読むにはガイド必須の本、どのガイドも不勉強な上にバカチンだったりするから読まない(@_@;)
図書館に予約してた本が確保されたが、重そうなの数冊を含む6冊は持って帰れぬ((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本(バカチン2冊)】

水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 下』(新潮社,1981)所蔵本
杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(十)』(講談社学術文庫,1988)所蔵本
梶原正昭&山下宏明(校注)『平家物語(四)』(岩波文庫,1999)所蔵本

一ノ谷の戦いで捕虜となって鎌倉へと連行される途中の平重衡(の心情)を描写してる一文、その訳
(新潮は傍注から、岩波は注釈からで、ともに部分訳)、注釈を引くが、読みが浅いぞヾ(`◇´)ノ

・水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家物語 下』(新潮社,1981)

  ・・・小夜の中山にかかり給ふにも、「また越ゆべし」ともおぼえねば、
  いやましあはれも数そひて、袂ぞいたく濡れまさる。・・・

                   〔西行の歌の如く〕再び越えられようとも思われないので
  いよいよ悲しみの種もつもって

  「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」(『山家集』西行)。
  歌の意味は、年経てからまた同じ山を越えようとは思ってみたことであろうか。
  その思わぬ旅路に小夜の中山を今再び越えている。それが命というものなのか。

・杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(十)』(講談社学術文庫,1988)

  ・・・/さやの中山にかかり給ふにも、又こゆべしともおぼえねば、
  いとど哀れのかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる。・・・

  ・・・/さやの中山にさしかかられると、また越えることができようとも思われないので、
  いっそう悲しみがつのって、袂は涙にぐっしょりと濡れた。

  西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」(『新古今和歌集』羇旅、
  『山家集』)による。

・梶原正昭&山下宏明(校注)『平家物語(四)』(岩波文庫,1999)

  ・・・さやの中山にかゝり給ふにも、又越ゆべしともおぼえねば、
  いとゞ哀のかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる。・・・

  生きて再びこの山道を越えられるだろうとも思えないので。西行の「年たけてまた越ゆべしと
  思ひきや命なりけり小夜の中山」(新古今集・羇旅)の歌を踏まえたもの。

第一に、この歌は西行が東大寺の大仏の再建のための砂金の勧進に奥州藤原氏の元へと向かった旅で
詠まれたものとされてて、その東大寺の大仏殿を焼亡したのは他ならぬ平重衡である( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

第二に、そんな仕掛けを施した『平家物語』の作者だが、この歌は文治2年(1186年)の詠とされ、
平重衡の鎌倉への護送は寿永3年(1184年)なのだから、実は時代錯誤を犯しているC= (-。- ) フゥー

第三に、この歌は『山家集』に無く、入ってるのは『西行上人集』ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

蛇足だが、鎌倉から南都へ送られて文治元年(1185年)に処刑されたので、再び越えた可能性(^_^;)

再三指摘してきた通り、よほど和歌に詳しくないと『平家物語』は読み解けないかと( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

・平忠度の歌、「お前が言うな」「自作自演」と罵詈雑言を浴びせられ炎上必至・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シャレ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-08-30

・賀茂明神の託宣歌が紀貫之の歌を踏まえてるのに各注釈書は気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-07

・「徳大寺之沙汰」で実定が「月をながめて」「口ずさん」だ「詩歌」とは、もしかして(⌒~⌒)ニヤニヤ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-22