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230403九日前に買った本&読んだ本

名より実という生き方があり、「名を取るより徳を取れ」(「実益を伴わない名声を得るよりも実利
を得た方がよい。」と『大辞林』第一版第一刷)で、足利義満は天皇にならなかったのかも(@_@;)
名前は音読みするとカッコ良くなるもんだけど、「義満」は音読みすると「欺瞞」に聞えるな(^_^;)

【九日前に買った本&読んだ本】

芸術新潮2023年4月号

楽天ブックスで新品1500円を600p使って900円で予約していたのが発売日である先月25日に追跡可能
ゆうメールで届いた(^^) 本号の特集は「仏教美術的大宝庫 東福寺の実力」で非常に勉強になる(^^)

    巻頭グラフ 「伽藍面[がらんづら]」の四季

     その眺め、絶景につき/羅漢ひしめく!楼上の釈迦浄土/
     重森三玲のモダンクラシックの庭へ/和尚たちの祈る、巡る、鳴らす/

    Introduction 将軍は息子、天皇は孫 九条道家が夢見た中国式巨大伽藍(解説 石川登志雄)

     東福寺のあゆみ(略年譜)/東福寺と塔頭群(境内図)/
     心から心へ──禅傑たちの系譜(絵 伊野孝行)

    円爾[えんに]と無準師範[ぶじゅんしばん] 国境を越えたスーパー師弟

     第一則 ポートレイト・イン・ゼン(解説 高橋真作)

     第二則 「墨蹟」を読んでみよう

     第三則 師の文字で寺を飾る(解説 六人部克典)

     第四則 聖一派[しょういちは]、人材あまた雲と湧く

    雪舟も狩野派もみんな仰いだ 絵仏師・明兆[みんちょう]の遺産(解説 高橋真作)

     第五則 全50幅で描いた羅漢ワールド(解説 高橋真作)

     第六則 近世を先取りする闊達なる線(解説 高橋真作)

     第七則 白衣観音が、好き!(解説 高橋真作)

     第八則 大々的に大涅槃図

    東福僧堂訪問

     鳴らし物いろいろ

     interview 原田融道管長

      「公案にはどういう答えを出してもいい。ただ、それを本人が本当にわかって
       言っているのか、師家はそこを見るんです」

    東福寺展で学ぶ、禅のコスモロジー 展覧会案内

     特別展 東福寺 3/7~5/7 @ 東京国立博物館 平成館

    新緑よし、紅葉よし 東福寺拝観案内

     event 令和の大修理完成記念「東福寺大涅槃図」特別公開 4/15~5/7 @東福寺本堂

     information

     日曜座禅会

     三門・龍吟庵

他の記事では、サブカル巨星対談「寺山修司とは何者だったのか?」(中森明夫×大槻ケンヂ)、
「ジュエリー×剥製標本 鳥をめぐるアートとサイエンスの世界」(インターメディアテク開館十周
年記念「特別展示 極楽鳥」1/20~5/7)、『サイバーパンク桃太郎』作者Rootportインタビュー
「画像生成AIが1冊まるごとマンガを描いた!マンガとAIの未来はどうなる?」、芸術新潮特別企画
「アートスポット in 京都」、Around Geijutsu Shincho「マハさんと33人」(文 宮下規久朗)他、
連載記事では「山下裕二の新・今月の隠し球⑮ 鈴木明日香 ドラマティックな人体が物語る(上)」、
小田原のどか「ぐるぐるキョロキョロ展覧会記」33「語る者なきシーレの彫刻」、三浦篤「大人のた
めの印象派講座⑲ 印象派展の知られざる画家たちⅡ」、中野京子「名画に見る悪の系譜⑩ 悪徳政治
家」、立川輪太郎「ジャニー喜多川が創ったもの ⑩最終回 非マッチョの王国にっぽん」他、新連載
として「福井江太郎の駝鳥がゆく!! 第一回訪問先 小林忠[岡田美術館館長]」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

東福寺を創建した九条道家(兼実の孫で良経の子)について石川登志雄は次のように説明してる(^^)

    ・・・/東福寺建立の発願は、嘉禎2年(1236)のこと。道家は従一位摂政の地位
    にあり、時の四条天皇は外孫、鎌倉幕府の将軍は三男の頼経で、嫡男の教実こそ前年に
    早世していたものの、次男の良実(=二条家の祖)、四男の実経(=一条家の祖)など
    他の息子たちも高位の公卿として廟堂に連なっていました。最高実力者として朝廷を
    主導していた道家の気概を示すのが、他ならぬ東福寺という名称です。創建の発願文には、
    「洪基を東大に亜[つ]ぎ、盛業を興福に取る」とある。事業の雄大さは東大寺に、
    寺勢の盛んなことは興福寺に倣って、というのでしょう。そして、それぞれから「東」と
    「福」の字をもらい、東福寺[←「東福」に傍点]としたわけです。/・・・

付言すれば、九条道家の母は一条能保女で、その母は源義朝女で頼朝と同母である(^_^;) 足利義満
を小生は連想したけど、まさに当時の「最高実力者」だわな(^_^;) だけれど、この特集のメインは
やはり東福寺開山の円爾[えんに](^^) 高橋真作は次のように指摘する_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・ところが、[禅宗の社会への広がりで]果たした役割の大きさに比べると、
    円爾の名は栄西や道元。あるいは蘭渓[道隆]の陰に隠れがちなのは否めません。
    /その要因として、兼修禅・純粋禅という禅宗史の枠組みの問題があります。
    これは栄西もそうだったのですが、円爾も僧としての出発点は天台密教にあり、
    禅宗を主としつつも生涯、密教を捨てることはありませんでした。旧来の仏教に
    対して妥協的だった栄西・円爾に対して、やがて中国から蘭渓道隆がやって来て、
    純粋な禅宗をもたらした──こうした理解が、近年まで研究者レベルでも一般的
    だったのです。だとしても栄西が最初に臨済宗を伝えた事実は揺るぎませんが、
    円爾の方はどうしても過渡的な存在ということにされ、影が薄くなってしまう。
    /しかし現在では、天皇・貴族から幕府首脳や顕密の学僧たち、はたまた庶民層
    にまで広く禅の教えを説き、その地位を飛躍的に高めた円爾の活躍ぶりが見直され
    つつあります。中国の禅宗界との関係においても、無準[師範←南宋最高の禅僧]
    の法嗣[=「師の後継者として認められた弟子」]である円爾の方が、若くして
    後ろ盾もなく来日した蘭渓よりはるかに太いパイプを有していました。蘭渓が、
    北条時頼の後援で建長寺を開くにあたり、円爾は弟子たちを派遣して助力して
    いますし、兀庵普寧の来日にあたっても仲介役を果たしました。頂相や印可状の
    ような文化的側面も含め、円爾こそが禅宗が日本に定着する段階における最大の
    立役者だったのです。/

蘭渓道隆は何しろ名前がカッコいいからなぁ(^_^;) 円爾は売れない三遊亭みた・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「名を取るより得を取れ」だったら、名より実と同じ意味に
なりそう(笑)。蘭渓道隆の通訳とかも派遣した可能性もありそう。
円爾が通訳をしていたら水原さん(大谷の通訳)みたいになったのに。
by tai-yama (2023-04-03 23:53) 

middrinn

『大辞林』第一版第一刷は「名」では「名を取るより得を取れ」は立項されて
ませんし、「得」では「得を取るより名を取れ」が立項されてますね(^_^;)
また「徳」は「⑥富。財産。裕福。財力。」「⑦富を得ること。利益。もうけ。
得。」という意味もあり、「名を取るより徳を取れ」は誤植ではない(^_^;)
円爾は渡宋して径山の無準師範を師としましたが、「径山は帝室の厚い崇敬を
受け、南宋の禅院五山の第一位とされていました。長きにわたり住持を務めた
無準は、いわば禅界のトップ。」で、「中国最高の禅僧の法嗣(=師の後継者
として認められた弟子)となって帰国した・・・」わけですから、円爾の方が
蘭渓道隆より禅僧として格が上で、大谷翔平だったのかもしれません(^_^;)
本特集の「心から心へ──禅傑たちの系譜」によると、無準師範の師は破庵祖先、
蘭渓道隆の師の師は松源崇嶽、両者はともに密庵咸傑の弟子で、ただ、それぞれ
「破庵派」と「松源派」と別れるので、比較できないかもしれませんが(^_^;)
by middrinn (2023-04-04 07:09) 

df233285

何せ東福寺と言ったら、チャーターした日元貿易船が、
韓国沖で沈没して。韓国側将棋盤発表の15升目遊戯
盤と、飛車・角行無しの、大きさ玉>金>銀>香>歩
順の将棋駒群の海底出土で有名ですからねぇ。むろん
瀬戸物・陶器・銭等々は大量に積んでありました。
by df233285 (2023-04-04 07:51) 

middrinn

平清盛といい、足利義満といい、「最高実力者」は中国と貿易するなぁ~と思ってたら、
wikiの「新安沈船」の項を見ると「東福寺再建のため元に派遣」されたんですね(^_^;)
焼亡を免れた将棋の駒たちが東福寺のどこかに今も眠っているかもしれませんね(^_^;)
by middrinn (2023-04-04 10:10) 

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