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210509読んだ本

読書の厄介なところは、バカがうつるのではなく元々バカなことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
バカにつける薬は無く、バカの感染予防にはワクチン接種、すなわちバカチンを・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
どうやら過失によるパクリではなくパクリ癖があること、そして頭が悪いことが判明したかな(^_^;)
日刊スポーツ真柴健が〈オリックス田嶋は希少な絶滅危惧種「必要な知識は本で取り入れている」〉
と題して、プロ野球番記者コラム「四季オリオリ」に書いてた(^^)

    ・・・本へのこだわりを聞いてみると「本以上にいい『教科書』があるのかなと僕は
    思ってます。社会人になってから、いろんな本を読むようになって…。本を書くには、
    それ相応の知識、筆記力、語彙(ごい)力がないと、書けないと僕は思っています」。
    田嶋の説明は、もっともだと思う。

笑顔を見たことが無い田嶋大樹投手の読書量には感心だけど、ほとんどパクリの本もありそう(^_^;)

    ・・・/ただ、書かれている全ての内容を信じ込むわけではなく「結局、(内容を)
    覚えてないですよ」と笑う。/「本って、その1冊で、1文字、自分にグッとくるものが
    あったらいいんです。大事なのは、その瞬間なんです。だから、覚えてないです。
    そのとき必要だった言葉を探して(本から)もらって、行動して、じゃあ次いこう!って」
    /何百ページと読んで、胸に残るのは一文節でもいい。・・・

ナルホド( ̄◇ ̄;) 刹那主義的でカッコいいかも(^^) 積み重ねで最終的には10勝以上を期待(^o^)丿

【読んだ本】

樋口芳麻呂(校注)『新潮日本古典集成 金槐和歌集』(新潮社,1981)

(副題に鳥肌なのは後述も)本書の樋口芳麻呂による「解説 金槐和歌集──無垢な詩魂の遺書」の
「和歌との出会い」「定家との交流」と題された両節は興味深い内容だけど、チト呆れた件も(^_^;)

    ・・・/元久二年[1205年]九月二日、実朝は京都から内藤知親が持参した
    『新古今和歌集』を受領する。・・・/実朝は躍る心で『新古今集』を見る。
    父頼朝の歌は、羇旅と雑下の両部に各一首が載せられている。知親の歌が
    どれであるかも本人に聞く。敬愛する後鳥羽院の歌や、大江広元の女婿で
    『新古今集』の撰者の一人でもある飛鳥井雅経の歌も数多い。父頼朝が偶然
    鶴岡八幡宮で出会って一夜歓談し、和歌について尋ねたところ、「花月に向って
    心が動く時三十一文字をひねるだけだ」と語ったという西行や、父が上京中
    歌を詠み交わしたと聞く慈円の歌がずば抜けて多いことにも驚く。知親の歌の師
    と聞いて関心の動く定家の歌を読んでみると、わかりやすくはないが、高度に
    芸術的であることに感銘を覚える……。実朝はこの新しい勅撰集にすっかり
    魅了されたことであろう。/・・・

この240頁の件は好きだな(^^) 待望の本が届いた時は興奮しながら貪り読んじゃうものねぇ(〃'∇'〃)
盗作癖を当時から指摘されてた「飛鳥井雅経」と盗作将軍源実朝の交流、もっと注目すべきかと(^_^;)

    ・・・/前掲の『吾妻鏡』承元三年[1209年]七月五日の記事に見られたように、
    実朝は建永元年[1206年]以後の歌三十首を選抜し、内藤知親を使者として
    定家のもとに届けさせ、合点[がってん](よい歌に鉤型の線で印をつけること)
    を依頼するのであるが、初めてまとまった形で和歌を詠んだと伝えられる十四歳の
    元久二年[1205年]以後、十八歳で定家の教えを乞うに至るまでの五年間は、とくに
    すぐれた師もなく、知親から伝え聞く定家の詠作手法などを頼りに、歌好きの側近たちと、
    『新古今集』を中心として作歌の勉強に励んだのであろう。・・・/本書の頭注及び
    「参考歌一覧」(巻末付録)に掲出したように、実朝の歌は、実に多くの古今の歌に
    依拠している。そしてとくに『新古今集』の影響が著しい。この事実には、『新古今集』
    に魅せられた実朝が、いかに熱心にこの歌集を反復熟読し、自家薬篭中のものにしたかを
    物語っている。藤原定家に接するまでの初学期の五年間はこの『新古今集』の耽読に
    費やされたようだ。が、また当時の作風に従って歌を詠むためには、本歌取りの勉強も
    不可欠であるから、『古今集』を始めとする三代集、さらには『万葉集』へと視野を広げ、
    親しんでいったのであろう。だが残念なことに『金槐和歌集』の歌は、ほとんどが
    詠作時期不明であるので、この時期に詠まれた歌を判別することは困難である。
    ただ一般的にいうなら、『新古今集』以下の古今の歌に依存する度合が甚だ大きく、
    独自性の乏しい歌は、初学期の習作とみてよいのであろう。・・・

この本書241~242頁では、実朝が『新古今和歌集』を「反復熟読」「耽読」してた点は要注目(^o^)丿
実朝の家集『金槐和歌集』をバラバラ眺めていると、どこかで見た気がする歌が結構あるんだけど、
ソレらは「初学期の習作」なのかしら(^_^;) 実朝の辞世とされる歌、本書の「参考歌一覧」によって
実は在原業平、藤原清正、式子内親王、菅原道真の4首をコラージュした歌と判明し、「独自性」など
皆無だけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-22 )、「初学期の習作」
になるのかな(^_^;) となると、〈辞世〉というのもおかしな話で、偽作説に立つべきなのかな(^_^;)

「定家との交流」に入ると、大変重要なことが述べられてる(^^) 先ずは本書243~244頁から引く(^^)

    /『吾妻鏡』承元三年(一二〇九)八月十三日条に、/・・・/とあるように、
    実朝は、七月五日に知親に届けさせた三十首の歌の合点とともに『詠歌口伝』一巻を
    藤原定家から献上されている。この書は普通には『近代秀歌』と呼ばれる著名な歌論書で、
    歌はどのように詠んだらよいのかと実朝に尋ねられて、定家が平素抱いている見解を
    書きしるしたものである。内容は歌論部分と、その理解を助けるための補説部分とに
    分れている。歌論部分は、前半に和歌の史的概観が、後半に歌論的主張と本歌取りの
    方法が述べられている。補説部分は、歌論部分前半に名を掲げた近代六歌仙(源経信・
    俊頼・藤原顕輔・清輔・基俊・俊成)の秀歌二十七首(一本には二十五首)を列挙し、
    うち四首はこの人々が「古き歌をこひねが」って行った本歌取りの具体例にも宛てている。
    また、歌論部分後半の記述中で戒めた不自然な表現の具体例も挙げている(この実朝の
    ための補説部分は、定家が自説を理解してもらおうとする心細かい配慮を示すものだが、
    後年に書かれた『近代秀歌』の定家自筆本では削られ、八十三首の秀歌例が代りに掲出
    されている)。/『近代秀歌』の構成は以上のようであるが、定家の主張の眼目は、/
    ・・・/の件にある。すなわち定家は、寛平(宇多天皇の御代)以前の歌に学び、
    方法的には本歌取りを正しく行うことをすすめているのである。・・・
       
このような藤原定家の指導を実朝は受けたにもかかわらず、その歌は一般に万葉調とされて(それが
評価されて)いるのは、定家の教えが実朝にちゃんと伝わらなかったから、と本書245頁( ̄◇ ̄;)

    ・・・「寛平以往の歌に倣」えとすすめている点にだけ注目すると、定家は、
    遍昭・業平ら以前の歌に倣えと説いているようにも読めそうである。つまり、
    寛平以前の歌ならなんでもよく、『古今集』の六歌仙時代の歌だけでなく、
    読人しらず時代、さらには『万葉集』の歌にも学べと教えているようにも
    解せそうなのである。実朝は、定家の説をまさにそのように受け取ったのでは
    なかろうか。そして自分の好尚にも合致する『万葉集』により深く親しんで
    いったのかもしれない。/同じく定家の手になると伝えられる歌論書
    『毎月抄』では、『万葉集』について、/・・・/と述べ、初心者の学習を
    禁じている。だが、『毎月抄』は、定家の歌論書かどうか真偽両説があって
    なお問題が残るし、少なくとも『近代秀歌』では、『万葉集』への親炙を
    明確には戒めていないのである。恐らく実朝は、定家の理想とする「寛平以往」
    の歌を『万葉集』と重ね合せ、好尚の赴くままに大らかな調べを自らも奏でる
    ようになったのではなかろうか。/・・・

〈定家の理想とする「寛平以往」の歌〉とは、「僧正遍昭・在原業平・素性法師・小野小町の歌風、
すなわち紀貫之とは違って、余情妖艶の躰をも兼ね備えた彼ら[ママ]の歌風を指している」(本書
244~245頁)わけだけど、実朝は上述のように誤解してしまったのではないかと本書は推論( ̄◇ ̄;)
やっぱり通信教育やオンライン授業に教育効果を期待しても限界が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 続けて、本書
245~246頁は本歌取りについて次のように述べているv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/本歌取りの手法を説く件りで、定家は、/・・・/と述べ、同時代の人の歌句を
    取ることを明らかに禁じている。実朝が送ってよこした三十首の歌に、『新古今集』の
    現存歌人の詠が憚[はばか]るところなく取り込まれているのを見て、定家は眉をひそめ、
    正しい本歌取りのありようを教えようとしたのであろう。だが、この点については、
    『金槐集』に収められた歌を見る限り、実朝は定家の訓戒を忠実に守ろうとしたとは
    思えない。/・・・

引用を省略した「つぎに今の世に・・・必ず避[さ]らまほしく思うたまへ侍るなり」という件は、
橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)の
藤平春男による現代語訳で引いておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・次に、現代の歌界でいっしょに歌を詠んでいる人たち、たとい故人であっても、
    その人々の最近に詠んだ歌については、ほんの一句でも、これは現代歌人のあの人が
    詠んだあの歌の詞句だとわかるようなことは、必ず避けたいと存じております。/・・・

実朝の辞世とされる歌は式子内親王の『新古今和歌集』入集歌に酷似し本歌取りとは言えないと指摘
したのは(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-11-05 )、まさにこの点(^^)v
菅原道真の歌との類似はよく指摘されてて、「本歌」としてる本もあるけど、道真の歌と同心・同題
だから、藤原定家の「本歌取り」の準則に違反していることも、併せて指摘しているよv( ̄∇ ̄)ニヤッ
〈辞世〉とされているけど、この『近代秀歌』が届いた「承元三年(一二〇九)八月十三日」以前に
詠んだ歌なのかな(@_@;) んにゃ、これだけ明確に師から禁止されていても、「実朝は定家の訓戒を
忠実に守ろうとしたとは思えない」とあるから、実朝のホンモノの辞世の歌なのかもしれない(^_^;)

さて、「・・・実朝は、同時代の人の歌句も、古人の歌の本歌取りと同様な態度で摂取していること
・・・」(本書246頁)を本書246頁は次のように弁護してて、呆れたぞ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?

    ・・・/すでに五年間、『新古今集』に浸りきり、実朝独自の流儀で歌を詠んで
    きているので、惰性は容易に改まらなかったためともいえようし、また、東国に
    住んでいるせいで、京都の歌人のように歌会で始終顔を突き合わせ、人の歌句を
    盗んだといわれはしないか、創意を疑われないかなどと神経質になる必要は皆無
    であったせいでもあろう。だいいち都の現代歌人といっても、ほとんどは面識が
    なく、実朝にとっては古人とたいして違わないのだから、定家の注意も深刻には
    響かなかったものと思われる。・・・    

もし本気で書いてたなら、頭が悪いね( ̄◇ ̄;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ思慮が不足とか粗忽といった評言を!
先ず都から離れた東国にいるから「現代歌人」なのか「古人」なのかが判らぬと言わんばかりだが、
樋口芳麻呂のような一流の専門家に素人が言うのも変だけど、和歌には、何時、どのような状況で、
誰に対して詠んだか等といった詠作事情を明らかにする詞書というものがあり、『新古今和歌集』の
「現代歌人」の歌は、撰者たちが同時代人なんだから、その詞書も付されているケースが多くなり、
実朝が『新古今和歌集』を「反復熟読」「耽読」してたとするなら、どの歌人が「現代歌人」であり
「古人」でないかは詞書から判ったはずだろオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 式子内親王の『新古今和歌集』
入集歌の「斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をも経るかな」の詞書に「後白河院隠れ
させ給ひて後、百首歌に」とあるのを見て、後白河院崩御は自分が生まれた建久3年(1192年)だから
作者の式子内親王は自分と同時代の「現代歌人」だな、と実朝も悟ったはずオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
式子内親王の『新古今和歌集』入首歌数は第5位で定家(第6位)より多く、そのほとんどの歌の詞書
にある「百首歌」は、他の歌人の詞書にも頻出するから、何だろうと実朝は内藤知親あたりに訊ね、
正治2年(1200年)の後鳥羽院主催の百首歌であることも知ったかと(^^) つまり、式子内親王を始め
誰が「現代歌人」なのかは『新古今和歌集』を「反復熟読」「耽読」してたら判るはずv( ̄∇ ̄)ニヤッ
「都の現代歌人といっても、ほとんどは面識がなく、実朝にとっては古人とたいして違わない」とは
強弁だし、「面識」があっても「盗ん」でるじゃん(⌒~⌒) 頭注欄(本書20頁)と「参考歌一覧」
(本書270頁)によると次の通りC= (-。- ) フゥー

    み冬つぎ 春し来ぬれば 青柳の 葛城山に かすみたなびく(『金槐和歌集』源実朝)
    み冬つぎ 春は来たれど 梅の花 君にしあらねば 招く人もなし(『万葉集』大伴書持)
    白雲の 絶え間になびく 青柳の 葛城山に 春風ぞ吹く(『新古今和歌集』藤原雅経)
    冬過ぎて 春来たるらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく(『万葉集』作者未詳)

藤原(飛鳥井)雅経は「面識」あるけど自身も盗作癖があるから、「歌句を盗んだといわれはしない」
だろうけど(^_^;) 元々は雅経から誤学習したのかも(^_^;) この歌も「初学期の習作」だとしても、
そもそも『金槐和歌集』に入ってるんだから、自撰なら、やはり「定家の訓戒を忠実に守ろうとした
とは思えない」(^_^;) 自ら指導をお願いしたくせにね(^_^;) それでも、「無垢な詩魂」かよ(゚ロ゚;)

さて、さて、さ~て!坂井孝一『源実朝 「東国王権」を夢見た将軍』(講談社選書メチエ,2014)は
巻末の「史料・参考文献」に本書を挙げているが(同書267頁)、同書の70頁を引く((;゚Д゚)ヒィィィ!

    ・・・/実際、『金槐和歌集』には存命中の『新古今』歌人の歌を本歌とした作が
    少なからずみられる。このことから察するに、実朝が独学で詠作し、定家に添削を
    求めた三十首のなかにも同様に歌が複数あり、定家は本歌取りの正しい方法を教える
    必要を感じたのではないか。/しかし、京都歌壇でつねに顔見知りの歌人たちと
    詠作活動をしている定家と、鎌倉にいる実朝とでは明らかに環境が違う。時折、
    鎌倉に下ってくる歌人に会って話をする程度の実朝には、存命中の歌人の歌という
    リアリティーがなかったのであろう。むろん、環境が変わらなければ感覚の変化も
    起こりえない。けっきょく、実朝は『金槐和歌集』にいたるまで独自の型破りな
    本歌取りを駆使して詠作を続けていくことになる。/・・・

メチャ既視感がヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 坂井孝一の同書は、同じように「史料・参考文献」には挙げながら、
本文では引用も言及も全くせずに先行研究の指摘を、まるで自らの創見であるかの如く記してたけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-28 )、常習性があるのかな(@_@;)

・坂井孝一の本書の和歌に関する記述には顔を顰めてしまったぞ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-15

・源実朝の辞世とされる和歌の論評を見ると坂井孝一は和歌の読解力に難ありオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-23
タグ:和歌
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

もしかして、定家の教えとは「最近の歌をパクるとバレるので
やめておけ」と言う意味だったり(笑)。
by tai-yama (2021-05-09 23:22) 

ナベちはる

「何百ページと読んで、胸に残るのは一文節でもいい。・・・」
カッコいい言葉ですね☆彡
by ナベちはる (2021-05-10 00:53) 

middrinn

他方で、何の古歌を本歌取りしたか分かるのが、
tai-yama様、いいとか言ってたような(^_^;)
by middrinn (2021-05-10 05:00) 

middrinn

「何百ページ」も読むところからして、
ナベちはる様、カッコいいです(^_^;)
by middrinn (2021-05-10 05:02) 

ニッキー

「自分にグッとくるものがあれば良い」
おぉ、カッコイイ_φ( ̄ー ̄ )
最近はランばかりでゆっくり本を読んでないので
富士山の抽選が外れたら読書しようかな=(^.^)=
by ニッキー (2021-05-10 19:26) 

middrinn

拙ブログは他人に薦められるような本を取り上げる
ことが少ない点が残念なところですね(ノ_-;)トホホ…
by middrinn (2021-05-10 19:54) 

yokomi

分からん者なので(^_^;)、「詠作事情を明らかにする詞書」が有るとは始めて知りました。1つ勉強(^_^)v ラジオで川柳番組を聴いていましたが、印象に残った句がいつか頭から湧き盗作と言われそうで、聴くのをやめました(>_<)
by yokomi (2021-05-12 10:47) 

middrinn

『百人一首』には詞書はありませんが、『新古今和歌集』等の勅撰集や
個人の家集には、たいてい和歌の右側に詞書(本文の例では「後白河院
隠れさせ給ひて後、百首歌に」)があって、その歌が〈後白河院が崩御
された後、「百首歌」で詠んだ〉という詠作事情が判るようになってて、
また『古今和歌集』等では和歌の左側に左注というのがある場合があり、
その歌を読み解く上で重要ですし、また伝記的事実を示す資料にも(^^)
by middrinn (2021-05-12 17:08) 

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