来月購入予定の古本を買われちゃった∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!? 同じ趣味の人がいたとは( ̄◇ ̄;)

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記15 道長薨去』(吉川弘文館,2022)

35歳年下の関白の藤原頼通のことを右大臣の藤原実資がその日記『小右記』で批判している例の一つ
として長元2年(1029年)4月4日条を本書262頁から引く(^_^;)

     四日、壬辰。 祭主大中臣輔親、頼通を饗応

    兵庫頭(橘)内位[うちただ]が云ったことには、「関白[藤原頼通]が、祭主
    (大中臣)輔親の六条宅に渡った後、一日に饗饌を準備しました。唐の模本の
    『広韻』の葉子・同じく『玉篇』の葉子・新書の『白氏文集』の葉子・宅の券文を
    献上しました。螺鈿[らでん]の箱に納めました。懸子[かけご]が有りました」
    と云うことだ。内位の妻は、輔親の女である。そこで詳しくこれを知っている。
    万人の財を、一人(頼通)が所有するばかりである。「何日か、この宅に住まわれ、
    二日に白川第に移られました」と云うことだ。後に聞いたことには、「宅券を
    返された」と云うことだ。

「白川第に移らる」も批判種(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-11-25
だろうけど、ここでは「万人の財を以て、一人の有するのみ」と批判する(^_^;) 書物を「万人の財」
としているけど、白居易(白楽天)風に「書物はもとより定主なし 書物は書物を愛する人に属す」
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-26 )の意かもね(^_^;) ただ、忠平
から実頼、そして実資へと嫡流ゆえ書物は数多く伝来してるはず(^_^;) 道長も兼家も師輔も嫡流では
ないため道長の「家に伝来の書物がないのである」と清水好子&森一郎&山本利達『源氏物語手鏡』
(新潮選書,1975)(^_^;) でも、道長の日記『御堂関白記』を見ると、書物を献上されまくってて、
一部を賄賂として使っても(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-08 )、
それなりの蔵書を持てたことは倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社
学術文庫,2009)の寛弘7年(1010年)8月29日条からも判る(^_^;)

     二十九日、乙亥。 棚厨子に書籍を收む

    ・・・棚の厨子二双を作った。傍らに立てて、文書を置いた。三史・八代史・『文選』
    ・『白氏文集』『修文殿御覧』、それに様々な道の書、『日本紀』の具書、令・律・式
    を具えた。合わせて二千余巻になった。

道長は知性ある読書人だが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18 )、
この道長蔵書を頼通は受け継がなかったのか(^_^;) まさか「万人の財」とは大中臣輔親の「六条宅」
の「券文[けんもん]」=「宅券」を指すとか(^_^;) で、頼通は気に入らず、「返された」か(^_^;)
なお、大中臣輔親の妻はチョー有名な蔵命婦で頼通の同母弟の教通の乳母なのに大丈夫なのか(^_^;)

・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-03