笑顔で「ヴィダルはそう教えてくれました」と大昔はゼミの発表をこの名台詞で〆たものさv( ̄∇ ̄)ニヤッ
そのCMを初めて視た時は「ヴィダル・サスーン??? 誰よ、それ?」と思ったことはナイショ(⌒~⌒)
「修学旅行にはシャンプーハットも忘れずに!ヴィダルはそう教えてくれました」とか使ったかな(^_^;)
昨夜21時過ぎにはPCを閉じたのに今朝5時過ぎにPCを起動させて拙ブログの今日のアクセス解析を見たら
リンク先に「ttps://blog.ss-blog.jp/MyPage/blog/home/」が1つあったけど誰か侵入したのか(゚ロ゚;)
【読んだ本】
新田次郎『小説に書けなかった自伝』(新潮文庫,2012)所蔵本
書名はかつて私小説が純文学の主流だった文壇を意識したものか(@_@;) 自伝の形をとった自作解説
という感じで新田次郎作品のブックガイドとして読め、また〈如何にして作家になったか〉が随所に
語られてるので作家を目指している人向けでもある(^^) モチ小生は前者の読書案内として読んでいて
(以上はテンプレ)、「時代科学小説」等を読破してきたが、今日は本書の「岐路に立つ」の章(^^)
・・・また私はこの[1961年のヨーロッパの]旅によって、ヨーロッパアルプスと
日本の山との相違は単なる地学的にものばかりではなく、山体の形状の差がそのまま
人間の思考に微妙な影響を及ぼすだろうなどということを考えるようになった。
一時下火になっていた山岳小説がまた多くなったのも、ヨーロッパアルプスを
見て来てからであった。だが、所謂山岳小説というものからはだいぶ離れた傾向
のものになっていた。/・・・
「山体の形状の差がそのまま人間の思考に微妙な影響を及ぼす」かぁ( ̄◇ ̄;) 大昔の地理学の本に
出てるかな(@_@;) 気象学、海洋学、地質学等の地球科学や、人口学、民族学、経済学その他の人文
・社会科学を専門分化する前の地理学ね(⌒~⌒) wikiの「地理学」に「地理学と哲学は諸科学の母」
と称される」と(^^) でも、wikiには書いてないけど、大島襄二『文化地理学序説』(理想社,1976)
によると、地理学を「諸科学の母親」と称したのは1920年のイザヤ・ボウマン[イザイア・ボウマン]
のアメリカ地理学会会長就任講演で、それは誇りというより地理学というディシプリンの確立・維持
への悩みの告白だったとか( ̄◇ ̄;) 昔、経済学の先生から伺った話だけど、経済学でも1970年代に
「経済学の危機」が叫ばれた時期に「経済学は社会科学の女王」なるレトリックが使われた由(^_^;)
人間がアイデンティティ危機に陥るとオレは凄いんだぞ的なこと言い出す心理と同じ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・・・このころ「読売新聞」の大衆文芸時評を吉田健一さんが担当していた。
私はこの場でしばしば讃められた。昭和三十七年「小説新潮」に書いた
「ホテル氷河にて」などは過分なお讃めにあずかった。吉田健一さんが
讃める作家はほぼ決っていたようだった。その中の一人に私が入っていたことは
幸せであった。・・・/「小説現代」昭和四十年二月号に「まぼろしの軍師」を
書いたときの吉田健一さんの讃めっぷりが私には激賞のように受け取れた。・・・/
・・・ずっと後になって、文藝春秋社内のバーで吉田健一さんと会ったことがある。
その節はいろいろ暖かい御批評をいただき有難うございましたとお礼を云うと、
吉田さんは、/「月に一度のあの仕事は骨が折れました。まず目次を見て、
その中に、AさんやBさんやCさんの名があるとほっとしました」/と云われた。
このAさん、Bさん、Cさんの中に私の名も入っていた。/・・・
他が誰のことか見当もつかないけど、吉田健一が書いた批評を読む時には要注意だな_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
てゆーか、話題になった『ヨオロッパの人間』(講談社文芸文庫,1994)すら未読だけど(ノ_-;)トホホ…
さて、この章の表題は「岐路に立つ」だけど、その遠因となっているのは、次の記述である(@_@;)
・・・/昭和三十七年の暮もおしせまったころ、明三十八年度の国家予算が内示された。
この中には気象庁が数年前から予算請求を続けていた、富士山気象レーダー設置予算
二億四千万円があった。まさか通るまいと思っていたのが、どういう風の吹き廻しか
通ったのである。予算が通った以上、これを実施しなければならない。その技術的
責任部課は私が所属する観測部測器課であった。・・・
古川武彦『気象庁物語~天気予報から地震・津浪・火山まで』(中公新書,2015)はこの「富士山気象
レーダー設置」が可能かどうか昭和38年2月に実施したテストへ気象庁が積極的に関与したように記述
するが、御覧のように、認められた予算は「三十八年度」ので、昭和38年4月以降に使えるお金(^_^;)
とまれ、気象庁長官の和達清夫が辞め、後任に畠山久尚博士が内定し、畠山が内示した次の観測部長は
測器課長だった吉武素二(@_@;) その吉武から測器課長を引き受けるよう新田次郎は頼まれる(゚ロ゚;)
・・・/私は最小限三カ年は小説の方は棒に振るつもりだった。それでもいいから、
富士山気象レーダー設置に全力を挙げようと思った。/・・・
・不平ばかりで仕事をしない者が多くて真面目に仕事する人は白い眼で見られた「処女作のころ」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-23
・投稿しても落選続きの原稿を直木賞受賞後は新編集長は〈面白い〉と言う「投稿作家の四年間」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-24
・〈あなたは落ちるに決っています。面白くない小説ですものね〉と妻に言われた「直木賞受賞」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-29
・受賞後第一作は酷評も石原慎太郎の小説などは「アホくさ」と評された「昼の仕事 夜の仕事」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-01
・40歳を過ぎて作家となったので、その個性を確立しようと試行錯誤する「方向づけに苦しむ」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-16
・虹を観察して地震を予知しようとした椋平広吉を藤原咲平が支援してた「メロドラマ的作品」(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-25
・時代科学小説と名付けられた作品群を読みたい人もいそうゆえメモした「メロドラマ的作品」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-26
・登山家善人説を否定する作品と女流登山家に美人なしを打破する作品の「メロドラマ的作品」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-29
・新田次郎の創作ツールは筋書きをグラフ化した「小説構成表」という「小説構成表を創る」(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-31
・斎藤十一の御眼鏡にかなわず5本中1本しか「週刊新潮」に載らぬ「労作必ずしも佳作ならず」(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-03
・山男はいい人達だが山に入ると別人でさんざん酷い目に会った「労作必ずしも佳作ならず」( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-05
・気象庁内で荒井郁之助以来の伝統を守ってる人は多くはなかった「視点を変えたヨーロッパ旅行」(..)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-04
・地方紙への新聞小説を依頼されたけど、途方もない条件を押しつけられた「新聞小説」((;゚Д゚)ヒィィィ!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-07
・昭和36(1961)年頃に新田次郎が書いた短篇小説の会話部分に要注目な「新聞小説」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-11
そのCMを初めて視た時は「ヴィダル・サスーン??? 誰よ、それ?」と思ったことはナイショ(⌒~⌒)
「修学旅行にはシャンプーハットも忘れずに!ヴィダルはそう教えてくれました」とか使ったかな(^_^;)
昨夜21時過ぎにはPCを閉じたのに今朝5時過ぎにPCを起動させて拙ブログの今日のアクセス解析を見たら
リンク先に「ttps://blog.ss-blog.jp/MyPage/blog/home/」が1つあったけど誰か侵入したのか(゚ロ゚;)
【読んだ本】
新田次郎『小説に書けなかった自伝』(新潮文庫,2012)所蔵本
書名はかつて私小説が純文学の主流だった文壇を意識したものか(@_@;) 自伝の形をとった自作解説
という感じで新田次郎作品のブックガイドとして読め、また〈如何にして作家になったか〉が随所に
語られてるので作家を目指している人向けでもある(^^) モチ小生は前者の読書案内として読んでいて
(以上はテンプレ)、「時代科学小説」等を読破してきたが、今日は本書の「岐路に立つ」の章(^^)
・・・また私はこの[1961年のヨーロッパの]旅によって、ヨーロッパアルプスと
日本の山との相違は単なる地学的にものばかりではなく、山体の形状の差がそのまま
人間の思考に微妙な影響を及ぼすだろうなどということを考えるようになった。
一時下火になっていた山岳小説がまた多くなったのも、ヨーロッパアルプスを
見て来てからであった。だが、所謂山岳小説というものからはだいぶ離れた傾向
のものになっていた。/・・・
「山体の形状の差がそのまま人間の思考に微妙な影響を及ぼす」かぁ( ̄◇ ̄;) 大昔の地理学の本に
出てるかな(@_@;) 気象学、海洋学、地質学等の地球科学や、人口学、民族学、経済学その他の人文
・社会科学を専門分化する前の地理学ね(⌒~⌒) wikiの「地理学」に「地理学と哲学は諸科学の母」
と称される」と(^^) でも、wikiには書いてないけど、大島襄二『文化地理学序説』(理想社,1976)
によると、地理学を「諸科学の母親」と称したのは1920年のイザヤ・ボウマン[イザイア・ボウマン]
のアメリカ地理学会会長就任講演で、それは誇りというより地理学というディシプリンの確立・維持
への悩みの告白だったとか( ̄◇ ̄;) 昔、経済学の先生から伺った話だけど、経済学でも1970年代に
「経済学の危機」が叫ばれた時期に「経済学は社会科学の女王」なるレトリックが使われた由(^_^;)
人間がアイデンティティ危機に陥るとオレは凄いんだぞ的なこと言い出す心理と同じ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
・・・このころ「読売新聞」の大衆文芸時評を吉田健一さんが担当していた。
私はこの場でしばしば讃められた。昭和三十七年「小説新潮」に書いた
「ホテル氷河にて」などは過分なお讃めにあずかった。吉田健一さんが
讃める作家はほぼ決っていたようだった。その中の一人に私が入っていたことは
幸せであった。・・・/「小説現代」昭和四十年二月号に「まぼろしの軍師」を
書いたときの吉田健一さんの讃めっぷりが私には激賞のように受け取れた。・・・/
・・・ずっと後になって、文藝春秋社内のバーで吉田健一さんと会ったことがある。
その節はいろいろ暖かい御批評をいただき有難うございましたとお礼を云うと、
吉田さんは、/「月に一度のあの仕事は骨が折れました。まず目次を見て、
その中に、AさんやBさんやCさんの名があるとほっとしました」/と云われた。
このAさん、Bさん、Cさんの中に私の名も入っていた。/・・・
他が誰のことか見当もつかないけど、吉田健一が書いた批評を読む時には要注意だな_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
てゆーか、話題になった『ヨオロッパの人間』(講談社文芸文庫,1994)すら未読だけど(ノ_-;)トホホ…
さて、この章の表題は「岐路に立つ」だけど、その遠因となっているのは、次の記述である(@_@;)
・・・/昭和三十七年の暮もおしせまったころ、明三十八年度の国家予算が内示された。
この中には気象庁が数年前から予算請求を続けていた、富士山気象レーダー設置予算
二億四千万円があった。まさか通るまいと思っていたのが、どういう風の吹き廻しか
通ったのである。予算が通った以上、これを実施しなければならない。その技術的
責任部課は私が所属する観測部測器課であった。・・・
古川武彦『気象庁物語~天気予報から地震・津浪・火山まで』(中公新書,2015)はこの「富士山気象
レーダー設置」が可能かどうか昭和38年2月に実施したテストへ気象庁が積極的に関与したように記述
するが、御覧のように、認められた予算は「三十八年度」ので、昭和38年4月以降に使えるお金(^_^;)
とまれ、気象庁長官の和達清夫が辞め、後任に畠山久尚博士が内定し、畠山が内示した次の観測部長は
測器課長だった吉武素二(@_@;) その吉武から測器課長を引き受けるよう新田次郎は頼まれる(゚ロ゚;)
・・・/私は最小限三カ年は小説の方は棒に振るつもりだった。それでもいいから、
富士山気象レーダー設置に全力を挙げようと思った。/・・・
・不平ばかりで仕事をしない者が多くて真面目に仕事する人は白い眼で見られた「処女作のころ」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-23
・投稿しても落選続きの原稿を直木賞受賞後は新編集長は〈面白い〉と言う「投稿作家の四年間」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-24
・〈あなたは落ちるに決っています。面白くない小説ですものね〉と妻に言われた「直木賞受賞」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-29
・受賞後第一作は酷評も石原慎太郎の小説などは「アホくさ」と評された「昼の仕事 夜の仕事」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-01
・40歳を過ぎて作家となったので、その個性を確立しようと試行錯誤する「方向づけに苦しむ」(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-08-16
・虹を観察して地震を予知しようとした椋平広吉を藤原咲平が支援してた「メロドラマ的作品」(゚ロ゚;)
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・時代科学小説と名付けられた作品群を読みたい人もいそうゆえメモした「メロドラマ的作品」(^_^;)
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・登山家善人説を否定する作品と女流登山家に美人なしを打破する作品の「メロドラマ的作品」(^_^;)
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・新田次郎の創作ツールは筋書きをグラフ化した「小説構成表」という「小説構成表を創る」(@_@;)
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・斎藤十一の御眼鏡にかなわず5本中1本しか「週刊新潮」に載らぬ「労作必ずしも佳作ならず」(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-03
・山男はいい人達だが山に入ると別人でさんざん酷い目に会った「労作必ずしも佳作ならず」( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-05
・気象庁内で荒井郁之助以来の伝統を守ってる人は多くはなかった「視点を変えたヨーロッパ旅行」(..)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-04
・地方紙への新聞小説を依頼されたけど、途方もない条件を押しつけられた「新聞小説」((;゚Д゚)ヒィィィ!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-07
・昭和36(1961)年頃に新田次郎が書いた短篇小説の会話部分に要注目な「新聞小説」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-11