220519読んだ本【バカチン】
丸谷才一は「ちよつと気取つて書け」と言う前に「少しは調べて書け」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
「ちよつと気取つて書け」とは、モチ丸谷才一『文章読本』(中公文庫,1980)の有名なフレーズ(^_^;)
丸谷才一には『食通知ったかぶり』なる著作もあるが、和歌知ったかぶりだろオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
【読んだ本(バカチン)】
丸谷才一『男もの女もの』(文春文庫,2001)所蔵本
このエッセイ集に入っている「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」と題した一篇の冒頭を三度引く(@_@;)
/笑つてはいけませんよ。蝶について、わたしは一つ重大な疑問をいだいてゐた。
日本には昔、蝶はゐなかつたんぢやないかといふ疑問である。もちろんそんなことは
あり得ない。もしも蝶がゐなければ菜の花が困る。絶対にゐたはずである。
蝶が昔はゐなくつて、後世になつて突如として出現したはずはありません。
菜の花に限らず、いろんな花へ蜜を吸ひに行つて、花粉を翅につけ、それを運んだに
決まつてゐる。さう打消すたびにわたしは、しかし王朝和歌で蝶が歌はれないのは
どうしてだらうと思ひ悩むのであつた。/『古今集』には蝶は出て来ない。/
『千載集』にも、『新古今』にも出て来ない。/『万葉』にだつてないんです。/
をかしいぢやないか。/・・・
反証として、「蝶」が出て来る「王朝和歌」が藤原定頼(公任の子)の家集『四条中納言定頼集』に
入っていることを示したし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-05 )、
『枕草子』の皇后定子の詠歌や『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の歌に「蝶」が出て来ることを
知り(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-17 )、丸谷才一は『枕草子』を
未読かと嘲笑した(^_^;) ところが、これら3例以上の反証が見付かっちゃったよエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
上記引用の『古今和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』は、制限列挙とすると他の勅撰集(モチ
『万葉集』は勅撰集に非ず)入集歌が「王朝和歌」でないことになってしまうし、論旨からいっても
「例示列挙」であると解され、丸谷才一は全ての勅撰集に目を通した上で「蝶は出て来ない」と断言
したものと思っていたら、『拾遺和歌集』『詞花和歌集』の各入集歌に「蝶」が出て来たぞ( ̄◇ ̄;)
よみ人知らずの歌を小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)から
訳とともに引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
我が宿の花の葉にのみ寝る蝶のいかなるあさかほかよりは来る
いつもは我が家の花の葉にばかり寝る蝶だが、今朝はいったい
どうしたことか、他所からやって来た。
大江匡房の歌を工藤重矩(校注)『詞花和歌集』(川村晃生&柏木由夫&工藤重矩[校注]『新日本
古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』[岩波書店,1989]所収)から訳とともに引くC= (-。- ) フゥー
百年は花にやどりてすぐしてきこの世は蝶の夢にざりける
一生を花に戯れて過してきた。それで、此の世はたしかに
「胡蝶の夢」なのだとわかりました。
丸谷才一の上記エッセイの初出は「オール讀物」の1996年1月号~1997年11月号で、久保田淳(監修)
『新日本古典文学大系 別巻 八代集総索引』(岩波書店,1995)の「歌語索引」の「てふ(蝶)」の項
に2首とも載っていたのに、同書すら披かずにテキトーなこと書くなヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
同書購入は「181108読んだ本&昨日買った本」に出てて、小生も同書で調べずに書いてた(ノ_-;)トホホ…
「ちよつと気取つて書け」とは、モチ丸谷才一『文章読本』(中公文庫,1980)の有名なフレーズ(^_^;)
丸谷才一には『食通知ったかぶり』なる著作もあるが、和歌知ったかぶりだろオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
【読んだ本(バカチン)】
丸谷才一『男もの女もの』(文春文庫,2001)所蔵本
このエッセイ集に入っている「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」と題した一篇の冒頭を三度引く(@_@;)
/笑つてはいけませんよ。蝶について、わたしは一つ重大な疑問をいだいてゐた。
日本には昔、蝶はゐなかつたんぢやないかといふ疑問である。もちろんそんなことは
あり得ない。もしも蝶がゐなければ菜の花が困る。絶対にゐたはずである。
蝶が昔はゐなくつて、後世になつて突如として出現したはずはありません。
菜の花に限らず、いろんな花へ蜜を吸ひに行つて、花粉を翅につけ、それを運んだに
決まつてゐる。さう打消すたびにわたしは、しかし王朝和歌で蝶が歌はれないのは
どうしてだらうと思ひ悩むのであつた。/『古今集』には蝶は出て来ない。/
『千載集』にも、『新古今』にも出て来ない。/『万葉』にだつてないんです。/
をかしいぢやないか。/・・・
反証として、「蝶」が出て来る「王朝和歌」が藤原定頼(公任の子)の家集『四条中納言定頼集』に
入っていることを示したし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-05 )、
『枕草子』の皇后定子の詠歌や『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の歌に「蝶」が出て来ることを
知り(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-17 )、丸谷才一は『枕草子』を
未読かと嘲笑した(^_^;) ところが、これら3例以上の反証が見付かっちゃったよエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
上記引用の『古今和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』は、制限列挙とすると他の勅撰集(モチ
『万葉集』は勅撰集に非ず)入集歌が「王朝和歌」でないことになってしまうし、論旨からいっても
「例示列挙」であると解され、丸谷才一は全ての勅撰集に目を通した上で「蝶は出て来ない」と断言
したものと思っていたら、『拾遺和歌集』『詞花和歌集』の各入集歌に「蝶」が出て来たぞ( ̄◇ ̄;)
よみ人知らずの歌を小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)から
訳とともに引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
我が宿の花の葉にのみ寝る蝶のいかなるあさかほかよりは来る
いつもは我が家の花の葉にばかり寝る蝶だが、今朝はいったい
どうしたことか、他所からやって来た。
大江匡房の歌を工藤重矩(校注)『詞花和歌集』(川村晃生&柏木由夫&工藤重矩[校注]『新日本
古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』[岩波書店,1989]所収)から訳とともに引くC= (-。- ) フゥー
百年は花にやどりてすぐしてきこの世は蝶の夢にざりける
一生を花に戯れて過してきた。それで、此の世はたしかに
「胡蝶の夢」なのだとわかりました。
丸谷才一の上記エッセイの初出は「オール讀物」の1996年1月号~1997年11月号で、久保田淳(監修)
『新日本古典文学大系 別巻 八代集総索引』(岩波書店,1995)の「歌語索引」の「てふ(蝶)」の項
に2首とも載っていたのに、同書すら披かずにテキトーなこと書くなヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
同書購入は「181108読んだ本&昨日買った本」に出てて、小生も同書で調べずに書いてた(ノ_-;)トホホ…
タグ:和歌
丸谷才一氏の『男もの女もの』の「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」
に「氷河期残留種」の説明が無かったらしい事を知り、がっかり
しました。日本の蝶類の全種図鑑は、1970年代以前には出版
されていたと記憶します。あいうえお順の図鑑もあり、セセリ蝶科
で最初の種類が、アサヒナキマダラセセリだったと記憶するので、
それだけ見てたら、丸谷氏は言及出来たと思う。笑えないエッセイ。
なお「氷河期残留種」はミヤマモンキ(蝶)を実物で見たことの
ある人間には、その存在感は甚大。ホントに涼しい所しか居ない。
by df233285 (2022-05-19 23:12)
これは、"超見逃し"。チョベリバですね(古)。
ちなみに、花粉を運ぶのは蝶だけではなく蜂も居たし・・・
by tai-yama (2022-05-19 23:14)
調べて書かないと、「ちよつと気取つて書け」と言ってはいけないですよね(+o+)
by ナベちはる (2022-05-20 00:50)
トップ私のコメは間違い。「あいうえお順の日本在住蝶図鑑」は存在し
無い。アサヒナキマダラセセリより、セセリ蝶科ではアオバセセリ
の方が先。たいへん失礼しました。語呂から日本のキノコの大図鑑の
アケボノサクラシメジとアサヒナキマダラセセリとを勘違いしたよう。
by df233285 (2022-05-20 08:24)
「もちろんそんなことはあり得ない」と否定し「日本には昔、蝶はゐ」たとしてますし、
長さん様、この一篇の主旨は「王朝和歌で蝶が歌はれない」のは何故か、です(^_^;)
by middrinn (2022-05-20 16:30)
王朝和歌の専門家が本書を見たら、
tai-yama様、MK5かも(^_^;)
by middrinn (2022-05-20 16:40)
調べずに間違った内容を気取って書いてたら、
ナベちはる様、恥の上塗りですよね(^_^;)
by middrinn (2022-05-20 16:51)