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211127読んだ本

読書の厄介なところは、怪しい著者が唱える説は全て胡散臭く思えることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
モチ是是非非主義だから信ずるに足る内容だったら受け入れるけどね、たとえ叶姉妹・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

八條忠基『「勘違い」だらけの日本文化史』(淡交社,2021)

典拠の確認を怠ったデタラメな記述が散見され、八條忠基自身の〈「勘違い」だらけ〉という天唾な
本書(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-15 )の「末摘花は超美人?!」
と題する一篇に次の記述があった(本書46~47頁)(@_@;)

    /『源氏物語』の中でも最高のおブスちゃんとされる「末摘花」。実は彼女には
    実在のモデルがいたと考えられます。醍醐天皇の第四皇子・重明親王の子である
    源邦正がその人。『今昔物語』に描かれる彼の容姿は、痩せ型で背が高く、顔色
    が青白く、鼻は際立って高く色は赤い。そう、末摘花の初回登場時の描写に酷似
    しています。そして末摘花は寒いときに鼻の先を赤くし、黒貂[くろてん]の
    毛皮を着込んでいるのです。/重明親王は北方交易に関係していたのか、黒貂の
    毛皮を持っていました(42ページ)。平安後期の『江家次第』(大江匡房)には、
    黒貂の皮衣を8枚重ねで着て見せて、渤海国の使者を驚かせた、とあります。
    源邦正は平安時代には有名な人物であったようで、『落窪物語』の醜男「面白の駒」
    にも似たよう描写が見られますし、紫式部が源邦正をモデルに親王の子である
    末摘花を描いたと考えるのも無理はありません。末摘花と源邦正の共通点は、
    (1)親王の子どもである(2)父親が黒貂と関係がある(3)容貌描写が酷似
    している、が挙げられるでしょう。かなり重要な状況証拠だと思います。/
    『源氏物語』で末摘花は「居丈の高くを背長」「鼻なりけり(中略)あさましう
    高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたる」「色は雪恥づかしく白うて真青」
    「痩せたまへること」と描かれ、それが不美人の表現とされるのですが、・・・

この『源氏物語』の末摘花の容貌描写は源邦正がモデルという説が、八條忠基の創見なのかどうかは
知らないけど、胡散臭く思ってしまった(^_^;) 先後関係から、11世紀初頭に書かれた『源氏物語』の
末摘花の容貌に関するレトリックを12世紀前半に成立の『今昔物語集』が参考にした可能性(@_@;)
『今昔物語集』の当該話は説話であって書かれてる内容は必ずしも史実(事実)とは言えないので、
この説が成り立つためには源邦正の容貌を描いた古記録(貴族の日記等)が『源氏物語』の書かれる
前に存在する必要がある(@_@;) 源邦正は生没年不詳だが、亡くなった後に、その娘と斎宮女御こと
徽子女王(重明親王の娘)の贈答歌があり(平安文学輪読会『斎宮女御集注釈』[塙書房,1981])、
徽子女王の没年の985年よりも前に源邦正が亡くなったことは確実で、早くて970年生まれの紫式部が
源邦正の容貌を目撃した可能性は低い(あるとしたら、伝聞情報だが、その証明は不可能)(@_@;)
そもそも『今昔物語集』の当該説話も『宇治拾遺物語』の同文同話の説話も源邦正とは記してなく、
後代(南北朝期から室町中期)に成立した『尊卑分脈』『本朝皇胤紹運録』を根拠の一つとして比定
したものにすぎない(池上洵一[編]『今昔物語集 本朝部 下』[岩波文庫,2001]の脚注に引かれた
『尊卑分脈』の記述を見ると、『宇治拾遺物語』の当該説話を典拠としているよう)(@_@;) 加えて
森正人(校注)『新日本古典文学大系37 今昔物語集』(岩波書店,1996)232頁の当該説話の脚注5は、

    ・・・「青侍従」と称された源邦正かとする説がある(尊卑分脈の注に見える)が、
    当たらないであろう。その父重明親王に古宮の印象はない。

として源邦正とする説を疑問としている(@_@;) 『今昔物語集』の当該説話(巻第二十八「左京大夫
□、付異名語第二十一」)の「旧宮[ふるみや]ノ御子[おほむこ]」に付した同書232頁の脚注3が、

    年老いた親王。「旧」には、零落の意が響く。・・・

として、このような「旧宮」に重明親王が当てはまらないので、その子の源邦正も「当たらない」、
という疑問である(ただ、チト気になる点もある)(@_@;) 以上のように、源邦正の容貌を描写した
『源氏物語』成立以前の古記録が示されない限り、『源氏物語』の末摘花の容貌描写は実は源邦正が
モデルとの説を首肯することは出来ないし、先ずは森正人の疑問を払拭する必要があるかと(@_@;)
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

例え、モデルが誰であれ、美人なら・・・ハァハァハァ。
作者の紫式部は美人だったのかな?
by tai-yama (2021-11-27 19:28) 

middrinn

源邦正は男なんですが・・・(^_^;)
by middrinn (2021-11-27 19:32) 

ナベちはる

同じ時代を過ごしたわけではないので、結局のところは「説」の真偽はその時代を過ごさないと分からないかもしれませんね(;`・_・´)
by ナベちはる (2021-11-28 01:43) 

middrinn

証拠能力があり証明力が高い同時代の古記録に
記述があれば充分とされてますけどね(^_^;)
by middrinn (2021-11-28 07:19) 

ネオ・アッキー

middrinnさんこんばんは。
昔の不〇人は、おかめ顔と言われていたようですね。
源氏物語の宇治十帖(宇治を訪れた関係上)が最近、気になってきました。
by ネオ・アッキー (2021-11-28 17:28) 

middrinn

「阿多福(面)」と同義のようですね(^_^;)
次回は『源氏物語』持参で京都旅行へ(^o^)丿
by middrinn (2021-11-28 18:20) 

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