SSブログ

210815読んだ本【バカチン】

読書の厄介なところは、『「勘違い」だらけの・・・』の著者の勘違いである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン)】

八條忠基『「勘違い」だらけの日本文化史』(淡交社,2021)

読了(^o^)丿 知らなかったことが多かったが、フーン!(≠へぇ~!)と思いながら読んだ(@_@;)

    第一章 平安貴族の知られざる生活

     牛車はスピードレースするほど高速
     平安の猫はリード飼育
     平安を襲ったインフルエンザ
     糖尿病第一号は平安人
     十二単は重い?
     十二単はOL服
     平安男子、厨房に入るべし!
     天皇の名前を知らない廷臣たち
     平安時代のリサイクルペーパー
     昔からあるブラック職場への異動
     魔法だった算術、科学だった陰陽道
     お歯黒は口腔ケアのひとつ
     旅する女性がヴェールを被った理由
     蜂をペットにしていた平安貴族
     平安貴族のテーブルマナー
     持ち寄りパーティーは平安時代からあった
     平安貴族も毛皮コートを着ていた

    第二章 古典教養の新常識

     末摘花は超美人?!
     小野小町が詠んだ「花の色」は?
     在原業平が東下りをした理由
     神武天皇は本当に「百年」生きた?
     「忠臣蔵」の裏にあった政治的な思惑
     ヤタガラスは三本足ではなかった
     因幡のシロウサギは何色?
     「望月の欠けたることも……」の真意
     『平家物語』の「花やあるじ」とは?
     「左近の桜」はもともと梅だった
     源頼朝の家紋は「笹竜胆」ではない
     中宮定子の悲劇は因果応報?
     グレーなのに「アオサギ」の理由
     「みどりの黒髪」はなぜみどり?
     「あさぎ色」はグリーン?イエロー?
     ヤマブキには実はならない?

    第三章 日本人が愛した美味と珍味

     ローストチキンは今も昔もパーティーメニュー
     平安貴族も現代人と同じ酒を飲んでいた?
     日本酒の「正宗」は刀剣のことではない
     節分は恵方巻より「麦とろ」が本式
     月見団子はもともと里芋だった
     臭いが難物だったタヌキ汁
     平安時代にもあった「飲み会禁止令」
     鰹のタタキは本当に「叩いて」いた
     鰻の蒲焼きは「筒状」だった
     「冬」の土用の丑の日
     羊羹は煮物だった
     芋粥はスイーツ
     正月の和菓子にゴボウが入っている理由
     江戸時代の公家の貧しき食生活
     みたらし団子の語源
     東京の団子が4個1串の理由
     「江戸」も食い倒れの街だった
     平安のおにぎりは超巨大

    第四章 現代の常識は昔の非常識?

     女医は奈良時代からいた
     奈良時代のキラキラネーム
     昔の人は思ったより長生き
     古代人が勘違いしていた「サイ」
     光源氏も平清盛もマラリアだった
     イヌが安産の象徴になったわけ
     神聖なる「腐った木」文様
     匂い=嗅覚ではなかった
     扇は日本の発明品だった
     皇室の象徴が「菊」になった理由
     天皇が作った「クイズ集」
     大臣は親王より偉かった
     女性のほうがノリノリだった断髪
     日本でクリスマスよりイブが盛り上がる理由
     衣食住、なぜ衣が先?
     喪服の色の大誤解
     七夕の植物は「笹」ではない
     「くそ」は愛称だった?
     「ひいき」の由来は妖怪?
     「二礼二拍子一礼」は明治以降のしきたり
     日本の神様は「日陰」にいた
     誕生日パーティーはいつからあった?

    あとがき

八條忠基は「あとがき」(本書174~175頁)で、次のように記している〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /わたくしの勉強している「有職故実」は「昔の事実の知識がある」という意味です。
    これは平安時代に生まれたもので、衣食住から官職位階など政治に関する定めまで、
    朝廷・貴族社会の生活すべてに関わるルール・マナーの集大成です。/・・・故実を
    引いて考えることを「引勘[いんかん]」と呼び、これは公家たちの重要な仕事と
    されたのです。・・・/有職故実を学ぶ者は、何ごとにおいても文献的根拠を求める
    ようになります。・・・世の中で当たり前のように語られていることでも、引勘を
    しないと気がすまないのです。本書はそうした考え方から、歴史に基づくものとして
    普通に語られ、多くの人たちが思い込んでいる「常識」の根拠を探り、また故実が
    あるのに今の世では忘れられているようなことを発掘する試みをしたものです。/
    おのずと「実はこの常識には根拠がないのです」というようなことを語ることが多く
    なってしまったのですが、・・・/・・・/本書では引勘のために数多くの文献を
    紹介・引用しました。/最初は「誤解」「捏造」であったとしても、それを数百年、
    千年と連綿と受け継いできていれば、もはや「常識」といっても間違いとはいえない
    でしょう。しかし本書では、あえて根拠を調べる姿勢を保ちました。/人は「見たい」
    ことだけ見て、「聞きたい」ことだけ聞きたがる傾向があります。何かの説を見聞き
    したとき、「ほんとかな?」「根拠はあるのかな?」と一歩引いてみて、原典に当たる
    習慣は大切だと考えます。それが世界中にはびこる根拠なき誹謗中傷や、フェイク
    ニュースに対抗する大きな力になると思うのです。そしてそういった目で歴史を見る
    ことは、あらたな楽しさをもたらしてくれるでしょう。/

いいこと言う(^^) 先に「あとがき」を読んでたら激怒してたかも(ノ ̄皿 ̄)ノゲンコウフイッチ!┫:・’
八條忠基は古典の知識は豊富なようだが、御本人は「原典に当たる習慣」が無くて「文献的根拠」を
きちんと確認することなく書き散らしてるため「誤解」「捏造」が散見される本書、小生は読了後に
「あとがき」に目を通し、改めて書名の『「勘違い」だらけの日本文化史』を見て大爆笑した(^_^;)
だって、「勘違い」してるのは八條忠基だからオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 冗談みたいな書名だな(^_^;)

先ずは「平安の猫はリード飼育」の冒頭の記述(本書10~11頁)から引く∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?

    /猫といえば、昭和の頃には家の外を自由に歩き回るような自由飼育が主流でしたが、
    現在では様々な理由から完全室内飼育が勧められています。平安時代も同じように
    室内飼育、しかも首輪に綱を付けるリード飼育が主流でした。/『枕草子』では、
    一条天皇が愛猫に五位の位を授けて殿上猫とし、白い札のついた赤い首輪に段だら
    模様のリードを結びつけて、柱に結びつける金具や組紐を長く引きずって歩く姿は
    素敵に可愛い、と表現しています。・・・

一条天皇も愛猫を「リード飼育」してて、「白い札のついた赤い首輪に段だら模様のリード」の愛猫
が「柱に結びつける金具や組紐を長く引きずって歩く姿は素敵に可愛い」だとぉエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
第一に、一条天皇の愛猫は『枕草子』第6段に登場し、「リード飼育」してなかったため、あのような
〈悲劇〉が起きたんじゃんオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 萩谷朴『枕草子解環 二』(同朋舎出版,1982)も
〈『枕草子』第六段に見る一条天皇の御飼猫「命婦のおとど」は放し飼いにしてあったようであるが、
・・・〉と解している( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 第二に、「白い札の・・・引きずって歩く姿」とは『枕草子』
第84段が「なまめかしき物」の一例として挙げているもので、ソレが一条天皇の愛猫のこととは一言
も書いてないC= (-。- ) フゥー 「原典に当たる習慣」が無くて「勘違い」を正せなかったのかな(^_^;)

「『平家物語』の「花やあるじ」とは?」(本書66~67頁)は「勘違い」からゲスな妄説を( ̄◇ ̄;)

    /『平家物語』に、平忠度の

      行き暮れて木の下陰を宿とせば
       花や今宵のあるじならまし

    という歌が載っています。都落ちする平忠度が、桜の木の下で野営をすれば、
    この宿の主人は桜であろう、というように訳されることがほとんどです。/
    しかし平安時代「あるじ」という単語は、「主人」という意味だけでなく
    「宴会のご馳走」という意味もありました。・・・/・・・このように「あるじ」
    という単語は「主人」以外に「おもてないのご馳走」という意味があったのです。/
    それを考えますと『平家物語』平忠度の歌も、「落ち武者が桜の木の下で野宿をする
    今宵は、花こそが最大のご馳走だね」という意味にも読めます。驕る平家は久しからず。
    もはや豪華な食膳は望めない平家一門。より寂寥感が強まると思えるのですが、
    いかがでしょうか。/

同歌は巻第七の「忠度都落」ではなく巻第九の「忠度最期」でのものヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
つまり、これは平忠度の辞世の歌(⌒~⌒) そうなると、「ご馳走」は最後の晩餐・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
上宇都ゆりほ『源平の武将歌人 コレクション日本歌人選 047』(笠間書院,2012)は次の指摘(^o^)丿

    ・・・/この歌は、『忠度集』の諸本では、内閣文庫蔵浅草文庫本にのみ、巻末に
    後人の手によって書き加えられている。従って、歌の真偽は疑わしく、『平家物語』
    作者による創作歌を書き入れたものかと思われる。/・・・

井上宗雄『平安後期歌人伝の研究 増補版』(笠間書院,1988)の補注によると、信太周「平家物語の
和歌──伝承と創作をめぐる諸問題」(武蔵野文学32・昭和59/11)が既に指摘済み_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

平忠度と言えば、巻第五の「富士川」で風流なエピソードが紹介されて「いとやさしうぞきこえし」
(たいそう優雅なことと思われた)と高評される武将で(杉本圭三郎[全訳注]『平家物語(五)』
[講談社学術文庫,1982])、この「忠度最期」の討ち取られてしまった場面でも〈・・・敵も味方も
これを聞いて、「ああ、おいたわしい。武芸にも歌道にもすぐれておられたお方を。惜しい大将軍を
失ったことよ」といって、涙をながし袖をぬらさない者はなかった。〉と描かれているような人物で
ある(杉本圭三郎[全訳注]『平家物語(九)』[講談社学術文庫,1989])(´;ω;`)ウッ… そんな
平忠度が最期の時を迎えようとしているのに「花」とはいえ「ご馳走」のことを詠むような食い意地
が張ったキャラに『平家物語』の作者が仕立て上げるわけがないだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
『平家物語』作者の創作歌なのに、同歌が引かれている『平家物語』巻第九の「忠度最期」での場面
・展開等を無視し、用いられてる語句を以って解釈する八條忠基はナンセンスオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

上宇都ゆりほによる解釈&訳(「まし」は反実仮想とする)は次の通り〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/初句の「行き暮れて」は、旅を表す歌語であるが、人生の旅路において
    終着点を見失い、虚しくさまよう忠度の姿と重なる。武芸にも歌道にも秀でた
    大将軍である忠度には、満開の桜の下での最期の宿りこそが、後世の人々に
    似つかわしく思われたのであろう。・・・

    旅の途中で日が暮れてしまって、木の下蔭を宿にしたならば、桜の花が今宵の宿の主と
    なってくれるだろうに、現実には桜の花の下では休むことができないのだなあ。

ただ、この「満開の桜の下での最期の宿り」、もっと掘り下げること、深読みが必要かと愚考(^_^;)
愚見では、『平家物語』から切り離して同歌だけ見たら、藤原公任の有名な「春来てぞ人も訪ひける
山里は花こそ宿のあるじなりけれ」(『公任集』巻頭歌で『拾遺和歌集』入集歌)を連想するけど、
『平家物語』の中に置いて見たなら、同歌はチョー有名な西行の「願はくは花の下にて春死なんその
きさらぎの望月のころ」の類想歌でしょv( ̄∇ ̄)ニヤッ 平忠度が戦死した一ノ谷の戦いが源氏方からの
攻撃(不意打ち?)で始まったのは寿永3年=治承8年(1184年)2月7日で、15日は目前じゃん(^o^)丿
2月15日には釈迦が旅の途中で入滅(⌒~⌒) 中村元(訳)『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』
(岩波文庫,1980)は「二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間」に釈尊が横たわると、「そのとき沙羅
双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。」とあり、同書の訳注曰く「この伝説にもとづいて
『沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現はす』(『平家物語』一)といわれているのである。」(^^)
梶原正昭&山下宏明(校注)『平家物語(一)』(岩波文庫,1999)も注で〈「沙羅」は梵語サーラの
音訳で、日陰をつくる大樹の意。・・・〉とするように、『平家物語』作者が詠んだ平忠度の同歌の
「木の下陰」「花」は釈迦の入滅を意味するv( ̄∇ ̄)ニヤッ 杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(九)』
(講談社学術文庫,1988)によると、もはや最期と覚悟した平忠度は、声高く念仏を十遍唱えた後に、
「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」という廻向文を唱えている最中に討ち取られるも、その箙
[えびら]に結び付けられていた文に、同歌とともに記されていた歌題の「旅宿の花」とは、釈迦の
最後の「旅」を意味し、釈迦の入滅を理想としつつも我が身の現実を嘆いた辞世の歌v( ̄∇ ̄)ニヤッ

他にも「勘違い」と思しき点があるし、誤記・誤植では「平安男子、厨房に入るべし!」の〈・・・
『古事談』(源顕兼)には「一条天皇の御代、廷臣たちを呼び、清涼殿に炉を立てて、讃岐守高雅と
伊予守朝順たちが料理を披露した」・・・〉(本書21頁)の「朝順」は「[高階]明順」だね(^_^;)

小生は「原典に当たる習慣」がある方だけど、途中から確認するのが馬鹿馬鹿しくなってきたので、
本書が八條忠基の〈「勘違い」だらけ〉なのかどうかは判りませんなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
コメント(8) 
共通テーマ:

コメント 8

tai-yama

有職故実を学ぶ者は今で言う"マナー講師"だったり(笑)。
最期の晩餐は花じゃなく、サシ少な目の前沢牛のステーキを食べたひ。
by tai-yama (2021-08-15 23:19) 

ナベちはる

「「勘違い」だらけの・・・」の著者の勘違いなら、それはある意味で「正解」ですね(^^;
by ナベちはる (2021-08-16 01:43) 

middrinn

八條忠基曰く、「政治に関する定めまで」だそうですが、
tai-yama様、朝廷の関与する政治は、世が進むに連れて
儀式的なものに限定されていく感じはしますしね(^_^;)
by middrinn (2021-08-16 05:38) 

middrinn

たしかに!( ̄◇ ̄;) 勘違いの勘違いなら裏返って正解になりそうですけど、
ナベちはる様、著者の勘違いによってこの世に勘違いが増えただけ(^_^;)
by middrinn (2021-08-16 05:42) 

そら

へー!
面白そうな本ですね(^^)
by そら (2021-08-16 06:39) 

middrinn

眉に唾けて話半分と思って読むなら(^_^;)
by middrinn (2021-08-16 06:57) 

df233285

ふうん。「冬の土用の丑」が有るところを見ると、
古代には「夏の土用の未(ひつじ)」というのも
あったんだろうか。近世には冬の仲間の厄日は、
「冬の土用の未(ひつじ)」しか残らなかったと聞く。
十二支へ土気(ほかに木気、火気、金気、水気が
論衡によると有る)配当動物は、丑、辰、未、戌で、
立秋前18日は土、丑は土で、土神様の祟りは更に
強まり土土なので厄日だが、組合せ方はいろいろ
在るから、古代にはもっと厄日だらけか。

by df233285 (2021-08-16 08:07) 

middrinn

記憶違いかもしれませんが、冬の鰻の方が脂がのってて
夏のよりも美味しいとか書いてあったような気が(^_^;)
物忌みが多かったのは、厄日が多かったからかも(^_^;)
by middrinn (2021-08-16 08:41) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。