業平・小町の好色歌合戦キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!
在原業平は3733人と関係を持ったとの妄説あるけど(和歌知顕集)、小野小町より大輔(後撰集入集が
女性で第2位⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-02 )の方が凄いだろ(^_^;)
4月期限の貼るカイロは残り8個も既に春(〝貼る〟と掛けた)のような陽気で使い切れるか心配(+_+)
【読んだ本】
渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)
阿部俊子(全訳注)『伊勢物語(上)』(講談社学術文庫,1979)を基本テキストにして、片桐洋一&
福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語
平中物語』(小学館,1994)の福井貞助による校注・訳、石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語
訳』(角川文庫,1979)、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』(講談社文庫,1972)、中河與一
(訳注)『伊勢物語 付 現代語訳』(角川文庫,1953)等で補いつつ、『伊勢物語』をチンタラと読む
ハッピーセットの第18回w(゚o゚)wオー!ノー! 第18段は、昔、生半可な風流心のある女がいて、男が近くに
住んでいたが、女は歌人だったので、男の心を試そうと、菊の花が色あせたのを折って、男へ送り、
紅に にほふはいづら 白雪の 枝もとををに 降るかとも見ゆ
菊の花は、盛りをすぎると、紅色に色変わりしていくといいますが、その紅色に
色づくということは、いったいどうしたのです、どこにも見あたりませんよ。
すこしは色がついているようですが、まるで白雪が、枝もたわむほどに
一面に降り積もっているのかしらと思われるくらい、まっ白にも見えますよ
(女性関係がはでだと聞いてますけど、そのはでだといわれているおふるまいは、
どうなさったのです、どうも、それらしいところ、あまり、お見受けできませんけれど……)。
男は女の歌の含意が解らないふりをして返歌をした、
紅に にほふがうへの 白菊は 折りける人の 袖かとも見ゆ
ほんとうは、紅色に色づいているのですが、それがわからないくらいに
表面のところが白く見える白菊は、今こうして、ようく見ますと、
折ってくださったお方の、赤と白とが重なった袖口の色のようにも見えますね。
という内容で、この2首は解り難いと言われている由、とりあえず森野宗明の訳を引いてみた(@_@;)
男の返歌の含意は「よい御趣味とお見うけしました」(阿部俊子)というものだけど、森野宗明は
〈「しらずよみに」よんだというわけで、訳としては、一応、ここでとめておくべきだろう。ただ、
裏には、当然、はでもはでじゃないも相手しだいさ、と軽くいなす気持ちがある。〉とする(@_@;)
渡辺実も男の返歌を「先だけ赤い白菊を、女の襲着[かさねぎ]の袖口に見立て、白い上着の袖から
赤い下襲の見えるあなたこそ、下には好色の心があるのでしょう、という揶揄であろう。」(本書32
頁頭注3)と評しているが、「男、知らずよみよみにける。」との整合性が難点かとC= (-。- ) フゥー
渡辺実は本書の巻末の「解説 伊勢物語の世界」で「『伊勢物語』の最も嫌悪するもの、それは似而非
[えせ]みやび、『伊勢物語』の言葉で言えば「なま心[生半可な風流心]」だったのである。」
(151頁)として、本段について興味深い解釈(151~152頁)を展開する( ̄◇ ̄;)
・・・/これは十八段の全文で、一読のまま読み過されそうな短小な段だけれども、
籠められている内容は決して浅くない。男の返歌がもう一つ中身のはっきりしない歌
だという点は気づかれやすいが、それは女の歌に対する「知らずよみ」(知らぬふりで
詠む)の返歌だからであろう。このこと自体、既に女への軽侮と見るべきだけれども、
返歌の形式の慇懃がその軽侮に輪をかけている点を、特に見逃してはなるまい。
返歌の詠い出し「紅ににほふ」は贈歌のそれの襲用である。そして返歌の詠いおさめ
「かとも見ゆ」もまた贈歌のそれの襲用である。贈歌の字句の一部を襲用するのが、
返歌の形式上の礼儀なのだとは言え、首か尾かどちらか一方ではなしに、その両方を
贈歌にあわせるという念の入れ方は、この場合おそらく男の慇懃無礼を意味する。
念のため言えば、返歌が贈歌の鸚鵡返しであること自体が相手への慇懃無礼を意味する、
というわけではない。例えば百二十一段の場合のような一種の鸚鵡返しは、むしろ
間髪入れぬ機転のあらわれであった。しかし十八段の場合には、返歌の内容の
「知らずよみ」の空しさゆえに、形式の密着はそらぞらしい慇懃無礼となるのである。/
特にこの場合、女への軽侮を示すのが、作者よりもまず作中当事者たる男であることが、
十四段の場合との相違として注目されねばならぬ。十四段の男が持っていた「みやび」の
弁えを、十八段の男は捨てているのである。作者のほうは十四段の女に対したような
嗤いを浴びせはしないが、男の露骨な愚弄を語る姿勢の中に、すでに作者の評価は
明瞭である。そして十八段の女が、作者のみならず当事者たる男からさえ、
このような扱いを受けねばならなかったのは、彼女が「なま心」ある女だったから
であった。「女、歌よむ人なりければ」とあるのは、普通ならば女の才を賞する言葉
であるべきだが、この段ではむしろ逆をとった揶揄なのではあるまいか。少なくとも
『伊勢物語』の最も嫌悪するものが、田舎の「ひなび」であるよりは都にある「なま心」
であったことは、甚だ興味ある事実として注目されるのである。/・・・
第14段についての渡辺実の解釈(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-12 )
も他書と異なるが、「みやび」を目指す〈チンタラ伊勢物語〉にとって道は遠く嶮しい感( ̄◇ ̄;)
〈お笑い伊勢物語〉を片桐洋一『伊勢物語全読解』(和泉書院,2013)160頁は紹介してるよ(⌒~⌒)
/『書陵部本和歌知顕集』は、次の十九段と関連させたのか、この女を紀有常女
としているが、『冷泉家流伊勢物語抄』は、「なま心ある」という語を好色の意に
解して、女を小野小町のこととしている。そして、そのせいか、贈歌を「君が色の
有るといふはいづら。好色とは名ばかりにて、枝もたははに雪のふりたるとこそ見れ」
と解説し、答歌を「色有る我を色なしといふは、おの身の上とこそ見れ」と解している。
つまり、男女が互いに相手に対して、「好色だと評判だが、実はその好色が
外に表れていないではないか」と揶揄していると解しているのである。/このような
「相手の色好みぶりは大したことはない」と揶揄し合っているという理解は、
宗祇以降の注釈書にも継承されている。・・・
小野小町と在原業平による好色歌合戦ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 渡辺実も昔の注釈書に感染してたりして(^_^;)
なお、片桐洋一の同書161~162頁は契沖の『勢語臆断』が『貫之集』&『拾遺和歌集』の女と紀貫之
の贈答歌の詞書に示されている状況と第18段との酷似を指摘していることを紹介(阿部俊子の補説や
石田穣二の補注も契沖に言及して『貫之集』は指摘も『拾遺和歌集』のことは記してない)( ̄◇ ̄;)
・・・この両者の共通性を偶然と見ることもできるが、これだけの語彙の相似と
行文の共通性は、一方が一方を意識してのことと見るのが自然であると思う。つまり、
『伊勢物語』は『貫之集』を意識したと見るべきではないかと思うのである。・・・
斯く同書162頁は判断した後、『伊勢物語』の生成過程へと話は進むのだが、既にお気付きのように、
その論点に小生は興味が無く(故に取り上げて来なかった)、改めて思ったのは、契沖の凄さ(^o^)丿
目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)は『貫之集』の
当該贈答歌を取り上げながら、『伊勢物語』と酷似することに気付いてねーしオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
萩谷朴『歴史366日 ─今日はどんな日─』(新潮選書,1989)の1月25日の「僧契沖 逝く」の項(^^)
一七〇一年(元禄十四)。大坂生玉の曼陀羅院住職というよりは、国学者として、
しかも、後輩の本居宣長や賀茂真淵よりもはるかに科学的な実証主義の研究態度で
知られる契沖。六十二歳。
・『伊勢物語』が描く「みやび」( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-28 )、
日本文化として脈々と受け継がれているとされるがイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-29
・17歳年下から17歳年上まで、この男の守備範囲の広さはゴールデングラブ賞ものやね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
・在原業平の歌は鬼たちを感じ入らせるほどじゃなかったということかしらオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-07
・今井源衛の頭の悪さは知ってたが、敢えて言おう、バカチンであるとヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-22
在原業平は3733人と関係を持ったとの妄説あるけど(和歌知顕集)、小野小町より大輔(後撰集入集が
女性で第2位⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-02 )の方が凄いだろ(^_^;)
4月期限の貼るカイロは残り8個も既に春(〝貼る〟と掛けた)のような陽気で使い切れるか心配(+_+)
【読んだ本】
渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)
阿部俊子(全訳注)『伊勢物語(上)』(講談社学術文庫,1979)を基本テキストにして、片桐洋一&
福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語
平中物語』(小学館,1994)の福井貞助による校注・訳、石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語
訳』(角川文庫,1979)、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』(講談社文庫,1972)、中河與一
(訳注)『伊勢物語 付 現代語訳』(角川文庫,1953)等で補いつつ、『伊勢物語』をチンタラと読む
ハッピーセットの第18回w(゚o゚)wオー!ノー! 第18段は、昔、生半可な風流心のある女がいて、男が近くに
住んでいたが、女は歌人だったので、男の心を試そうと、菊の花が色あせたのを折って、男へ送り、
紅に にほふはいづら 白雪の 枝もとををに 降るかとも見ゆ
菊の花は、盛りをすぎると、紅色に色変わりしていくといいますが、その紅色に
色づくということは、いったいどうしたのです、どこにも見あたりませんよ。
すこしは色がついているようですが、まるで白雪が、枝もたわむほどに
一面に降り積もっているのかしらと思われるくらい、まっ白にも見えますよ
(女性関係がはでだと聞いてますけど、そのはでだといわれているおふるまいは、
どうなさったのです、どうも、それらしいところ、あまり、お見受けできませんけれど……)。
男は女の歌の含意が解らないふりをして返歌をした、
紅に にほふがうへの 白菊は 折りける人の 袖かとも見ゆ
ほんとうは、紅色に色づいているのですが、それがわからないくらいに
表面のところが白く見える白菊は、今こうして、ようく見ますと、
折ってくださったお方の、赤と白とが重なった袖口の色のようにも見えますね。
という内容で、この2首は解り難いと言われている由、とりあえず森野宗明の訳を引いてみた(@_@;)
男の返歌の含意は「よい御趣味とお見うけしました」(阿部俊子)というものだけど、森野宗明は
〈「しらずよみに」よんだというわけで、訳としては、一応、ここでとめておくべきだろう。ただ、
裏には、当然、はでもはでじゃないも相手しだいさ、と軽くいなす気持ちがある。〉とする(@_@;)
渡辺実も男の返歌を「先だけ赤い白菊を、女の襲着[かさねぎ]の袖口に見立て、白い上着の袖から
赤い下襲の見えるあなたこそ、下には好色の心があるのでしょう、という揶揄であろう。」(本書32
頁頭注3)と評しているが、「男、知らずよみよみにける。」との整合性が難点かとC= (-。- ) フゥー
渡辺実は本書の巻末の「解説 伊勢物語の世界」で「『伊勢物語』の最も嫌悪するもの、それは似而非
[えせ]みやび、『伊勢物語』の言葉で言えば「なま心[生半可な風流心]」だったのである。」
(151頁)として、本段について興味深い解釈(151~152頁)を展開する( ̄◇ ̄;)
・・・/これは十八段の全文で、一読のまま読み過されそうな短小な段だけれども、
籠められている内容は決して浅くない。男の返歌がもう一つ中身のはっきりしない歌
だという点は気づかれやすいが、それは女の歌に対する「知らずよみ」(知らぬふりで
詠む)の返歌だからであろう。このこと自体、既に女への軽侮と見るべきだけれども、
返歌の形式の慇懃がその軽侮に輪をかけている点を、特に見逃してはなるまい。
返歌の詠い出し「紅ににほふ」は贈歌のそれの襲用である。そして返歌の詠いおさめ
「かとも見ゆ」もまた贈歌のそれの襲用である。贈歌の字句の一部を襲用するのが、
返歌の形式上の礼儀なのだとは言え、首か尾かどちらか一方ではなしに、その両方を
贈歌にあわせるという念の入れ方は、この場合おそらく男の慇懃無礼を意味する。
念のため言えば、返歌が贈歌の鸚鵡返しであること自体が相手への慇懃無礼を意味する、
というわけではない。例えば百二十一段の場合のような一種の鸚鵡返しは、むしろ
間髪入れぬ機転のあらわれであった。しかし十八段の場合には、返歌の内容の
「知らずよみ」の空しさゆえに、形式の密着はそらぞらしい慇懃無礼となるのである。/
特にこの場合、女への軽侮を示すのが、作者よりもまず作中当事者たる男であることが、
十四段の場合との相違として注目されねばならぬ。十四段の男が持っていた「みやび」の
弁えを、十八段の男は捨てているのである。作者のほうは十四段の女に対したような
嗤いを浴びせはしないが、男の露骨な愚弄を語る姿勢の中に、すでに作者の評価は
明瞭である。そして十八段の女が、作者のみならず当事者たる男からさえ、
このような扱いを受けねばならなかったのは、彼女が「なま心」ある女だったから
であった。「女、歌よむ人なりければ」とあるのは、普通ならば女の才を賞する言葉
であるべきだが、この段ではむしろ逆をとった揶揄なのではあるまいか。少なくとも
『伊勢物語』の最も嫌悪するものが、田舎の「ひなび」であるよりは都にある「なま心」
であったことは、甚だ興味ある事実として注目されるのである。/・・・
第14段についての渡辺実の解釈(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-12 )
も他書と異なるが、「みやび」を目指す〈チンタラ伊勢物語〉にとって道は遠く嶮しい感( ̄◇ ̄;)
〈お笑い伊勢物語〉を片桐洋一『伊勢物語全読解』(和泉書院,2013)160頁は紹介してるよ(⌒~⌒)
/『書陵部本和歌知顕集』は、次の十九段と関連させたのか、この女を紀有常女
としているが、『冷泉家流伊勢物語抄』は、「なま心ある」という語を好色の意に
解して、女を小野小町のこととしている。そして、そのせいか、贈歌を「君が色の
有るといふはいづら。好色とは名ばかりにて、枝もたははに雪のふりたるとこそ見れ」
と解説し、答歌を「色有る我を色なしといふは、おの身の上とこそ見れ」と解している。
つまり、男女が互いに相手に対して、「好色だと評判だが、実はその好色が
外に表れていないではないか」と揶揄していると解しているのである。/このような
「相手の色好みぶりは大したことはない」と揶揄し合っているという理解は、
宗祇以降の注釈書にも継承されている。・・・
小野小町と在原業平による好色歌合戦ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 渡辺実も昔の注釈書に感染してたりして(^_^;)
なお、片桐洋一の同書161~162頁は契沖の『勢語臆断』が『貫之集』&『拾遺和歌集』の女と紀貫之
の贈答歌の詞書に示されている状況と第18段との酷似を指摘していることを紹介(阿部俊子の補説や
石田穣二の補注も契沖に言及して『貫之集』は指摘も『拾遺和歌集』のことは記してない)( ̄◇ ̄;)
・・・この両者の共通性を偶然と見ることもできるが、これだけの語彙の相似と
行文の共通性は、一方が一方を意識してのことと見るのが自然であると思う。つまり、
『伊勢物語』は『貫之集』を意識したと見るべきではないかと思うのである。・・・
斯く同書162頁は判断した後、『伊勢物語』の生成過程へと話は進むのだが、既にお気付きのように、
その論点に小生は興味が無く(故に取り上げて来なかった)、改めて思ったのは、契沖の凄さ(^o^)丿
目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)は『貫之集』の
当該贈答歌を取り上げながら、『伊勢物語』と酷似することに気付いてねーしオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
萩谷朴『歴史366日 ─今日はどんな日─』(新潮選書,1989)の1月25日の「僧契沖 逝く」の項(^^)
一七〇一年(元禄十四)。大坂生玉の曼陀羅院住職というよりは、国学者として、
しかも、後輩の本居宣長や賀茂真淵よりもはるかに科学的な実証主義の研究態度で
知られる契沖。六十二歳。
・『伊勢物語』が描く「みやび」( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-28 )、
日本文化として脈々と受け継がれているとされるがイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-29
・17歳年下から17歳年上まで、この男の守備範囲の広さはゴールデングラブ賞ものやね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
・在原業平の歌は鬼たちを感じ入らせるほどじゃなかったということかしらオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-07
・今井源衛の頭の悪さは知ってたが、敢えて言おう、バカチンであるとヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-22