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240129読んだ本【バカチン】

久しぶりの再会で会えるのは未熟だった過去の自分と成長した現在の自分である・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本(バカチン)】

宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)所蔵本

    ・・・/また、こういう堅苦しいことばかりでなく、弟子たちに、極楽往生ということ
    にちなんだ和歌を作らせた。そればかりでなく、みずからも和歌を唱えた。

     みづわさす八十[やそぢ]あまりの老[おい]のなみ海月の骨に逢ふぞ嬉しき
     (「みづわさす」は、「老」を形容することばで、「関節ががくがくして、
      よろめきがちな」ということを意味するようである。よぼよぼの八十歳余
      の老人の、寄る年波の波に漂う海月[くらげ]が、およそ逢うことのでき
      ないはずの骨にめぐり逢ったように、拙僧は嬉しくてたまらないのである、
      とのの意)

    これが増賀の辞世の歌である(『大日本国法華経験記』下の八二、『今昔物語』
    一二の三三、『発心集』一の五)/・・・  

本書の読了が退院から一週間も経ってなかったために(160630読んだ本&買った本)読み流したとか
読み落としたとかではなく、単に当時の小生が未熟だったからで、今回は一読してアホくさと(^_^;)

萩谷朴『枕草子解環 二』(同朋舎出版,1982)は〈・・・和歌の世界では、めったにない稀有の幸運
にめぐまれることを、「海月の骨にあふ」という諺として用いられていた。」とし、守随憲治&今泉
忠義&松村明(監修)『旺文社古語辞典 〔改訂新版〕』(旺文社,1965→1969)も「くらげ【水母・
海月】」の項に「きわめてまれなことのたとえ。」として「──のほね(骨)にあ(逢)ふ」(^_^;)

三木紀人(校注)『新潮日本古典集成 方丈記 発心集』(新潮社,1976)は「みづはさす八十あまり
の老いの浪くらげの骨にあひにけるかな」に付した頭注一五で次のように歌意と解説を(^^)

    八十余という老齢に及び、まれに見る幸運に会いえた、うれしさよ。「みづは」は
    一旦ぬけて生えかわった老人の歯で長寿の相という(異説もある)。「さす」は
    生える。「くらげの骨にあふ」はありえない、奇蹟のたとえ。この歌、初句は神宮本
    「水に立つ」、第五句は『法華験記』『今昔物語集』所収説話に「あふぞうれしき」
    とある。

「みづは」の説明は、『大和物語』の檜垣の御(檜垣嫗)の『後撰和歌集』入集歌の「みつはくむ」
(「水は汲む」と「端歯ぐむ」の掛詞)のと同じで、宮元啓一の上記説明は柿本奨『大和物語の注釈
と研究』(武蔵野書院,1981)によると日本古典文学大系の『今昔物語集』の頭注の_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
「海月の骨」は藤原元真の「世にし経ば海月の骨は見もしてむ網代の氷魚はよるかたもなし」に既に
用いられてて、三木紀人『多武峰ひじり譚』(法藏館法藏選書,1988)は「・・・元真は紀名虎女を
母とし、『私聚百因縁集』に増賀の祖父とされる藤原敏行(一四頁参照)とは従兄弟の関係にある。
また、良源に帰依した[藤原]師輔の北の方(藤原経邦女。中宮安子母)は彼の従姉妹である。こと
によると、この種の人脈上の縁によって彼の歌が増賀の耳に届いたのかもしれない。・・・」と(^^)
タグ:説話 和歌 列伝
コメント(2) 
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コメント 2

tai-yama

若かった過去の自分と年老いた現在の自分・・・・
「みづはさす」は(意味的に)現代だと部分入れ歯を指したり(笑)。
by tai-yama (2024-01-29 23:18) 

middrinn

屑本ばかり読んで逆に劣化する人(^_^;)
再生医療・再生医学とは違うのか(@_@;)
by middrinn (2024-01-30 05:56) 

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