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200220読んだ本

高校の3年間に当時の三大予備校に通ってはみたけれど、どこが良かったとか全く判らんなぁ(@_@;)

【読んだ本】

雨海博洋&岡山美樹(全訳注)『大和物語(上)』(講談社学術文庫,2006)所蔵本

「第五十一段は、何人かの姉妹の中から、自分だけが斎院[←賀茂神社に奉仕する未婚の皇女で色々
と不自由を強いられる]になったのを嘆き、これも父帝の愛情に分けへだてがあるからだと恨む話で
ある。」と補説にある第51段を本書の現代語訳で紹介する(⌒~⌒) ちなみに、他書は帝を宇多天皇、
斎院を君子内親王とするのに対し、本書は清和天皇、敦子内親王としており、説得力あるかと(^_^;)

    斎院から帝に、

      同じえを わきてしもおく 秋なれば 光もつらく おもほゆるかな

       同じ木の枝であるのに、(日が当たらず)、霜の置き方に分けへだてのある
       秋なので、日の光も恨めしく思われることよ。 

    (帝から)御返事、

      花の色を 見ても知りなん 初霜の 心はわきて おかじとぞおもふ

       (春にいっせいに咲く)花の色を見ればわかるでしょう。初霜は枝によって
       分けへだてなどして置かないと思っていますよ。

帝の返歌は〈「初霜」は父帝自身をさし、春、花が一様に咲くのは、霜が分けへだてなく置いたから
だということ。〉と本書の語釈にあるけど、ナルホド得心で問題ナシオン主権であるv( ̄∇ ̄)ニヤッ

駿台予備校で古文を教えてた高橋正治は『大和物語』に関する専門書を数冊出してるが、片桐洋一&
福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語
平中物語』(小学館,1994)の高橋正治による帝の歌の訳は、誤訳ではないかとエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    春になればどの枝にも同じように花が咲くでしょうが、その花の色を見ても
    きっとおわかりになるでしょう。初霜は、まちまちにかってに置くにしても、
    私の愛情はだれかれと差をつけていないつもりですよ。

こんな風に「初霜の心はわきておかじ」を訳したら大学入試では不合格だろうオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
「初霜は、まちまちにかってに置」かれたら「同じように花が咲」くわけがないオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

なお、この贈答歌、『紫式部日記』の「女郎花さかり色を見るからに露のわきける身こそしらるれ」
(紫式部)と「白露はわきてもおかじ女郎花心からにや色の染むらむ」(藤原道長)という遣り取り
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-12-22 )に似ていませんかね( ̄◇ ̄;)
紫式部が藤原道長の愛人であることを示唆する有名な場面だけど、『大和物語』第51段との類似性の
指摘は、手元にある『紫式部日記』『紫式部集』『新古今和歌集』の各注釈書には無かった(@_@;)

・藤原道長愛人説を否定しつつ『紫式部日記』の和泉式部評を等閑視するバカチン国文学者ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-11
タグ:和歌 古典
コメント(12) 
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コメント 12

mimimomo

こんばんは^^
middrinnさんは勉強家なんですね。
和歌の訳ってわたくしにはさっぱりわからないですが、英語でも
結構有名な人がたまに誤訳したりしてますね。
by mimimomo (2020-02-20 17:53) 

middrinn

受験戦争の時代の申し子だったりして(^_^;)
おそらく高橋訳は「初霜の心はわきておかじ」
の「は」に着目して、「初霜」と「初霜の心」
を区別し、打消しの「じ」は後者だけと考えた
のでしょうが、初「霜の置き方に分けへだて」
があったら「同じように花が咲く」とは到底
思えないわけで、合理的思考が肝要かと(^^)
英語の誤訳なら別宮貞徳の人気連載「欠陥翻訳
時評」を纏めた単行本がおススメですよ(^^)
by middrinn (2020-02-20 19:00) 

mimimomo

再び~
別宮さんは存じてますよ(へへ 大きな声では言えませんが、わたくしも以前
翻訳の勉強をしていました。家族のいろいろで続けられず止めましたが。
by mimimomo (2020-02-20 19:07) 

middrinn

おぉ~それは大変失礼しましたm(__)m
大昔に翻訳(専門書の共訳ですが)した
経験ありますけど、大変ですよね(-ω-、)
by middrinn (2020-02-20 19:37) 

ニッキー

予備校、昔は3大予備校でしたが
今はいろんな予備校や塾が溢れてるので
選ぶのも大変ですよねぇ(⌒-⌒; )
by ニッキー (2020-02-20 20:40) 

middrinn

しかも、個別指導が主流のようですから、
昔のような名物講師はいないかも(^_^;)
by middrinn (2020-02-20 20:46) 

tai-yama

昔は側室とか奥さんも何人か居たりするので、子供もたくさんで
どれが自分の子か天皇も変わらなくなるかと・・・・
チョコレートもたくさん貰えたんだろうな~。
by tai-yama (2020-02-20 23:42) 

ナベちはる

予備校、今は数が多いですよね。
ただ、そういう割にCMでやっていないような気がしなくもないのですが…(;`・_・´)
by ナベちはる (2020-02-21 00:37) 

middrinn

「チョコぐらい自分で買える財力あるわ!」
「チョコレートなんぞ自分で買えるぜ」と、
tai-yama様、豪語されてましたよね(^_^;)
by middrinn (2020-02-21 07:26) 

middrinn

言われてみれば、たしかにCMを、
ナベちはる様、視ませんね(゚ロ゚;)
地域密着になったのかな(@_@;)
by middrinn (2020-02-21 07:28) 

enokorogusa

霜や露のおき方を、愛情表現に結びつける習慣というか和歌の定型表現方法があったのでしょうかね。
by enokorogusa (2020-02-22 10:22) 

middrinn

西村亨『新考 王朝恋詞の研究』(桜楓社,1981)でも、「平安朝においては、
きゆがつゆの縁語として用いられることが圧倒的に多い。・・・つゆが仏教の
無常観の比喩として用いられるところから、悲観的な恋と無常とが混じり合い、
いっそう悲劇性を助長するのである。」ぐらいです(@_@;) 片桐洋一『歌枕
歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)に引かれていた『続古今和歌集』
の順徳院の歌「秋風になびく浅茅は霜枯れて色ことになる嶺のもみぢ葉」や、
『古今和歌集』の一連の露の歌(「秋の露色々ことに置けばこそ山の木の葉の
ちぐさなるらめ」など)のように、霜や露は染めるものと思われてましたが、
直接的に愛情をも意味すると考えられていたかどうかは分かりませんm(__)m
女性は花に喩えられることから、間接的に愛情の含意が生じるのでは(@_@;)
by middrinn (2020-02-22 12:47) 

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