花山院は熊野参詣にシャンプーハット持ってくの忘れただろうし・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;必要ないだろ?
花山院が色々と考えてしまったのはマイ枕を忘れて眠ることが出来なかったからに非ずv( ̄∇ ̄)ニヤッ

【読んだ本】

犬養孝『万葉の旅(中)近畿・東海・東国』(現代教養文庫,1964)所蔵本
犬養孝『万葉の人びと』(新潮文庫,1981)所蔵本

犬養孝は実地踏査する研究者ゆえ『万葉の旅(中)』の和歌山県の「日ノ岬」の項での「北側の海が
自然への恭順を記して明るくひそまるとすれば、南東側は大洋にうちひらけて黒潮をまともにうけ、
ますます明るく騒然と闘争の構えを示すようである。ひとたび西風南風をうければ波濤に潮けぶる日
も多い。」という事実認識には信を置かざるを得ないし、コレに続く「こうした景観のちがいの中に
おかれた旅の人の抒情の在り方が、景観との深い関連を保つことは忘れることができない。」という
指摘にも耳を傾けるべきかと(^^) 犬養孝は『万葉の人びと』の「第八回 有間皇子(二)」において
次のように詳論している(^^)

    ・・・/・・・みなさん、和歌山県の地図を開いてごらんなさい。日ノ岬という
    ところの北側は、リアス式海岸ですから大変屈曲が多く、海が深くて波がない。
    ところが、同じ日ノ岬に立って東南を見てごらんなさい。多少の屈曲はあるけど、
    北に比べたら、あまりデコボコがありません。田辺湾という湾はあるけど、そこ
    まではずうっとまるで直線みたいになっています。ということは、リアス式の
    反対で、隆起型なんですね。だから今まで海底にあった岩が、年々露出して
    来ます。そして黒潮の波が打ちよせると、岩が多いから波が高くなり、海岸には
    海蝕崖が多くなるんです。ということは、どういうことになるでしょうか。/
    景色は、日ノ岬から南は男性的、躍動的、南国的です。たとえば、浜木綿が
    たくさん生えていたり、また、榕樹(アコウ)の木という、気根を垂らす南洋の
    方の暖かい所の木が茂ったりする。そういうのを見ると、まさに男性的、南国的
    ですね。/ところで、大和には海がないでしょう。その海のない人々がこの紀の国
    の海、熊野などの海に出てきて、そのみごとで男性的な景観を見て、ものすごく
    感激するわけです。だから『万葉集』の紀の国の歌、約一三〇首ほどの歌を見ると、
    南へ行けば行くほど、景観と共に心躍る歌ばかりになる。初めて海を見るような
    人達ですから、その南国的な景観に夢中になるのです。・・・

さて、小生が注目したのは、「日ノ岬」の「南東側」は「波が高」いという指摘であるv( ̄∇ ̄)ニヤッ

爛漫亭様から頂戴したコメントにインスパイアされ、後鳥羽院の熊野御幸に随行した藤原定家の歌を
調べると、「日ノ岬」の「南東側」に位置する「切部王子」において建仁元年(1201年)10月11日に
「羇中聞波」という題で詠んでいたので、久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集 下』(ちくま学芸
文庫,2017)から訳とともに引く(⌒~⌒)

    うちもねずとまやに波のよるのこゑたれをと松の風ならねども

     夜海辺の苫屋に宿ると、寄る波の声、特に誰を待つわけでもないが
     松風の音が聞えてきて、まどろむこともできない。

久保田淳『藤原定家』(ちくま学芸文庫,1994)も「聞きなれぬ波音が定家の旅寝を妨げたことは確か
であった。」とし、「海がない」都から来た「初めて海を見るような人達」には「聞きなれぬ波音」、
ましてや「波が高」い「日ノ岬」の「南東側」となれば、「まどろむこともできない」のかも(^_^;)

さて、さて、さ~て!保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)から引くよ(⌒~⌒)

    ・・・/花山院はすでにご在位のときから、ご出家のお志がおありでしたので、
    退位されてからは、じつにごりっぱに勤行あそばされ、そのご修行のために、
    諸国の霊山霊場をご巡礼なさらぬ所はありません。さて、熊野権現参詣の街道に
    ある千里の浜という所で、ご気分がわるくなられたので、浜辺に石のあったのを
    枕にして、おやすみになりましたが、すぐ眼の前に、漁夫の塩を焼く煙が
    立ちのぼるのをご覧になった心細さ、まったくどんなにか身にしみるばかり
    お感じあそばしたことでしょうな。そのときのお歌はこういうのでした。

     旅のそら夜半のけぶりとのぼりなばあまのもしほ火たくかとや見ん

      ──旅の道中の、こんなところで死んで、そのまま夜の火葬の煙
      になって空に立ちのぼるならば、人は千里の浜の漁夫が藻塩火を
      たいている煙かと眺めることだろう。

    ・・・

このように花山院が客死してしまうことまで考えたりしたのは、体調が悪かったためだけではなく、
千里の浜も「日ノ岬」の「南東側」で「波が高く」、サーファーの声で眠・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;チガウダロ!

・花山院が播磨国で月の光の明るさに都を恋しがる歌を詠んでいるのが意味深に思えてしまう(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-28

・花山天皇は清涼殿から眺める月こそ素晴しいという和歌を詠んでいる〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-29

・よく知られている花山天皇が藤原道兼に騙されて退位・出家するシーン、誤訳ではないかと(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-31

・パシリを命ぜられただけの藤原道長は花山院退位事件の陰謀を事前に知っていたのだろうか(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-09

・花山院が休んだ「千里の浜」とは有間皇子の結びの松で知られる「岩代の浜」のことなのか(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-13

・「千里の浜」の月光を白雪に喩えた藤原定家の歌から藤原重家のパクリ歌へ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-22