190919読んだ本
『これは経費で落ちません!』より『これは経費で落とせません!』の方がしっくりくるのだが(@_@;)
〈経費で落ちるかどうか〉ではなく〈経費で落とせるかどうか〉と考える人々に寄り添ってるしね(^_^;)
住宅街なのにポストの表札に聞いたことのない会社名が書かれている家が多いけど節税対策かな(@_@;)
【読んだ本】
五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡7 頼家と実朝』(吉川弘文館,2009)
本書の166~168頁にある建暦2年(1212年)10月11日の記述における「僧」の発言が解せない(-ω-、)
十一日、癸未[みずのとひつじ]。新造の堂舎をご覧になるために、将軍家(源実朝)が
大倉(大慈寺)に出かけられた。相州(北条義時)以下の人々が多く付き従った。今日
初めて山水奇石などの沙汰があった。この場所は河があり、山があり、水木とともに
便宜を得ており、地形の素晴しさは、まことに仙人の住まいともいうべきであろう。
善信(三善康信)が山水絵図を献上した。特別に京都から取り寄せたという。(実朝は)
特にお気に召された。この間、善信が御前で申した。「去る建久九年十二月の頃、
夢に見ましたところでは、善信は先君(源頼朝)のお供として、大倉の山辺に赴きました。
そのとき一人の老翁が言いました。『この地は清和天皇の御代には文屋康秀が相模掾として
住んでいた場所である。精舎を建てなさい。私が鎮守となろう』。夢が覚めた後、この旨を
(頼朝に)申し上げました。ちょうどその時、幕下将軍(頼朝)は御病気の最中でした。
すぐに御信心を催されて、『快復したら堂舎の造営をしよう。』と仰ったところ、
翌年正月に亡くなられました。(祈願を)果たされなかったことは、私の密かな後悔と
なりました。しかし当代の主君(実朝)が自ら発願されたことで、この草創が成りました。
全ては霊夢が感応したところです。境内の繁栄を意味します」。僧が言った。「上(実朝)も
また、先年夢のお告げがあったので、今企てたものです。これがどうして(善信のみた夢と)
符合していないことがありましょうか。古今集の事書には、文屋康秀が参河掾として
下向しようとして、県視に出立しようと小野小町を誘いだしたと言いい[ママ]ます。
この二人はともに仁明天皇の御代の人です。清和天皇の御代に当たるでしょうか」。
善信が言った。「夢の中のことはまことに証明しがたいものですが、古い除書を見ると、
康秀は元慶三年に[清和天皇の次の陽成天皇の時代に]縫殿助に任じられているようです。
ですから清和天皇の時代に仕えていたということは間違いないでしょう。相模掾のことは
いまだはっきりしません」。実朝は頻りに感心され、範高に命じてこの御問答の要旨を記録
させた。この寺の縁起を作り、この夢記をその初まりとするよう内々に命じられたという。
この件の「現代語訳・注」は「佐藤雄基」なる1981年生まれの「東京大学大学院」生が担当してるが、
「古今集の事書には・・・と言いいます。」が誰のどの歌の詞書か巻末の注に解説は無いヾ(`◇´)ノ
小町谷照彦(訳注)『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)を引くけど、小野小町の歌番号938の歌
「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらば去なむとぞ思ふ」の〈文屋康秀が三河掾になりて、
「県見にはえ出で立たじや」と言ひやれりける、返事によめる〉がソレ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
さて、疑問なのは、この僧は『古今和歌集』の歌番号938の小野小町の歌の詞書まで知っているのに、
同集の歌番号8あるいは歌番号445の文屋康秀の歌の詞書を御存じないような口振りなこと(´ヘ`;)
例えば、歌番号8の歌「花の木にあらざらめども咲きにけりふりにしこのみなる時もがな」の詞書は
「二条后、春宮の御息所と申しける時に、めどに削り花挿せりけるをよませたまひける」(小町谷・
前掲書)で、「春宮の御息所と申しける時」とは「[二条后=清和天皇の后]藤原高子が生んだ陽成
天皇が春宮[=皇太子]であったのは、貞観十一年(八六九)二月より十八年十一月まで。」(同書
の補注)だから、同歌は清和天皇の御代(在位は天安2年[858年]~貞観18年[876年])に詠まれた
こととなり、文屋康秀が「清和天皇の時代に仕えていたということは間違いない」わけv( ̄∇ ̄)ニヤッ
歌番号938の小町の歌の詞書まで知ってて歌番号8の康秀の歌の詞書を知らないなんて考えにくいので、
文屋康秀は「仁明天皇の御代の人です。清和天皇の御代に当たるでしょうか」とは理解に苦しむ(+_+)
なお、小野小町の上記歌に関して、目崎徳衛『日本詩人選6 在原業平・小野小町』(筑摩書房,1970)
に興味深い指摘があるんだよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・この[文屋康秀と小野小町の]贈答の年代も実はあまり確かに分るわけではない。
康秀が三河掾になった年が不明だからである。文屋康秀の官歴は、「古今和歌集目録」
によって貞観二年(八六〇)刑部中判事、元慶元年(八七七)山城大掾、同三年縫殿助
ということだけが判明する。尤もその中判事と山城大掾の中間に「年月 三河掾」と
記されてはいるが、この曖昧な書きぶりからみると、目録の著者は、「わびぬれば」の
詞書によって三河掾と記したものの、それを官府の記録によって確認できなかったのでは
ないかと思う。(事実「中古三十六人歌仙伝」には三河掾という記事は見えない。)
考えてみれば中判事は正六位下相当の官であるのに、山城大掾・縫殿助はそれぞれ
正七位下と従六位下相当の官で、康秀の官歴は次第に低下したような塩梅になっている。
そんな点に疑問があるので、三河掾を年月不明のまま中判事と山城大掾の間に挿入した
「古今和歌集目録」に簡単に従うわけにはいかない。従って小町を三河へ誘った年も
不明である。・・・
「康秀の官歴は次第に低下」は面白いけど、上述の僧が「相模掾」を疑った点は尤もなわけね(^_^;)
〈経費で落ちるかどうか〉ではなく〈経費で落とせるかどうか〉と考える人々に寄り添ってるしね(^_^;)
住宅街なのにポストの表札に聞いたことのない会社名が書かれている家が多いけど節税対策かな(@_@;)
【読んだ本】
五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡7 頼家と実朝』(吉川弘文館,2009)
本書の166~168頁にある建暦2年(1212年)10月11日の記述における「僧」の発言が解せない(-ω-、)
十一日、癸未[みずのとひつじ]。新造の堂舎をご覧になるために、将軍家(源実朝)が
大倉(大慈寺)に出かけられた。相州(北条義時)以下の人々が多く付き従った。今日
初めて山水奇石などの沙汰があった。この場所は河があり、山があり、水木とともに
便宜を得ており、地形の素晴しさは、まことに仙人の住まいともいうべきであろう。
善信(三善康信)が山水絵図を献上した。特別に京都から取り寄せたという。(実朝は)
特にお気に召された。この間、善信が御前で申した。「去る建久九年十二月の頃、
夢に見ましたところでは、善信は先君(源頼朝)のお供として、大倉の山辺に赴きました。
そのとき一人の老翁が言いました。『この地は清和天皇の御代には文屋康秀が相模掾として
住んでいた場所である。精舎を建てなさい。私が鎮守となろう』。夢が覚めた後、この旨を
(頼朝に)申し上げました。ちょうどその時、幕下将軍(頼朝)は御病気の最中でした。
すぐに御信心を催されて、『快復したら堂舎の造営をしよう。』と仰ったところ、
翌年正月に亡くなられました。(祈願を)果たされなかったことは、私の密かな後悔と
なりました。しかし当代の主君(実朝)が自ら発願されたことで、この草創が成りました。
全ては霊夢が感応したところです。境内の繁栄を意味します」。僧が言った。「上(実朝)も
また、先年夢のお告げがあったので、今企てたものです。これがどうして(善信のみた夢と)
符合していないことがありましょうか。古今集の事書には、文屋康秀が参河掾として
下向しようとして、県視に出立しようと小野小町を誘いだしたと言いい[ママ]ます。
この二人はともに仁明天皇の御代の人です。清和天皇の御代に当たるでしょうか」。
善信が言った。「夢の中のことはまことに証明しがたいものですが、古い除書を見ると、
康秀は元慶三年に[清和天皇の次の陽成天皇の時代に]縫殿助に任じられているようです。
ですから清和天皇の時代に仕えていたということは間違いないでしょう。相模掾のことは
いまだはっきりしません」。実朝は頻りに感心され、範高に命じてこの御問答の要旨を記録
させた。この寺の縁起を作り、この夢記をその初まりとするよう内々に命じられたという。
この件の「現代語訳・注」は「佐藤雄基」なる1981年生まれの「東京大学大学院」生が担当してるが、
「古今集の事書には・・・と言いいます。」が誰のどの歌の詞書か巻末の注に解説は無いヾ(`◇´)ノ
小町谷照彦(訳注)『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)を引くけど、小野小町の歌番号938の歌
「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらば去なむとぞ思ふ」の〈文屋康秀が三河掾になりて、
「県見にはえ出で立たじや」と言ひやれりける、返事によめる〉がソレ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
さて、疑問なのは、この僧は『古今和歌集』の歌番号938の小野小町の歌の詞書まで知っているのに、
同集の歌番号8あるいは歌番号445の文屋康秀の歌の詞書を御存じないような口振りなこと(´ヘ`;)
例えば、歌番号8の歌「花の木にあらざらめども咲きにけりふりにしこのみなる時もがな」の詞書は
「二条后、春宮の御息所と申しける時に、めどに削り花挿せりけるをよませたまひける」(小町谷・
前掲書)で、「春宮の御息所と申しける時」とは「[二条后=清和天皇の后]藤原高子が生んだ陽成
天皇が春宮[=皇太子]であったのは、貞観十一年(八六九)二月より十八年十一月まで。」(同書
の補注)だから、同歌は清和天皇の御代(在位は天安2年[858年]~貞観18年[876年])に詠まれた
こととなり、文屋康秀が「清和天皇の時代に仕えていたということは間違いない」わけv( ̄∇ ̄)ニヤッ
歌番号938の小町の歌の詞書まで知ってて歌番号8の康秀の歌の詞書を知らないなんて考えにくいので、
文屋康秀は「仁明天皇の御代の人です。清和天皇の御代に当たるでしょうか」とは理解に苦しむ(+_+)
なお、小野小町の上記歌に関して、目崎徳衛『日本詩人選6 在原業平・小野小町』(筑摩書房,1970)
に興味深い指摘があるんだよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・この[文屋康秀と小野小町の]贈答の年代も実はあまり確かに分るわけではない。
康秀が三河掾になった年が不明だからである。文屋康秀の官歴は、「古今和歌集目録」
によって貞観二年(八六〇)刑部中判事、元慶元年(八七七)山城大掾、同三年縫殿助
ということだけが判明する。尤もその中判事と山城大掾の中間に「年月 三河掾」と
記されてはいるが、この曖昧な書きぶりからみると、目録の著者は、「わびぬれば」の
詞書によって三河掾と記したものの、それを官府の記録によって確認できなかったのでは
ないかと思う。(事実「中古三十六人歌仙伝」には三河掾という記事は見えない。)
考えてみれば中判事は正六位下相当の官であるのに、山城大掾・縫殿助はそれぞれ
正七位下と従六位下相当の官で、康秀の官歴は次第に低下したような塩梅になっている。
そんな点に疑問があるので、三河掾を年月不明のまま中判事と山城大掾の間に挿入した
「古今和歌集目録」に簡単に従うわけにはいかない。従って小町を三河へ誘った年も
不明である。・・・
「康秀の官歴は次第に低下」は面白いけど、上述の僧が「相模掾」を疑った点は尤もなわけね(^_^;)
それなりに稼いでる方は個人事業主になった方が
色々節税出来ますもんねぇ(*_*)
節税、出来るものならしたいけど
一般的庶民の我が家は節約しか出来ません(⌒-⌒; )
by ニッキー (2019-09-19 21:44)
NHKのドラマは見てます。
あの内容だとずーっと続きそうなストーリー。
SSブログの由来、回答がまだ来ない。
簡単に結論が出ないと思う。
by nikki (2019-09-19 22:30)
実朝は堂舎を建てたのに、その後、公暁に暗殺・・・・
源氏将軍を滅ぼした黒幕はこの老翁だったり。
by tai-yama (2019-09-19 23:23)
「落ちません」と「落とせません」では、意味が変わってきますよね…(^^;A
by ナベちはる (2019-09-20 00:48)
なるほど!
日本語は難しいですね。
ウチの近所にもありますよ、個人宅なのに表札の下に会社名が書かれている家。
どんな仕事しているのか気になります!
by そら (2019-09-20 06:31)
庶民は節税でなく節約ですか(^_^;)
副業が流行っている御時世ですから、
ニッキー様も圭太様を社長に据えて、
会社を興すのは如何でしょう(^o^)丿
by middrinn (2019-09-20 06:48)
ドラマ視てませんし原作も読んでないんですけどね(^_^;)
nikki様、実はナチス親衛隊が由来で公表できないとか^_^;
by middrinn (2019-09-20 06:50)
その黒幕史観、老翁の目的や堂舎との関係が、
tai-yama様、全く分かりませんがな(^_^;)
by middrinn (2019-09-20 06:52)
ですよねぇ(^_^;) このドラマと原作の内容を全く知らないので、
ナベちはる様、どーゆー意味を持たせてるか知りませんが(^_^;)
by middrinn (2019-09-20 06:55)
しかも、その会社名が全く聞いたこともないものばかりなので、
そら様、どんな事業をやっているのか想像もできません(^_^;)
by middrinn (2019-09-20 06:57)
我が家は子供が二人いるので
住民税は相当安く済んでますが
独身だったら相当税金取られてますね。
まずは節税以前に税金安くしてくださいと
何時も思います(^_^;)
息子が小さいので市より
プレミアム商品券を購入出来る権利を
取得しました♪
プレミアム商品券はとても助かりますね(⌒‐⌒)
by たじまーる (2019-09-20 07:09)
おはようございます^^
ほんと、日本語は難しい(--;
節税するほど稼ぎが無い年金暮らし・・・トホホ
by mimimomo (2019-09-20 07:16)
消費税は上がることはあっても下がることは無さそうなので、
いずれ消費税100%、200%の時代が来るかも((;゚Д゚)ヒィィィ!
たじまーる様、プレミアム商品券申請手続はお済みかな(^^)
by middrinn (2019-09-20 09:11)
ドラマも原作も知らないので見当違いかも(^_^;)
mimimomo様はまだ年金が多い世代かと(^_^;)
by middrinn (2019-09-20 09:13)
そう古くない 造成地の住宅街なのですが、お若いのに自宅での事業者が多いんですよ。
表札ではわからないのですが、地図を見ると会社名が出てます。
そんな 若者のやる気! 応援してます。
by cooper (2019-09-20 13:09)
少年よ、大志を抱け!じゃなかった、若者よ、野心を抱け!と、
北海道の地で新しい事業を起こしているんでしょうか(〃'∇'〃)
cooper様のお庭は春のようですが、他方で初雪ですか( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2019-09-20 13:26)
「指摘した点は担当部署に伝えます」だけで、
SSブログの由来は教えてもらえなかった。
ウィキペディア SSのページにあるものを少し列記。
ナチス親衛隊だったらドイツの人が見たらどう思うのかな。
こうやってバラスからいけないのか。
新しいドメインの有効期限はなぜか1年。
by nikki (2019-09-20 21:36)
世界中のユダヤ人団体から攻撃されて、名称の変更が
撤回に追い込まれたりして(^_^;) 1年ですかぁ(゚ロ゚;)
by middrinn (2019-09-20 21:41)