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210802読んだ本【結末引用ネタバレ】

読書の厄介なところは、種本があることを知らずに評価してるっぽいことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本(結末引用ネタバレ)】

杉本苑子『今昔物語ふぁんたじあ』(講談社文庫,1978)所蔵本

昨日の新潮社編『歴史小説の世紀 天の巻』(新潮文庫,2000)は〈戦後傑作短篇55選〉とあるけど、
「傑作」とは思えぬ作品も混じっていることを示すための準備作業として(当該作品は取り上げない、
今日は)、本書収録の短篇小説「白い蓮[はちす]」を再読して(初読は171031読んだ本)、馬淵
和夫&国東文麿&稲垣泰一(校注・訳)『新編日本古典文学全集36 今昔物語集②』(小学館,2000)
500~508頁の「讃岐国多度郡五位聞法即出語第十四」という原話(同書付録「出典・関連資料一覧」
によると同話の「出典」は「未詳」[同書609頁])との異同を(改めて)指摘しておきたい(⌒~⌒)
以下は「白い蓮」のストーリーを要約・紹介、結末も引用する完全ネタバレm(__)m 下手な要約ゆえ、
この作品の面白さは伝わらないだろうが、苑子タンは稀代のストーリーテラーで、特に短篇に優れて
海音寺潮五郎より上手いのだ←あしたのために(その1)p(・ω・*q)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ丹下段平ですか?
『今昔物語集』の原話に改変を加えることで原話よりも素晴しい作品に仕上げた苑子タン(〃'∇'〃)
『今昔物語集』の原話と「白い蓮」を読み比べれば、苑子タンの小説巧者ぶりが解るよv( ̄∇ ̄)ニヤッ

冬のある日(←『今昔』にはない季節の設定が後々の布石となる)、村はずれの阿弥陀堂で老人たち
に混じって堂守り法師の説教に耳を傾けていたのは病弱で右腕がない若者の左近丞で、法師の話術が
下手で説教の内容も退屈なことから舟を漕ぎかけた矢先、現われたのは多度の源太夫なる近隣きって
の土地持ち屋敷持ちの暴れん坊、しかも暇さえあれば野山で狩りをするほど殺生が好きで、彼こそが
左近丞の右腕を斬り落とした張本人だったが、彼は法師に絡み始め・・・というのが物語の発端で、
左近丞は『今昔』には登場しないがキーパースン(⌒~⌒) 法師に説法を聞かせろと強要する源太夫、
往生、阿弥陀仏、西方浄土の話を聞き質問もすると、その場でいきなり得度・出家しちゃう(⌒~⌒)
連れてた郎等たちに別れを告げ、阿弥陀仏の名を唱えながら、まっすぐ西へと歩き出した源太夫を、
源太夫が脱ぎ捨てて布施をした装束の中から脇差を盗んで、復讐心からあとをつける左近丞(⌒~⌒)
「あんな悪人が浄土へゆけるはずがないが、仏の慈悲は広大だという・・・もしそんなことになっては
大変だ、どうしても奴の往生を妨げて地獄の底に叩き落としてやらねば」と左近丞は思い、背後から
刺してやろうとするも、源太夫の鍛え上げられた全身には隙がなく、源太夫は丸一日、飲まず食わず
休まず眠らず、たとえ川があろうと森があろうと山があろうと谷があろうとまっすぐ西へと一心不乱
に阿弥陀仏の名を唱えながら歩き続ける(⌒~⌒) 『今昔』では、日が暮れて行き着いた寺の住職に、
事情を話し、目印を付けながら西へ行くから七日後に自分を訪ねてくれるように頼んで、少し分けて
もらった干飯を腰にくくりつけ、住職が今夜は寺に泊るよう引き止めるのも聞き入れず再び歩き出す
件があるけど、この件を「白い蓮」はカットし、代りに、源太夫のことを知ってて「いずれどこか、
古刹をあずかる智識」らしき老僧を登場させ、源太夫の変貌ぶりを問い質し、源太夫の「西方浄土と
やらに行ってみとうなった、阿弥陀仏に逢い、むしょうにその声を聞いてみとうなったからよ」との
答えに、「ばか者ッ 虫がよいにもほどがあるぞッ きさまのような悪党が、たとえ千日万日歩き続け
ようとも浄土へはつけぬぞ、喉が破れるまで呼び奉ったところで阿弥陀仏は応じてはくださらぬは、
そのような信仰は利己心のかたまりじゃ、後ろを振り返ってみたこともあるまい、その手で殺し大けが
をさせ泣きをみせた人や獣、その幾十幾百の怨恨と悲嘆を曳きずってゆくかぎり、浄土は遠いわ」と
一喝して老僧は立ち去るという『今昔』には無い場面を挿入してる(⌒~⌒) 源太夫は「そうだ、その
通りだ、おれはとんでもない外道だ、悪鬼だった、往生をのぞむなど虫がよすぎた、してのけた悪事
を思えば罰は当然かもしれぬ」とうめき、むせび泣いて、直情なだけにおのれを素直に責め、「ああ、
悪かった、皆、ゆるしてくれ、阿弥陀さま、ゆるしてくだされ、もはや大それた望みはすて申した、
ゆく先は地獄、覚悟はきめたが、そうときまればきまるほど、阿弥陀仏よ、あなたが慕わしい、ひと
ことでよい、おられるなら答えてくだされ、せめてひとこと、お声だけでも聞かせてくだされ」と、
立ち上がる際に石の角にぶつけて裂いたか、膝からおびただしい血を流すも痛みも感じない様子で、
「阿弥陀仏よやァ、おおい、おおい」と再び西へと歩き出し、犬に吠えられ子供たちからは石をぶつ
けられても、飢えよりも膝の傷がひどく化膿し腫れあがって熱もあるようだが、呼びかけを止めずに
よろよろ西へと進んで行った(⌒~⌒) 四日目には海に出て、渚の松によじのぼって大枝にまたがり、
「阿弥陀仏よやァ、おおい、おおい」と、あえぎあえぎ、しゃがれ声をしぼる源太夫、どこもここも
隙だらけだったが、左近丞の気持ちから怨讐の炎はいつのまにか消滅しており、源太夫の慚愧、その
仏への呼びかけのせつなさに巻き込まれ、しらずしらず、「こたえてやってください、阿弥陀仏!」
と念じてさえいる自分に、左近丞は気付くのだった(⌒~⌒) 『今昔』では、寺で住職から干飯を少し
分けてもらったシーンの直後、住職は源太夫の頼んだ通り七日後に追いかけて、高く険しい峰の海が
西方に見える場所の木に跨って「阿弥陀仏よ、おうい、おうい」と大声で叫ぶ源太夫を発見、住職を
見て喜び、「ここで阿弥陀仏がお答えくださったゆえ、なおお呼びしておるのじゃ」と源太夫、住職
が不審に思って、「なんとお答えになりましたか」と尋ねると、「では、聞いておれよ」と言って、
「阿弥陀仏よ、おうい、おうい。いずこにおわしますか」と大声で呼ぶと、沖の方からなんとも言え
ない美しい声で「ここにおるよ」とお答えがあり、住職は阿弥陀仏のお声を耳にしてありがたく尊く、
地に倒れ伏して声の限りに泣くと、源太夫も涙を流して、「お前は帰って、もう七日してまた来て、
おれの様子を見とどけてくれ」と言うので、食べ物がほしいかと思い干飯を持参したと住職が言うと、
「何もほしくはない。まだ前のが残っておる」と言い、腰にくくりつけてあったので、更に七日後に
住職がそこに行ってみると、源太夫は木に跨ったまま死んでいて、口からえもいわれぬ色あざやかな
美しい蓮[はす]の花が一葉咲いていた、涙を流して感激した住職は蓮の花を折り取り、更に亡骸を
埋葬してやろうと思うも、このような尊い人はこのままにしておこう、本人も遺体を鳥・獣に施して
やろうと思っていたかもしれないと思い直し、そのままにして泣く泣く帰って行った(⌒~⌒) 源太夫
は必ず極楽に往生したことであろう云々その他の(悪人)往生譚によくありそうな文章数行を以って
原話は〆られる(⌒~⌒) では、原話から大きく改変された「白い蓮」のラストシーンを引用(⌒~⌒)

   ──松の枝に、源太夫はなお、二日いた。
   声はしだいに細り、打ち鉦の音も間遠になった。
   左近丞も、砂に坐ったきりだったが、西風の吹きすさぶ真夜中、
   「あみだ、ぶつよや……おおい、おおい……」
   ちぎれちぎれな、源太夫のよびかけに応じて、まっ黒な水平線のかなたから、
   「ここにあり」
   微妙な声で、こたえるのを聞いた気がした。
   左近丞はとびあがった。錯覚か? 浪の音か? それともしんじつ、弥陀のみ声か?
   ドサッとこのとき、地ひびきたてて、源太夫が松の上から落ちてきた。われしらず走り寄って、
   「聞きましたか、いまのみ声を!」
   左近丞はその半身をかかえあげた。熱がひどい。源太夫の身体は燃えそうだった。
   自分を抱いている者がだれなのか、すでに源太夫には認識できないらしい。うつろな視線を、
   宙にただよわせて、かすかに、
   「あみだぶつ……あみたぶつよや……」
   つぶやくと、それっきり動かなくなった。
   冬の夜の、寒気に凍って、源太夫が吐いた最後の息は、くちびるからひとすじ咲き出でた
   白い蓮華の花のように、左近丞の目には見えたのである。

「白い蓮」は「源太夫」、この『今昔物語集』は「源大夫」だが、全て「源太夫」と表記した(^_^;)
『今昔物語集』の原話、いきなり得度・出家すると言い出したり、よくお考えになられてからの方が
と止める堂守り法師に、自分を仏の弟子と言いながら止めるのはおかしいと遣り込めるなど源太夫の
キャラが面白くて、魅力的なんだよね(〃'∇'〃) 実際、この源太夫のキャラを、苑子タンもふくらま
せてるし、小説家は見逃さないわな←あしたのために(その2)p(・ω・*q)ヾ(-_-;)誰かを指してる?
でも、『今昔物語集』の原話には疑問も感じるわな(@_@;) 悪人なのにこんなに簡単に往生が出来る
ものなのか、源太夫の往生を見届けるため登場させる必要があるとしても寺の住職の言動が不自然、
干飯を寺で要求するのも変で寺に寄る理由が必要だったのなら携帯食を貰う以外にもその場で何かを
食べちゃうのがフツーではないか?←あしたのために(その3)p(・ω・*q)ヾ(^。^;)もしかして伏線?
ところが、流石、苑子タンは寺に寄る場面をカットし、寺の住職を登場させない代りに左近丞と老僧
を登場させることで解決してみせたヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 源太夫に気付きをもたらした老僧の
一喝、ソレを踏まえて源太夫の往生を可能にした左近丞v( ̄∇ ̄)ニヤッ ちなみに、上記ラストシーンに
ついては、苑子タンは『西国巡拝記』(中公文庫,1980)で「ご利生ばなしに疑問」と明言してたから
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-12-28 )、然もありなん、だわな(^_^;)
「遺言」(⇒ http://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-06-04 )も関係あるかも(@_@;)
冒頭で「冬」に設定するのはラストシーンのための布石だが、同時に源太夫往生説話を知る読み手に
蓮は夏に咲くのに「冬」とすることで口から蓮が咲く往生の奇蹟性を高める狙いかと予想させといて
裏をかくためだったり(^_^;) 小説巧者の苑子タンは、それぐらいやりかねんオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

苑子タンの文庫本は共著も含め123冊所蔵も新潮文庫のはない、てゆーか、入ってないのかも(@_@;)
〈戦後傑作短篇55選〉という新潮社編『歴史小説の世紀 天の巻』(新潮文庫,2000)&『歴史小説の
世紀 地の巻』(新潮文庫,2000)に苑子タンの作品が選ばれていないことも、然もありなん(@_@;)
タグ:古典 説話 小説
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tai-yama

バイクで西へ行きたくなったり・・・・(でも、都内・神奈川超えは
オリンピックもあるので大変)。
源太夫が仏の代わりに「ここにあり」と答えても良かった気も(笑)。
by tai-yama (2021-08-02 23:39) 

ナベちはる

種本があることを知らずに評価したら(種本を読んでからだと評価が変わってしまうこともゼロではないので)ある意味では純粋な評価になりそうな気もしますが、種本があって存在する本なのでそれはそれで良くない気もします…((+_+))
by ナベちはる (2021-08-03 01:15) 

middrinn

源太夫が問いかけているのに、
tai-yama様、源太夫自身が
答えたら意味ないかと(^_^;)
by middrinn (2021-08-03 05:19) 

middrinn

ナルホド!( ̄◇ ̄;) おっしゃる通り、純粋な評価に( ̄◇ ̄;)
ナベちはる様、そして、その評価は、種本と内容が同一だった
なら、種本に対する評価にもなりますから面白いですね(^_^;)
by middrinn (2021-08-03 05:24) 

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