SSブログ

220515読んだ本

何十年も前のことは記憶に頼らず調べて書くべき(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ数年前でも調べるべきだろ!

【読んだ本】

萩谷朴『おもいっきり侃侃』(河出書房新社,1990)所蔵本

本書所収の書き下ろし「イワン・ラディカロフのバカな意見」という一篇の最後の方の記述(@_@;)

    ・・・/その後、スマトラへ渡って、昭和十四年出征以来まる四年、凱旋なしに
    外地駐留を続けていた近衛第二師団に所属することとなったが、当時の師団長
    M中将の前任者I中将は、平素、兵食と同じ物をしか口にしないという、あたかも
    日露戦争当時の乃木将軍にも似た謹厳実直な人物であったらしいが、運悪く、
    終戦当時はビルマ方面軍の司令官を勤めていたので、戦後の軍事裁判に、A級戦犯
    として処刑された。これに引き換え、M中将の後任の師団長K中将は、終戦後と
    いえども、無力な進駐英軍がインドネシア独立軍の制圧を近衛師団に委嘱したことを
    勿怪の幸いとして、捕虜の身でありながら、セカンドハウスばかりかサードハウス
    までを使用し、それぞれ専属の料理人を置き、毎日風呂を当番兵に沸かさせて入浴する
    という不心得な贅沢者であったが、軍人としての不真面目さが幸いして、A級戦犯の
    追及を免れたというのであるから、「悪い奴ほどよく眠る」という戦後の流行語に
    先鞭をつけたような男であった。/・・・

「I中将」はイメージ的に今村均か?と思いつつ読み進むと「終戦当時はビルマ方面軍の司令官」と
あるので木村兵太郎???と頭が混乱(@_@;) 「A級戦犯として処刑」とあるが該当者中頭文字Iは
板垣征四郎しかいないけど、近衛師団長にはなっていなかったような(@_@;) 「M中将」は武藤章で
間違いないが、田中隆吉『日本軍閥暗闘史』(中公文庫,1988)&同『敗因を衝く 軍閥専横の実相』
(中公文庫,1988)と保阪正康『陸軍省軍務局と日米開戦』(中公文庫,1989)とでは全くの別人28号
に描かれてる不思議な人物(^_^;) 「K中将」はwikiの「近衛師団」の項に拠ると久野村桃代らしく、
全く知らない人物だったのでwikiの「久野村桃代」の項を見たら笑った(^_^;) 本書の上記の記述を
読んでた際に半藤一利&保阪正康『昭和の名将と愚将』(文春新書,2008)も取り上げてた牟田口廉也
みたいだなぁ~と思ってたら、wikiに次の記述があったから(^_^;) 愚将以下、知将ならぬ恥将(-"-)

    /あだ名は久野村をもじった「無能村」。教育畑が長く、正しくは名が「トウダイ」
    だが、それを人々が「モモヨ」と読むほど八方美人で穏和従順な性格だったとされる。
    その従順で事勿れ主義な性格がイエスマンを求める牟田口廉也中将に好まれ、
    インパール作戦では前任者の小畑信良少将に代わって第15軍参謀長に就任した。/
    一方で作戦中は前線の苦闘をよそに牟田口中将とともに連日清明荘という料亭通い
    の毎日を送っており、酒色三昧の生活だった。高級参謀木下秀明大佐が久野村
    お気に入りの芸者に手を出したことに激怒、その場を見つけ外に引っ張り出し
    兵隊の見ている前で殴りつける乱闘騒ぎを起こしている。/女の奪い合いが原因で
    現職の将官が大佐を殴ったという事件はたちどころに兵士達の間で噂になったが、
    さらにこのような司令部の腐敗ぶりは直ちに英印軍の諜報機関の知るところとなり、
    マイクを通じて最前線におけるプロパガンダに遺憾なく活用された。そのため前線で
    餓死寸前で苦闘していた第31師団長佐藤幸徳中将は、自らは遊興に耽りながら進撃を
    強要する15軍司令部に「久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり」
    と名指しで返電した。/

・「I助教授を学界から抹殺」しようとした「T大国文科主任教授H博士」とはアノ人だよね(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-13
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

tai-yama

教育畑で名が「東大」ならかっこいいのに(笑)。
by tai-yama (2022-05-15 22:55) 

ナベちはる

「何年前」でも怪しいですから、「何十年」ともなると調べたほうが間違いないですね(^^;A)
by ナベちはる (2022-05-16 01:09) 

middrinn

小林よしのりの『東大一直線』の主人公は、
tai-yama様、「東大通」でしたね(^_^;)
by middrinn (2022-05-16 06:22) 

middrinn

実際、高齢者になると、昨日の夕食すら、何を食べたのか、
ナベちはる様、思い出せなかったりするほどですし(^_^;)
by middrinn (2022-05-16 06:34) 

df233285

インドネシアに行った日本軍の一部が、戦後に独立派を鎮圧して
いる話はこの記事で初めて知りました。1960年代には「支援
のおかげの独立」の宣伝が、結構日本の新聞・テレビで流されて
いたのでは。インドネシアにおける敗残日本兵の動きは、混とん
としていたと正しく認識でき、この記事は歴史常識認識という点
に関し、大いに参考・勉強になりました。
by df233285 (2022-05-16 20:05) 

middrinn

林房雄の『大東亜戦争肯定論』やインドネシア独立軍のために
旧日本軍兵士も戦ったことは知られてますが、本書の上記話は、
興味・関心が無かったこともあり、全くの初耳でした(@_@;)
by middrinn (2022-05-16 20:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。