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240331読んだ本

このメチャ面白い本を読み終えたから、もう今年は本を読まなくていいかなオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
昨日フリマで本でも探すかなと思うも街まで歩くには身体がダル過ぎて断念し、「240328読んだ本」
で立てた「仮説」を自ら「反証」したわけだが(岩波注釈書&三省堂辞典の不備も確定)、ちゃんと
調べて書かなきゃダメと反省(^_^;) 他方で本書は史料や文献を博捜した上で考証してる感v( ̄∇ ̄)

【読んだ本】

三木紀人『多武峰ひじり譚』(法藏館法藏選書,1988)所蔵本

読了(^o^)丿 といっても、実は「年末から読み始めたメチャ知的愉悦に満ちた伝記をやっと読了でき
たので今夜から再読開始(^o^)丿」と「240128読んだ本【承前】」の枕に書いたのは本書のことで、
その「再読」もかなり前に済んでたんだけどね(^_^;) 本書購入時(231024買った本)に目次と表紙
カヴァーの内容紹介文をメモったけど、後者を再掲する(^_^;)

    /戒師として招かれた后の宮剃髪の儀において突如として発するいかがわしい言葉……。
    自らの師良源の晴れの舞台に躍り出て、衆人環視の中で師を諷刺する奇矯な振舞……。
    数多い仏教説話中の人物のうちで、奇行と過激さで読むものを驚かす、多武峰の聖
    (ひじり)・増賀──。/仏教説話のひとつの典型として、後世に種種の影響を与えて
    いく増賀説話は、いかにして形成されていくのか。気鋭の国文学者が、虚構と史実の
    あわいに分け入り、その問いに迫る。/

奇行で知られる増賀の伝記で、その生涯を語る上で欠かせぬ周囲の人物(元三大師慈恵大僧正良源、
多武峰少将藤原高光等)についても興味深~く詳述してるし(増賀は辞退し登場せぬ「応和の宗論」
までも章を立てて詳論してる)、史実としての増賀の事績にも驚かされたけど、本書のメインである
増賀説話の考証にはメチャ知的興奮である(〃'∇'〃) 例えば、上記内容紹介文冒頭の有名な説話の
「后の宮」が誰なのか、昌子内親王(朱雀天皇皇女で冷泉天皇皇后)、藤原遵子(関白藤原頼忠女で
円融天皇中宮)、藤原詮子(摂政・関白藤原兼家女で円融天皇女御&一条天皇生母)の三説があり、
それぞれの場合について綿密な考証を行なって増賀の奇行が何を意味するのかを示してくれるけど、
山門派と寺門派の対立・抗争にも実は絡んでるとか知的な面白さに満ち満ちててマジで凄い(⌒~⌒)
考証しながら時に「空想」も入ったりするけど、へぼ作家による根拠ナシオン主権な思い付きの類い
ではないからね(^_^;)

    ・・・/年たけて出家した寂心[慶滋保胤]は横川に上って法文を習った。増賀は
    その頃まだ横川に住んでいて、『摩訶止観』を寂心に教えることになった。/増賀
    はまず巻頭の、/止観の明静なること、前代いまだ聞かず、/の部分を読む。すると、
    対座した寂心ははげしく泣きはじめた。漸層的に気分が高まったはてのことならば
    ともかく、開始していきなりの号泣は、講師の出鼻をくじくもので、非礼である。
    しかも、教えの趣旨にもそむく。泣くという行為ほど止観と遠いものはなく、この
    文句によって泣くなどは、いちじるしい矛盾ときめつけられねばなるまい。/当然の
    こととして、増賀は寂心に対して、/さる心にて、かくやはいつしか泣くべき。あな、
    愛敬なの僧の道心や。/と言い、こぶしを振って打った。この言は「お前のような
    未熟な心で、そのように感泣するなど早すぎる。ああ、何と小憎らしいこの僧の道心
    だろう」というほどの意であろう。『今鏡』に単に「かくやはいつしか泣くべき」と
    あるのに対し、[この『発心集』は]かなり言葉を補っているのは、著者[鴨]長明
    なりの解釈の反映であろうが、ことによると体験にねざす敷衍かもしれない。彼も
    寂心同様に老いてから出家した身であり、在俗時の友人であった源家長の日記によると
    出家後まもない頃の彼は涙もろくなっていたようである。老いた初心者として法文に
    ふれた時、万感胸にせまって泣き、このような言で先輩から叱責もされることもあった
    かと空想されるのである。/・・・

ちなみに、三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社,1976)の『発心集』の
記述の誤りをさり気な~く幾つか本書で訂正していることには気付いたし、誤記・誤植も散見される
ので一応指摘しておく(^_^;) 本書55頁に藤原在衡が「安和の変の後に源高明の後をおそって左大臣
(従二位)に至り、・・・」とあるが、左遷された源高明の後任の左大臣になったのは右大臣の藤原
師尹で、在衡は大納言から右大臣へ昇任が正しい(左大臣になったのは翌年の安和3=970年)(^_^;)
本書94頁に「[藤原]実頼は良源と深くかかわった師輔の弟、・・・」とあるが、兄が正しい(^_^;)
本書177頁の「・・・[藤原]詮子とその所生師貞親王(一条天皇)列席・・・」は懐仁親王(^_^;)
本書214頁の「・・・顕信を法師とした。顕信は彼に着衣を寄進し、・・・」は顕長の誤植ね(^_^;)
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

歳を取ると涙もろくなり・・・・アニメでも泣いてしまう(笑)。
実は、寂心の方が増賀より奇行が少なかったり。
by tai-yama (2024-03-31 22:56) 

middrinn

実はも何も増賀は奇行のチャンピオン(^_^;)
by middrinn (2024-04-01 05:27) 

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