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240419読んだ本

酒は百薬の長ともされてるからか、酒と並べて語られることがあって、〈酒は飲んでも飲まれるな、
本は読んでも読まれるな〉とか(^_^;) たしかに、読み方によっては過度の読書、多読は百害(^_^;)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

今回(前回⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-04-10 )は、李白の「贈内
(内[つま]に贈る)」から「三百六十日、日々酔うて泥の如し」(^_^;)

    三百六十日 三百六十日
    日日醉如泥 日々酔うて泥の如し
    雖爲李白婦 李白の婦為[ふ]りと雖も
    何異太常妻 何ぞ太常の妻に異ならん

     一年三百六十日[←「・・・旧暦の一年の日数。」]、
     毎日酔いつぶれて泥のようである。
     おまえは李白の女房とはいうものの、
     太常の妻と何の変りもないわけだ。

太常(宗廟の儀礼を司る官)の周沢は日夜宗廟に事[つか]えるも、斎宮(物忌みをする所)で病気に
なり、心配した妻が見舞ったところ、物忌みが破られたと怒り、妻を獄に送って罪を謝したので、

    ・・・当時の人々はこのことを知って、/「この世に生れてつまらないのは太常の妻
    になることだ。一年三百六十日、そのうち三百五十九日はものいみをしている。もの
    いみをしない一日は、酔いつぶれて泥のようになっている」/といったということが
    『後漢書』の「周沢伝」に記されている。/・・・

と本書は解説する(^_^;) 松浦友久『李白 詩と表象』(現代教養文庫,1970)は周沢が「あまり職務
に忠実すぎて妻に冷たかったため、世間で、こんな歌がはやった──」と紹介しているけどね(^_^;)
同書が「自分の酒好きを、ユーモラスに、おどけた口調で描く。」とするように、李白のこの戯詩は
「勿論、妻をからかった歌ではない。むしろ、いたわっているのである。からかいの気持があるとす
れば、それは自分自身に対してであろう。」と本書も評してる(駒田信二『中国詩人伝』[芸術新聞
社,1991]も同旨)(^_^;) ちなみに、拙ブログ名は亀田鵬斎の「けふものむべし あすものむべし」
のもじりなわけだが、やはり酒を飲むより本を読んで過ごす方が有意義〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:中国 古典
コメント(4) 

コメント 4

df233285

"読み方によっては過度の読書、多読は百害”には、"年寄りには"
を付けた方が良いと思う。人間若い頃は、むちゃくちゃ多読すると、
後に良い事多し。年中スマホいじりよりは、マシだと私は思うよ。
by df233285 (2024-04-20 06:21) 

middrinn

ショウペンハウエル(斎藤忍随訳)『読書について 他二篇』(岩波文庫,1960→83改版)
が表紙カヴァーで「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす
勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」と紹介されているように、
「自分でものを考え」ない本の読み方というものの害は年齢には関係ないことかと(^_^;)
たしかに、漢字などの語彙が豊富になる点では「年中スマホいじりよりは、マシ」(^_^;)
by middrinn (2024-04-20 14:51) 

tai-yama

リモートワークな時代なら、日夜宗廟に事えても自宅から
事えることができたのに・・・。
太常の妻はツマらないと(笑)。
by tai-yama (2024-04-20 19:22) 

middrinn

李白の妻もツマらないのでは(^_^;)
by middrinn (2024-04-21 05:08) 

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