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230306読んだ本

書くべきことを書かない不作為ではなく、どうして積極的にウソを日記に書くのか( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本
倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書,2013)
倉本一宏『藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む』(文春新書,2013)
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社選書メチエ,2013)

藤原道長の日記『御堂関白記』の寛弘8年(1011年)5月27日条を倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長
「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)の訳で引く(^^)

     二十七日、庚子。 一条天皇、東宮との対面を仰す

    天皇は、私を遣わして、東宮(居貞親王)と御対面なされるということをお伝えに
    なられた。これは御譲位に関する事であろうか。・・・

道長は「御譲位に関する事であろうか」と推察していることから、一条天皇は東宮と対面する目的を
道長には明かさなかったということになる(@_@;) この道長の記述を山中裕(日本歴史学会編集)
『藤原道長』(吉川弘文館人物叢書,2008新装版)122頁は次の如く真に受けている(@_@;)

    ・・・「余(道長)を以て東宮(居貞親王)に御対面有るべき由を聞こえらる、
    是れ御譲位の事歟、・・・」と見え(二十七日条)、一条天皇は道長を介して
    東宮に対面のことを仰せられた。道長は天皇の譲位のことと察し、・・・

だが、倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)は藤原行成
の日記『権記』の記述に基づいて次の如く道長の嘘を暴いている(@_@;)

    ・・・早くも道長は、この二十六日に譲位を発議している(『権記』寛弘八年
    五月二十七日条)。しかも、それは一条には知らされないものであった。/翌
    五月二十七日の朝、譲位のことがようやく一条に達せられ(『権記』)、一条は、
    東宮との対面を仲介するよう道長に命じているが、道長は「是れ御譲位の事か」
    などと白ばくれている(『御堂関白記』)。・・・

一条天皇の東宮との対面の用件は譲位の話であることを道長は知りながら嘘を日記に書いた(@_@;)

どうして道長は日記に嘘を書いたのか(@_@;) そもそも貴族の日記とは、子孫のために宮中の行事
・儀式・人事等を主として記録したもので、子孫を始め他人に読まれることを前提に執筆されたもの
とされている(⌒~⌒) となると、子孫に対して、自分は一条天皇の退位工作なんかしてないように
見せかけるために、道長は日記『御堂関白記』に嘘を書いた、と解するのが合理的かとv( ̄∇ ̄)ニヤッ

倉本一宏は『御堂関白記』だけは他の貴族の日記とは異なって「自分自身のための備忘録」であると
『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書,2013)、『藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む』
(文春新書,2013)、『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社選書メチエ,2013)等で力説してて
(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-06-16 ただ、講談社選書メチエでは
少し後退した⇒ http://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-06-24 )、その主張に得心
できなかったし、「自分自身のための備忘録」として嘘を書くなんて笑えるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
タグ:歴史
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

道長は忘れっぽいと言う話もあったので、二十六日の発議の件は
覚えていないだけだったり(笑)。一条天皇とはしらばっくれて
あっているだろうし・・・・
by tai-yama (2023-03-06 23:22) 

middrinn

道長が忘れっぽいという指摘もあったことを、よく憶えてましたね(^_^;)
倉本一宏は「道長の記憶力のよさがうかがえる例もある」とも指摘(^_^;)
そもそも『権記』の寛弘8年(1011年)5月27日条には〈「今朝、左大臣、
東宮に参り、御譲位の案内を申さる」と云々。〉とありますから一条天皇は
道長には東宮に対して「御譲位の案内」をするようにと命じたかと(^_^;)
なのに忘れてしまったとなると、もはや史料として価値が無いかも(^_^;)
by middrinn (2023-03-07 06:49) 

df233285

嘘では無いが、ちょっと表現が自己都合でねじ曲がっている
部分だと、後で読んで本人道長も思い出せるような、跳び
抜けて記憶に残りやすい顕著な事項は、忘れないと考えて。
適切性が謎の表現を、例えば自分のブログではする傾向の有る
ブログ管理人のような方なんでしょうかね。藤原道長という
御方は。つまり貴族の日記とは、現代で言えば典型的なブログか。
by df233285 (2023-03-07 08:00) 

middrinn

貴族の日記は子孫が宮中の行事・儀式等で困らないように他人が理解できる書き方を
してるかと(^_^;) おっしゃるような書き方は、他人に読まれても本人しか解らない
ようにするためのものでしょう(^_^;) 倉本一宏が主張するように「自分自身のため
の備忘録」なら他人に読まれないので、道長はそのような書き方は不要かと(^_^;)
それに、寛弘8年(1011年)5月25日条には「・・・(大江)匡衡を召して、易占を
奉仕させた」(倉本一宏[全現代語訳]『藤原道長「御堂関白記」(中)』[講談社
学術文庫,2009])と記しており、「権僧正と占文を見、共に以て泣涕」(『権記』)
までしたのだから、道長は「御譲位」のことを忘れるとは思えず、「これは御譲位に
関する事であろうか。」などと仄めかして記憶を呼び覚ます必要など無いかと(^_^;)
by middrinn (2023-03-07 10:43) 

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