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220328読んだ本

客観的には敗軍の将なのに本人は勝ったつもりだったっぽい足利尊氏か〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
自分の置かれている状況を直視・理解・受容するのは難しいことだけど、流石にちょっとねぇ(^_^;)

【読んだ本】

鈴木健一『天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』(講談社選書メチエ,2017)

後鳥羽院の歌「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪風心して吹け」についての本書88~90頁(@_@;)

    ・・・/この歌から読み取れる後鳥羽上皇の態度としては、二つの解釈がある。/
    一つの解釈としては、丸谷才一氏が、/・・・/と述べているように、〈自分は
    手ごわいぞと治天の君として命令する〉というものである。たしかに、政治的にも
    文学的にも、その他のあらゆる点においても、頂点に立ちたいと願う帝王という
    人物像からすれば、配流された地においても、そこを支配するべく海に対して
    〈命令〉するというのもうなずける。また、「我こそは」の歌には、海を見晴るかす
    という点で、「見渡せば」の歌と同様に国見の要素も込められているし、この堂々と
    した歌いぶりは帝王にふさわしいと言えるかもしれない。/ただし、[この歌も入る]
    「遠島御百首」には右の解釈にそぐうような、勢い込んだ内容の歌はほとんどなく、
    全体としては、悲歌・絶望・怨恨といった風情で貫かれている。/そうした観点によって、
    「我こそは」の歌は、丸谷氏のような〈命令〉ではなく、むしろ〈懇願・哀願〉では
    ないかとする説もある。すなわち、〈この地にまだ自分は慣れていないのだから、
    よく気を付けて吹いておくれと懇願する〉というのである。近年では、こちらが定説と
    なっている。/後鳥羽上皇は、歴代天皇の中でも特別に強烈な個性を持ち、和歌にも
    情熱を注ぎ、『新古今集』編纂にも積極的に関与したわけだが、だからといって、
    すべての歌が強気一辺倒であるはずもない。先入観を持たずに、丁寧に当時の状況や
    歌の内容を汲み取る必要がある。/それに〈懇願・哀願〉と捉えたとしても、帝王ぶり
    自体はこの歌から感じ取れると思う。「我こそは」で始まり、「心して吹け」で終わる
    一首のありかたからは、全体として堂々とした風格が認められるだろう。また、国見
    という要素は揺るがない。/・・・

井上宗雄(全訳注)『増鏡(上)』(講談社学術文庫,1979)が丸谷才一の解釈(丸谷は「この和歌の
従来の解釈が誤りである」(同『後鳥羽院 第二版』[ちくま学芸文庫,2013])と大見得を切るも、
井上が「丸谷説には先蹤がある」として小島吉雄『新古今集講話』[昭和18年]の説を紹介は痛烈)
は成り立たないことを論点ごとに簡潔に論証していたので、本書の上記件も特に何とも思わず読んで
いたけど、最後の部分には首を傾げた(^_^;) 〈懇願・哀願〉なのに「帝王ぶり」「堂々とした風格」
というのは理解に苦しむね(^_^;) 鈴木健一は本書のテーマである「国見という要素」を見出したいが
ために、無理矢理そう「感じ取」ってないか(^_^;) そもそも後鳥羽院の「当時の状況」は隠岐に配流
された身ゆえ「国」の支配者ではなく、「国見」の意識があったとするのはヤバい人扱いかと(^_^;)
タグ:和歌
コメント(12) 
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コメント 12

tai-yama

「島流しなんてやだー」と言う本音を隠して帝王の風格を出した
歌とか書いてあればなんとなく強がっている雰囲気が(笑)。
後醍醐天皇の様に島から脱出して舞い戻ったらカッコよかったのに。
by tai-yama (2022-03-28 23:46) 

ナベちはる

自分が置かれている状況を客観的に見ること…とても難しいです((+_+))
by ナベちはる (2022-03-29 01:54) 

middrinn

金銀財宝を発見して、謎の人物モンテ・クリスト伯爵として、
tai-yama様、帰京したら、更にカッコ良かったかも(^_^;)
by middrinn (2022-03-29 05:25) 

middrinn

とりわけ自分にとって受け入れ難い状況の場合は、
ナベちはる様、防衛機制が働きますしね(^_^;)
by middrinn (2022-03-29 05:46) 

df233285

つまらない初心者質問で恐縮です。
「隠岐の海」と「荒き浪風」の間に、「の」を入れると字
余りなのに、敢えて入れるのは何故だったのでしょうか?
by df233285 (2022-03-29 08:03) 

middrinn

愚見では、「の」が無いと「隠岐の海」に対して「荒き浪風心して吹け」と
〈懇願・哀願〉したことになり、後鳥羽院としては「隠岐の海の荒き浪風」
に「心して吹け」と〈懇願・哀願〉した意を示したかったからかと(@_@;)
by middrinn (2022-03-29 09:06) 

爛漫亭

 丸谷才一は『新々百人一首』では、<今度の島の神である自分はこれまでの島の神と違つて手ごはいゆゑ、おとなしくするほうが身のためだぞと風をおどかす、ユーモアの歌であつた。> と記していました。歌の調子からは「哀願する歌」というよりは、祭主としての祈願という雰囲気が感じられます。
by 爛漫亭 (2022-03-29 09:23) 

middrinn

前掲『後鳥羽院 第二版』でも「新」+顕昭『袖中抄』の「島守」の説明
で「今度の島の神」としてますが、井上・前掲書に〈桐原徳重氏は次の
ように言う。「新島守」は辺境防備の新兵(新崎守)、と定家も家隆も
解していた(定家物語、家隆の「武士の新島守も……」という歌意より)。
後鳥羽院もそう解していたのが自然で、丸谷氏のように、新任の島司
とか新しい島の神だとかの意に用いるのはおかしい。また新兵とすると、
ひとふし笑いを含む歌になるが、それは作者が楽しんでいるとは限らない。
滑稽な、おどけた表現でしかいえない悲しみもあり、かえってそれが深い
悲しさとなる場合がある。また「心して吹け」といういいまわしは、
『新古今』の三例[ママ]でみる限り、秋の強風に対して、おだやかに
吹くように願ったもので、後鳥羽院の表現もそれらを無視したとは考え
られない。・・・〉とあります(^_^;) 久保田淳『新古今和歌集全注釈 五』
(角川学芸出版,2012)も寂然法師の「ことしげき世をのがれにし深山辺に
あらしの風も心して吹け」を「煩わしいことの多い世の中を逃れてやって
きたこの深山のほとりなのだから、恐ろしい山風も心を配って手加減して
吹いておくれ。」と訳し、「山家のあらしに訴えかけることによって、その
烈しさ、さびしさを間接的に表現した。」、「風に呼び掛けた歌は古来
少なくない。が、その中で最も著名なのは、やはり後鳥羽院の、/・・・/
であろう。この歌もまた、寂然の詠からいくばくかの影響を受けているの
かもしれない。」と評してます(^_^;) 御製も「浪風」がそれだけ「荒」い
ことを「間接的に表現した」もので、だからこそ〈懇願・哀願〉かと(^_^;)
「歌の調子」が「哀願」とは「感じられ」ないとおっしゃるのは、後鳥羽院
に対するイメージ(=「先入観」)に引き摺られてしまったからかと(^_^;)
前掲『後鳥羽院 第二版』は自らの同歌の解釈を「それは彼の経歴から見ても、
気性から見ても、不自然なことではなかろう。」等々、「気性」を連発(^_^;)
現代人がイメージする後鳥羽院の「気性」に合わせて御製を解釈・鑑賞した
ので和歌を正しく解釈・鑑賞できない現代人にウケたのだと愚考します(^_^;)
by middrinn (2022-03-29 11:28) 

爛漫亭

 なんとなく配流の帝王の歌として
感情移入しますね。
by 爛漫亭 (2022-03-29 15:52) 

middrinn

解ります(^_^;) 崇徳院に対しては小生もあります(^_^;)
また配流ではなくても、阿倍仲麻呂、藤原実方・・・等々の
客死した者に対してもやはり感情移入しちゃいます(^_^;)
by middrinn (2022-03-29 16:15) 

yokomi

直視・理解・受容の言葉をPutinに教えたい(^_^)v
by yokomi (2022-03-31 13:35) 

middrinn

拙稿と無関係のコメをされるのは不愉快です(^_^;)
レスしても記事と同様にお読みになってない御様子で、
nice!欲しさに落書きしてる輩と変わりません(^_^;)
by middrinn (2022-03-31 18:04) 

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