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210519読んだ本

読書の厄介なところは、「愛」と書いて「めぐみ」と読むような名前である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
3人の中では「大塚さん」が可愛かった(^^) 「鏡竜太郎」という役名も俵孝太郎を連想させ笑った(^_^;)

【読んだ本】

朧谷寿『清和源氏』(教育社歴史新書,1984)所蔵本

「1 源 満仲 ──多田荘開発の領主──」の「満仲の出家」という見出しの節に次の記述が(@_@;)

    /ところで、多田館における満仲の生活について語っているほとんど唯一のものは
    『今昔物語集』(巻第十九)である。それは出家にかかわる話で、かれが出家した
    のは寛和二年(九八六)八月十五日、七十五歳のことで、法名を満慶と称した
    (『尊卑分脈』)。/・・・ちなみに、出家後の満仲のことを多田新発意[しんほつい]
    とも号する。/・・・

「新発意」を「しんほつい」と読むなんて聞いたことが無いけど(@_@;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ今日もまた
和田英松(所功校訂)『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983)の出番じゃない? ということで、
『新訂 官職要解』の「第六章 神職・僧官位 二 僧官位」の中の「新発意」の項を引くよん(^o^)丿

    新発意[しんぽち] 『維摩経』や『法華経』に「新発意菩薩」という称号があるから、
    それによったのである。発意とは無上菩提を求むる意で、新発意とは発意ののちいまだ
    久しくないものをいう。これを略して新発[しんぽち]といったので、高階成忠[=
    高階貴子の父]のことを、『栄華物語』見はてぬ夢の巻には「二位の新発意」とし、
    『大鏡』には「二位の新発」とかいてある。どちらにしてもシンポチとよむのであるが、
    またシボチともいった。『源氏物語』に「明石の浦より、前の守しぼちの御舟よそひて
    まゐれるなり」と見え、小大君の[家]集にも見えている。

読みが「しんぽち」「シンポチ」となってるけど、「しんぼち」「シンボチ」ではないかな(@_@;)
古語辞典の「しんぼち」の項には〈「しんぽつい」からの変化〉とあるから変化の過程かな(@_@;)

とまれ、メチャ面白いのが、この後の「出家 入道」の項キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!!

    出家 入道 出家とは世の塵をさけて家を出る義である。入道とは仏道に入る義で、
    藤原道長、平清盛など出家したから、入道殿、太政入道などといったのである。
    また大入道というものもあったが、これは別に意味があったのではなく、北政所に
    対して大政所という類のごとく、道長を入道というのに対してその父兼家を大入道
    といったのである。/ただし、入道は貴人でなければ称することができず、ただの人は
    新発意[しんぽち]といったのだという説があるが、これは誤りである。新発意は、
    上にも述べた高階成忠が従二位であったのをみると、必ずしも身分の卑しいもの
    ばかりではない。入道とても貴人ばかりではなく、長崎入道円喜、桜山入道茲俊、
    赤松入道円心というのもあるし、『古事談』に「庄司次郎稲毛入道」と見え、
    『今昔物語』には「河内国入道尋祐」と見え、新発意二位成忠の孫筑前守成順
    [=伊勢大輔タンの夫]をばかえって入道とかいてあるから、新発意も入道も、
    さしたる区別はない。/もっとも、『神皇正統記』兼家出家のところに「執政の人、
    出家の始めなり。其頃、出家の人なかりしかば、入道殿となん申しけるによりて、
    源満仲出家したりしも、憚りて新発[しんぽち]とぞいひける。」とあるのを見ると、
    高階成忠も同じころ出家したのであるから、これも遠慮して新発意といったので
    あろうか。されど、満仲は円融天皇の御代に出家したことが、『尊卑分脈』や
    『今昔物語』に見え、兼家の出家(一条天皇の御代)よりは、よほど以前であるから、
    正統記の説もどうであろうか。[一条兼良の]『花鳥余情』には、道長を憚ったように
    書いてあるが、それはなおさら誤っている。このことについては大塚嘉樹氏の
    「入道称考」にもかいてあるから、参考するがよろしい。/

例証には著名な人物、用例も親しみある古典作品から引き、論の運び方も合理的と、説得力あるし、
何より権威に恐れ入ることなく、その誤りを指摘してるところが、読んでて小気味よいv( ̄∇ ̄)ニヤッ

だが、「満仲は円融天皇の御代に出家」はチト気になる(@_@;) 冒頭の引用によると『尊卑分脈』は
満仲が「出家したのは寛和二年(九八六)八月十五日」と記している由、寛和2年(986年)6月23日に
一条天皇は践祚しており、既に一条天皇の御代かと(@_@;) ただ、朧谷寿は本書で「もっとも『今昔
物語集』では出家の時期を六十余歳としており、『尊卑分脈』の寛和二年説よりも早く、・・・この
方が説得力はある。しかし、この話は説話性が強いから『今昔物語集』を文字どおりにうけとること
もできない。」と述べてるので、『今昔物語集』に依拠して「円融天皇の御代」の可能性も(@_@;)
なお、wikiの「源満仲」の項には〈翌永延元年(987年)多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人
と共に出家して満慶と称し、多田新発意(しんぼち)とよばれた。この出家について、藤原実資は日記
『小右記』に「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と記している。〉とあるが、藤原兼家が
出家したのは永祚2年=正暦元年(990年)5月8日ゆえ、満仲の出家は永延元年(987年)説に立っても
兼家の出家よりは「よほど以前」なので、論旨の破綻にはならないわな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

「新発意」は犬の名前に使えたり(笑)。源 満仲は朝廷の犬っ!
by tai-yama (2021-05-19 23:44) 

ナベちはる

「愛」で「めぐみ」は意外といるはずなのですが、普通は「あい」と読んでしまいますよね。名前は難しいです…
by ナベちはる (2021-05-20 00:43) 

middrinn

だ~か~ら~「シンポチ」ではなく、
tai-yama様、「シンボチ」(^_^;)
by middrinn (2021-05-20 05:11) 

middrinn

「大塚愛」も、「あい」と読む有名人がいるので、
ナベちはる様、「めぐみ」と読みませんね(^_^;)
by middrinn (2021-05-20 05:13) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
ドキドキ!プリキュアでは、相田マナ(キュアハート)というキャラが出てきますが、「マナ」は漢字では「愛」と書きます。
名前は当て字が多いですからね。
by ネオ・アッキー (2021-05-20 05:38) 

middrinn

「愛」を「マナ」ですかぁ( ̄◇ ̄;)
それはちょっと読めませんね(^_^;)
by middrinn (2021-05-20 05:41) 

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