は〈安子は「色好み」の道に反して〉とするも、「色好み」
の道に生きる村上天皇の「無理無体」なおねだりを受け入れた安子は「色好み」の理解者協力者とも
解せるので、〈反「色好み」〉のレッテルを貼るため意図的に『大鏡』の叙述を曲解したか(@_@;)

中村真一郎が古典作品を誤読というより曲解する手口は、「帝は、この登子と秘かに通ずるに至り、
そして安子は・・・率直な嫉妬を帝に示すことになった」という一文に続けて「『大鏡』によれば」
として安子が村上天皇を「閉めだし」たエピソードを紹介しているところなど典型的C= (-。- ) フゥー

『大鏡』は安子の村上帝「閉めだし」を登子とは無関係としてるぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

登子の件は『大鏡』の師輔伝の最後の方で語られているのに対し、村上天皇「閉めだし」は師輔伝の
最初の方で安子のことを語る中で紹介されており、前掲『大鏡全評釈 上巻』の訳を次に引くけど、
その中の「いかなることのありけるおりにか」の訳を見落とすことなかれオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    ・・・/この師輔公には若君たちが十一人、姫君が五、六人いらっしゃいました。
    第一の姫君〔安子さま〕は村上の先帝の御時の女御で、多数の女御や御息所の中で、
    とくにすぐれてごりっぱでいらっしゃいました。村上天皇もこの女御〔安子さま〕には、
    ひどくご遠慮あそばして、この后がご無理なことを奏上なさいましても、お拒みなさる
    わけにいかないご様子でした。ましてそれ以外のことは申すまでもないことです。
    この女御は少々意地がおわるくて、ご嫉妬などもなさるように、世間の人にいわれて
    いらっしゃいました。帝に対しても、始終ふてくさって〔お困らせ〕申し上げなさい
    ましたが、どんなことのあった折でしたか、夜分に、帝がこの女御のお部屋へおいでに
    なりましたところ、〔いくら〕格子をお叩きになっても、お開けになりませんでしたので、
    ・・・

「どんなことのあった折でしたか」とあるのを登子の件に結び付けるのは曲解・付会だヾ(`◇´)ノ

他にも指摘・批判したい点は幾つかあるも、最後に一つ、「皇后安子の死は、帝には衝撃となった。
しかし、その機会に、例の妹、登子を入内させて、登華殿の尚侍とすることを得た」としているが、
登子が尚侍になったのは村上帝崩御後、「登華殿」は貞観殿の誤りヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

登子が尚侍になったのは村上天皇の崩御後であることは、『大鏡』の各注釈書も指摘しているけど、
登子は『蜻蛉日記』にも登場してて(『大鏡』と同じように)「貞観殿の御方」と表記されており、
柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈 上巻』(角川書店,1966)を引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・登子が尚侍になったのは、[村上天皇の子の]円融[天皇]の御代、安和二年
    十月、時に従五位上。そして天延三年三月二十九日に、尚侍従二位の身分で薨じた
    (『紀略』)。『栄花物語』(月の宴)に「登花殿にぞ御局したる」とあるのは、
    「貞観殿」の誤であろうと和田・佐藤両氏『栄華物語詳解』もいう。・・・

・『平家物語』で「貴族社会の世論」は「二代の后」を「肯定」せずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-18

・「女性」は中納言の妻のままで、「一段ずつ下って行った」は誤読ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-20

・「女は人は病気で死ぬのであって、恋愛で死ぬのではないと認識」はどこから出てくるんだ(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-01

・喜びや期待で「胸をときめかし」たのではなく危険や不安で「胸がどきどきし」たんだよヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-04

・今谷明『歴史の道を歩く』岩波新書は『袋草紙』を読んだ風に「見せかけて」るが、孫引きらしく、
 てゆーか、『古今著聞集』『十訓抄』も見てないヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 能因法師と逆・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-01
タグ:古典 評論 歴史
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tai-yama

きっとこの作者は村上天皇が嫌いだったと(笑)。
そう言えば、ヤクルトの村上はスポーツ紙には"村神"と書かれて
いたり・・・
by tai-yama (2022-08-14 23:39) 

ナベちはる

各分野の大家に「これ違うのでは?」とは、編集者ならなかなか言えないですね((+_+))
ただ、出版してから間違っていると指摘されるのもよくないので、執筆の段階で言わないといけないですよね。
by ナベちはる (2022-08-15 01:14) 

middrinn

国鉄で金田正一は金田天皇と言われてましたから、
tai-yama様、村上天皇とも呼ばれるかも(^_^;)
by middrinn (2022-08-15 05:46) 

middrinn

誤りがあっても売れればいいという出版社なら、
ナベちはる様、原稿の誤りを指摘して、ヘソを
曲げた売れっ子執筆者が、それなら、他社から
出すと言い出すと困るので黙過しそう(^_^;)
by middrinn (2022-08-15 06:03) 

yokomi

10年後に誤読するのは....お年を召された為かな(>_<) 尚侍になった時期などはパソコンを使って年表を作ればチェック出来ますね(>_<)
by yokomi (2022-08-17 09:20) 

middrinn

「意図的に『大鏡』の叙述を曲解した」んでしょうし、「『大鏡』の
各注釈書も指摘している」ので各注釈書を読んでれば判ることですし、
この記事をちゃんと読んだ上でコメントはしてほしいですね(^_^;)
by middrinn (2022-08-17 16:23) 

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