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220917読んだ本

「村西がいいね」と中嶋が言ったから9月16日は終戦記念日(-ω-、) 今日勝ったけど優勝は無理(:_;)
再昇格後の村西は四球も減り救援に成功してたけど、昨夜は元の村西に戻った(ノ ̄皿 ̄)ノ┫:・’
「有り得ないミスが…。作戦のことはあまり言いたくないんですが、ちょっと信じられないような
ミスというか…」(中日スポーツ)が中嶋監督の談話で、スポニチアネックスだけが「2番手の村西が
二塁けん制のサインを見落として投げた一球を、清宮に決勝3ランされるミス。」エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
昨年はヤクルトとの交流戦で打たれて増井浩俊の史上初の「12球団勝利&セーブ」の記録を消すなど
いいところが全く無かったのに契約更改で保留して全オリックスファンを驚かせた強心臓の村西(+_+)
福田周平の走塁ミスで勝てなかった日ハム戦の9月7日に既に終戦を迎えてたような気もするけど(+_+)
昨年3月30日の浅い左飛なのに左翼が弱肩の吉田正尚ゆえ三塁ランナーのグラシアルにタッチアップで
得点を奪われた際に中継に入った紅林弘太郎が誰もいない三塁に空タッチしたのを思い出したぞ(+_+)

【読んだ本】

保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)所蔵本

「書家某」が藤原行成は「白楽天詩巻」を「経師[=「写経をする者」]の家へ行って」書いた云々
と言っているけど、「身分の差別がやかましかった藤原時代に、権中納言で正二位の行成が(当時は
身分の賤しい)経師の家へ行くことはできない。」ので「ばかげた話」だと春名好重『上代能書伝』
(木耳社,1972)は一蹴(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-07 )(^_^;)

高官が卑官を訪ねるという紀貫之の2ケースが例外として実際にありえたのかも考える必要があると
先日指摘したが、一つは堤中納言こと藤原兼輔を紀貫之が家に招こうとしたと解されている贈答歌の
問題(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-15 )で、もう一つの藤原師輔が
紀貫之の家を訪問したとされるケースを本書の訳で引く(^_^;)

    ・・・/たいへんおもしろいことは、こんなに貴い身分でいらっしゃる師輔公が、
    〔官位の低い〕紀貫之の君の家にお出かけなさったことでして、〔こうしてみると〕
    「なんといってもやはり和歌というものは、すばらしいものだ」と感じたことでした。
    ・・・そのとき貫之の君の代詠いたした歌は、

      吹く風にこほりとけたる池のうを千代まで松のかげにかくれん

       ──暖かく吹く春風によって氷のとけた池に泳ぎまわる魚[=師輔]は、
        いつまでも松[=忠平]の木かげに隠れていることでしょう。そのように、
        私は永久に父上[=忠平]のご恩恵をいただくことでございましょう。

    というのでした。〔貫之の君はこの歌を〕その家集にも書き入れましたが、〔この日
    の名誉の記念として〕もっともなことですね。/・・・

ちなみに、『増鏡』では同じ事情で紀貫之の家を訪問したのは「枇杷の大臣」こと藤原仲平になって
いるが、藤原師輔の「誤り」(井上宗雄[全訳注]『増鏡(上)』[講談社学術文庫,1979])(^_^;)

「和歌というものは、すばらしいものだ」とは、紀貫之の詠んだ歌が素晴しかったために藤原師輔が
紀貫之の家を訪問するという奇跡が起きたといった歌徳説話では勿論なくて、紀貫之が優れた歌詠み
という意であり、和歌一般を指していることは言うまでもない(^_^;) 父・藤原忠平へのお礼の和歌を
藤原師輔が代詠してもらおうと紀貫之の家を訪ねた話で、橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本
古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)169頁頭注12も「身分の低い人の家を訪ねることは、身分差が
厳密な当時、本来ならありえない。」と指摘するが、高官が卑官の家を訪問することなどありえない
と当時思われていたことも上記叙述からは読み取れる(^_^;) 問題は、この訪問が事実かどうか(^_^;)

「吹く風に」の歌は「家集」=『紀貫之集』に入っているが、その詞書には藤原師輔が紀貫之の家を
訪問したことなど書かれてなく、ソレが書かれているのは異本の為氏筆本『紀貫之集』のだけ(^_^;)
歌仙家集本『紀貫之集』を底本としている木村正中(校注)『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』
(新潮社,1988→2018新装版)は889首あるのに、為氏筆本は僅か91首しかなく、「・・・貫之没後の
他撰的要素が濃密・・・」(同書巻末の解説)の由(^_^;) 目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』
(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)は、「はじめに」で「・・・儀礼を重んずる師輔は・・・
自ら駕を身分の低い貫之の家に枉[ま]げた・・・」、「三 貫之の老年」でも「・・・師輔は、/
・・・/・・・身分の差を顧みず貫之の宅を訪問する破天荒な敬愛を示したりした。」と記してて、
訪問を事実と考えている(なお、本書によると同書刊行後に目崎徳衛は「為氏筆本貫之集について」
という論文を発表しているようだけど小生は未見)(^_^;) 目崎徳衛は藤岡忠美が首唱した藤原兼輔の
「小世界」(そこでは紀貫之との身分を超えた交流があったとする)論の支持者なので、藤原師輔が
「身分の差を顧みず」貫之宅を訪問したことは事実とするのは、然もありなん(^_^;) でも、「儀礼を
重んずる師輔」とするが、その「儀礼」は「身分の差」の無い現代のソレであって、当時の「儀礼を
重んずる」なら高官は卑官を訪ねないのではないかと愚考(^_^;) 木村正中・前掲書は当該歌の頭注欄
で次のように解説している(^_^;)

    ・・・為本詞書および『大鏡』所伝では、師輔が貫之の家まで来て[代詠]を頼んだ
    とあるが、おそらくそれは後の潤色説話化であろう(田中登氏)。

「名誉」(『大鏡』)なのに為氏筆本以外の『貫之集』には出てない事実が全てを物語ってる(^_^;)

為氏筆本について木村正中・前掲書は〈貫之が自分の家をさして「あやしの所」と書いているのは、
この本だけ。〉とし、「あやしの所」を「拙宅」と訳してるが、「賤し」は〈見苦しい〉〈粗末だ〉
の意(^_^;) 『大鏡』は紀貫之女の家が「西京」にあったとするが(鶯宿梅の説話)、「西の京」とは
『伊勢物語』各注釈書が指摘しているように〈廃れた地域〉、『枕草子』には「鶯は・・・まかでて
きけば、あやしきいへの、み所もなきむめの木などには、かしがましきまでぞなく。」(=「鶯は、
・・・(内裏から)退出して聞くと、賤しい民家の、見どころもない(貧弱な)梅の木なんかでは、
うるさいぐらい鳴くんですよ。」と萩谷朴『枕草子解環 一』[同朋舎出版,1981]は訳)とあること
などに着目したなら(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-17 )、本書が
『大鏡』の上記叙述は「・・・この本[=為氏筆本]に依拠した逸話であろう。」としてるように、
『大鏡』の鶯宿梅説話は、『拾遺和歌集』の作者名の無い鶯を詠んだ歌と『枕草子』の「鶯は・・・
あやしきいへ」と為氏筆本『紀貫之集』の紀貫之の家は「あやしの所」から創作したものかも(^_^;)

・片桐洋一『伊勢物語全読解』を除く『伊勢物語』各注釈書の解説は時代錯誤じゃんヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-07-04
タグ:歴史 古典 和歌
コメント(6) 
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コメント 6

ナベちはる

どのチームも、とんでもない「大ポカ」はあるようですね(◎_◎;)

by ナベちはる (2022-09-17 22:40) 

middrinn

ホントお口ポカーンですよ( ̄◇ ̄;)ポカーン
by middrinn (2022-09-18 06:19) 

df233285

昔は、そこへ敢えては行かない理由として、
暦の迷信で、悪い方角等もあったので。貴族の行動
の理由を、現代感覚で推し量るのは、もともと
かなり困難ですよね。
by df233285 (2022-09-18 09:17) 

middrinn

おっしゃる通りで、逆に、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』
(講談社学術文庫,2009)の長保元年(999年)7月18日条には「田鶴(藤原頼通)が
病悩した事によって、(橘)道貞の家に移った。」とあり、「病気平癒のための方違え
(方角の悪いところを避けて移り住むこと)など緊急の場合・・・」(清水好子『王朝
の歌人6 和泉式部』[集英社,1985])のケースがあるようです(^_^;) ただし、この
橘道貞の場合は紀貫之のような卑官と言えるのかはビミョーなところかと愚考(^_^;)
by middrinn (2022-09-18 09:43) 

tai-yama

三冠王(に近い)村上だって、清宮世代の一人ですし。
清宮は村上より(昔は)上なのでホームランは仕方ないっ!(笑)。
和歌の世界に貴賤などないっ!と書いたらいい話になりそう・・・
by tai-yama (2022-09-18 18:33) 

middrinn

福田や紅林は素人目にも野球脳が無いように見えるし、
清宮は野球脳が無さそうな代表・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
『古本説話集』が、貴族が和歌を詠む話に加えて、
「・・・木こり(第十八[&三十八])、東人(二十二)、
乞食(二十四)、貧女(三十三)、侍(四十)、郡司
(四十四)等低い身分の人が歌をよむ話をとり上げる。」
と高橋貢(全訳注)『古本説話集(上)』(講談社学術
文庫,2001)が記してる通り、貴賤はないです(^_^;)
by middrinn (2022-09-18 18:56) 

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