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230402読んだ本

「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と、白河院も仰せなりけるとかや。
・・・と杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(一)』(講談社学術文庫,1979)には記されてるけど、
ままならぬものなど庶民には数えきれないぐらいあるぞ(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
ライオンズの試合をよく中継するTBSで14時から放送があり、今年初めてTVを点けてしまった(^_^;)
結局敗戦とはいえ先発に転向の平良から新加入ゴンザレスが同点ソロを放つ直前に放送終了(ノ゚ο゚)ノ

【読んだ本】

保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)所蔵本
保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)所蔵本

藤原道長が吉野の金峰山を参詣した際に藤原伊周による不穏な企てがあるとの噂が流れて、道長の耳
にも入ったと知るや、伊周は釈明のために道長邸を訪問するも、びくびくする伊周を道長はおかしく
思いつつも気の毒に思って、「久しく双六つかまつらで、いとさうざうしきに、今日遊ばせ」(長い
こと双六のお相手を致しませんでどうも物足りない気がしますから今日なさいませ)と述べて伊周と
双六をしたことが『大鏡』にある(石川徹[校注]『新潮日本古典集成 大鏡』[新潮社,1989]から
傍注の訳も含めて引用)(⌒~⌒) この後、「この御博奕は、打ち立たせたまひぬれば、二所ながら、
裸に腰絡ませたまて、夜中・暁まで遊ばす。」とあり(「博」は双六、「奕」は囲碁のことで、この
「博奕」は「・・・双六による賭け事。博打。」と頭注)、「打ち立たせたまひぬれば、二所ながら、
裸に腰絡ませたまて」という件は「博打に夢中になってしまわれると、お二人とも肌脱ぎになり、腰
に衣類をからませられて」と傍注・頭注の訳にあるように、『大鏡』にも双六に「着衣の乱れを気に
しながら熱中する様子」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-01 )など
無いぞ、バカチン上坂信男よオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) さて、さて、さ~て!この道長と伊周の双六
による博打は「・・・かやうの事さへ、帥殿は常に負け奉らせたまてぞ、まかでさせたまひける」と
〆られ、同書の傍注に基づいて訳すと、「・・・このような遊び事においてまで、帥殿[=伊周]は
常におくれをお取りあそばして、道長邸を辞去なさったことでした」となるのだが、気になったのは
保坂弘司の両書の訳であるエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    ・・・かような遊びごとにも、帥殿は、いつも勝ちを道長公にお譲りになって、
    お帰りになったものでした。

藤原伊周はサイコロの出目を自由にコントロールできたというのかΣ( ̄ロ ̄lll)ニャンですと!?

ちなみに、芸術新潮1994年4月号の特集「平安遷都千二百年記念 王朝貴族のホットな生活」の中の
倉本一宏「藤原伊周の栄光と没落」には、「寛弘元年(一〇〇四) 伊周・道長の関係修復」という
見出しで「・・・/ただし、『大鏡』(九大本系)には、この頃伊周がしばしば道長邸を訪れて碁を
打ち、故意に負けてばかりいた・・・」とあって、囲碁なら「故意に負け」ることも可能かな(^_^;)
タグ:歴史 古典
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

伊周は勝ってしまうのではと、内心びくびくしながら双六を
やっていたのかも(笑)。
ボロボロに負けた道長は「反乱の疑いで、島流し」とか言いそう。
by tai-yama (2023-04-02 23:09) 

ナベちはる

野球中継、なぜかいいタイミングで終わりますよね( ̄_ ̄;A)
by ナベちはる (2023-04-03 02:34) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 勝ってしまうのではと、内心びくびく座布団1枚 ♪
tai-yama様、しかも、道長が弱かったら、伊周は気が気でなかったかも(^_^;)
双六で伊周は道長に勝ちを譲ったから翌寛弘5年(1008年)に准大臣に(^_^;)
by middrinn (2023-04-03 06:46) 

middrinn

たしかに(^_^;) 「マーフィーの法則」にありそう(^_^;)
ナベちはる様、TBSはライオンズ推しだからかも(¬。¬ )
お陰でオリックスの敗戦を視なくて済みましたけど(^_^;)
by middrinn (2023-04-03 07:12) 

df233285

「藤原道長の御博奕」は、オイチョカブの類という話を、どこ
かで私は聞いたような気がします。運命の女神に、見放されて
いるかどうかという点を大鏡は述べているのでは。私も誤訳説
に賛成。なお双六でも、碁のように手を緩める事は出来ます。
双六はほぼバックギャモンですから、さいころは多数回数使う
ので大数の法則で双方平均に近く、個々の局面で、可能な着手
の中で、選択力が巧みな人間が勝ちに本来なります。ので、手
を緩めるイカサマは、可能だと私は理解します。
by df233285 (2023-04-03 07:35) 

middrinn

「この」とありますし、この段の「御博奕」は「双六」と解さざるを得ませんね(^_^;)
おっしゃる通り、小生も道長の幸運を示すものと読み、保坂弘司の誤訳と思いましたが、
異本に碁の話もあるようなので『大鏡』作者が碁と勘違いした可能性もあるかも(^_^;)
双六は筒に入れた2個の賽の出目で勝負の全てが決まってしまうと思ってました(^_^;)
by middrinn (2023-04-03 09:06) 

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