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220215読んだ本

全く根拠が無くても俗受けするようなことを言った者勝ちだよね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
論じられている人物のイメージに合う内容だと真に受ける輩も出てくるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

【読んだ本】

谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書,2008)

桓武天皇の鷹狩りの真の目的について、森田帝子『天皇・親王の歌 コレクション日本歌人選 077』
(笠間書院,2019)が紹介していた谷知子の説を本書78~79頁から引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /次は平安時代に目を転じてみよう。奈良時代までの狩猟は、鹿狩りが中心で
    あったが、平安時代以降は鷹狩りが主体となっていく。そのきっかけを作ったのが、
    桓武天皇であった。桓武天皇は鷹狩りをこよなく愛し、延暦二年(七八三)から
    延暦二三年(八〇四)までの間に、一三二回にのぼる遊猟を実施している。/
    桓武天皇がなぜこれほど多くの鷹狩りを行ったのだろうか。それは、おそらく
    平安遷都と深く関わっていたと思われる。平安遷都は、奈良貴族を中心とする
    旧勢力を振り切り、新天地を求めて行われた難事業であった。そして、天皇は、
    新しい土地で自分が王者であることを見せる必要に迫られた。そこで選ばれたのが、
    臣下を引き連れて狩猟を行うというパフォーマンスだったのである。つまり、
    鷹狩りというパフォーマンスに事寄せて、各地の視察をし、自分の狩り姿を
    見せることによって、王者をアピールすることを目的としていたのだ。/・・・

浅はかな論だよねぇ(^_^;) 先ず「一三二回にのぼる遊猟・・・これほど多くの鷹狩り」とあるけど、
そもそも「遊猟」=「鷹狩り」とは限らぬ(^_^;) 『日本後紀』に頻出する「遊猟」なる語句に関し、
黒板伸夫&森田悌(編)『訳注日本史料 日本後紀』(集英社,2003)の補注(1058頁)は、

    狩猟、すなわち遊戯または軍事演習のため、田野で大がかりに鳥獣を獲ること。
    天皇をはじめ限られた王臣の特権であった。弓などで鳥獣を取[ママ]るほか、
    鷹を用いる鷹狩も盛んで、桓武天皇は後者を特に好んだ。これには鳥を嗅ぎ出して
    追い立てる猟犬も用いられた。

と説明しており、「遊猟」は「鷹狩り」以外にも「弓などで鳥獣を取る」場合もある(^_^;) しかし、
その判別は不可能なので、とりあえず「遊猟」=「鷹狩り」と仮定して話を進めることにする(^_^;)

誰でも気付くけど、延暦13年(794年)10月28日の「平安遷都」より前の「延暦二年(七八三)から」
カウントした遊猟の回数を示して、ソレは「平安遷都と深く関わ」り、平安京という「新しい土地で
自分が王者であることを見せる」「パフォーマンス」だったとするのは明らかにおかしいだろ(^_^;)

加えて、「自分の狩り姿を見せることによって、王者をアピールすることを目的」というが、鷹狩り
の場所を考慮することなく合算して、「一三二回にのぼる遊猟・・・これほど多くの鷹狩り」と誇張
してる点も問題(^_^;) 目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)が、

    ・・・/内裏における曲宴と並んで注目されるのが、平安京中と郊外への活発な
    巡幸・遊猟である。京中の巡幸は、主として新京建設の督励という国政上の必要
    からではあったが、一面、桓武天皇の王者としての愉楽でもあり、その際しばしば、
    皇親・貴族の第宅に臨んで盛んな宴飲をおこなっている。一方、郊外の遊猟こそは
    天皇のこよなく愛好したもので、これに関する国史の記事はまことにおびただしい
    数にのぼる。山城国一帯には、北に北野・紫野、東に栗栖野・柏原野・日野、南に
    栗前野・芹川野、さらに遠く大原野・瑞野など、さらには隣接する摂津国にも
    水生野・交野など、鷹狩の適地が多くあった。以上の山野は、いずれも数回・
    十数回と天皇の遊猟がおこなわれた場所であるが、その際、それぞれの地に私第・
    別業を領有する皇親・貴族は、常に酒食を奉献して盛宴を張るのであった。・・・

と記しているように、遊猟は平安京の「郊外」の「山野」で行なわれたので、平安京という「新しい
土地で自分が王者であることを見せる」、「自分の狩り姿を見せる」ことなどありえないだろ(^_^;)
もしかしてもしかすると、谷知子は鷹狩りが平安京の市中で行なわれていたと思ってたりして(^_^;)
「王者をアピールすること」が目的のパフォーマンスなら、目崎も言うように「京中の巡幸」(^_^;)

見落としがあるかもしれないが、森田悌(全現代語訳)『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)
から延暦13年(794年)10月28日の平安遷都以後の遊猟の場所をメモると、

①延暦13年(794年)は康楽岡[かぐらおか]1回、大原野1回、山科野1回で計3回、

②延暦14年(795年)は日野2回、柏原野2回、大原野2回、交野1回、登勒野[とろの]1回、
           紫野1回、栗栖野[くるすの]1回で計10回、

③延暦15年(796年)は登勒野3回、日野3回、芹川野1回、水生野[みなせの]1回、
           栗前野[くりくまの]1回、大原野1回、紫野1回、北野1回、
           栗栖野1回で計13回、

④延暦16年(797年)は北野6回、大原野3回、的野[いくはの]1回、水生野1回、登勒野1回、
           日野1回、栗栖野1回で計14回、

⑤延暦17年(798年)は北野2回、水生野2回、柏原野2回、大原野2回、日野2回、
           栗前野1回の計11回、

⑥延暦18年(799年)は栗前野2回、水生野2回、陶野[すえの]1回、的野1回、交野1回、
           西野1回の計8回、

⑦延暦19年(800年)は栗前野2回、水生野1回、大原野1回、的野1回の計5回、

⑧延暦20年(801年)は大原野2回、栗前野2回、的野1回、日野1回、水生野1回の計7回、

⑨延暦21年(802年)は水生野1回、的野1回、芹川野1回、北野1回の計4回、

⑩延暦22年(803年)は北野2回、柏野及び水生野1回、的野1回、大原野1回の計5回、

⑪延暦23年(804年)は北野2回、日野1回、水生野1回、大原野1回、栗前野1回、城野1回、
           恵美原1回、垣田野1回、藺生野1回、日根野1回、熊取野1回の計12回、

⑫延暦24年(805年)は0回、

⑬延暦25年(806年)は3月17日の崩御まで0回、

であって、平安遷都後の遊猟は以上の計92回となるが、その内の水生野(計11回)と交野(計2回)は
摂津国、⑪延暦23年の城野、恵美原、垣田野、藺生野、日根野、熊取野の各1回は全て和泉国だ(^_^;)
平安京から離れてる摂津国や和泉国で、平安京という「新しい土地で自分が王者であることを見せる
必要」だなんておかしい(^_^;) これら計19回を除くと平安遷都後に行なわれた遊猟は計73回となり、
「一三二回にのぼる遊猟」の半数程度に(^_^;) しかも、繰り返すが、鷹狩りは平安京の市中ではなく
「郊外」の「山野」で行なわれたので、桓武天皇は「自分の狩り姿を見せる」ことなど出来ぬ(^_^;)

更に疑問点を挙げると、もし「[桓武]天皇は、新しい土地で自分が王者であることを見せる必要に
迫られ・・・臣下を引き連れて狩猟を行うというパフォーマンス・・・鷹狩りというパフォーマンス
に事寄せて・・・自分の狩り姿を見せることによって、王者をアピールすることを目的としていた」
のなら、鷹狩りを「天皇をはじめ限られた王臣の特権」(前述)とせずに〈天皇だけの特権〉とした
はず(^_^;) 前掲『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)から延暦14年(795年)3月辛未(4日)
条(同書77頁)と延暦23年(804年)10月甲子(23日)条(同書334~335頁)を順に引く(^_^;)

    勅により、再度許可なく鷹を養[か]うことを禁止した。


    天皇が次のように勅した。/

     久しい以前から私[わたくし]に鷹・鷂[はしたか]を飼養することを禁止して
     きている。しかし、聞くところによると、臣民の多くが飼養し、勝手に狩りを
     しているという。これは故意をもって勅命に違反することであり、深く罪責を問う
     必要がある。取り締まりを行い、二度と違反することのないようにせよ。ただし、
     一、二(「三」は「一二」の誤りと解釈した)の臣下には身分に応じ飼養を許可
     している。これらの者には公印の捺[お]された文書を与え、私養許可証とせよ。
     他の者が飼養すれば、重罪とする。私養許可証に記されている以上の飼養を行って
     いる場合は、鷹狩を行っている者を捕らえ、身柄を差し出せ。私養許可証がないまま
     飼養している王臣五位以上の者は、名前を記録して報告せよ。六位以下の者と鷹狩を
     行っている者は法に従って拘束し、違勅罪に問え。さらに使人を派遣して捜索し、
     もし他に違犯者がいれば、国郡の役人も同罪とせよ。/

前掲『訳注日本史料 日本後紀』は、前者(3月辛未)の「重ねて私[ひそ]かに鷹を養[か]うこと
を禁ず」(同書49頁)の「重ねて…禁ず」の補注(同書1087頁)で「宝亀四年(七七三)正月十六日
に鷹の私養を改めて禁止する騰勅符が出され、違犯者は六位以下ならば違勅罪、五位以上は天皇に対
して名前を通知することとされていた(三代格一九大同三年九月二十三日官符)。」と説明するが、
この「天皇に対して名前を通知する」とは同書282頁の頭注の「自余の…言上せよ」が「公験を持たず
鷹・鷂の私養を行っている五位以上は、身分が高いので犯状が明らかであっても直ちに拘束すること
は許されない(獄令43)ため、違反者の名前を通報させるに留めた。」と解説されている通り(^_^;)
平安京という「新しい土地で自分が王者であることを見せる必要」から「王者をアピールすることを
目的として」鷹狩りを行なったのであれば、鷹狩りを許可制にして一部の親王・「臣下」にも許して
いた事実の説明がつかぬ(^_^;) 「新しい土地」の人々はモチ誰が「王者」なのか判らないのだから、
上記の「目的」は鷹狩りを「王者」にしか許さないことによって初めて達成されるものだろう(^_^;)

更に、注目すべきは「再度・・・禁止した」点(^_^;) 「禁止」されてるにもかかわらず「臣民の多く
が」鷹を飼って「勝手に狩りをしている」から、「再度・・・禁止した」ということ(^_^;) どうして
遵守されないかと言うと、石村貞吉(嵐義人校訂)『有職故実(下)』(講談社学術文庫,1987)に、

    爾来、歴代の天皇が好んでこれを試みたことは、史書に歴々と徴せられるが、
    文武天皇(42)に至り、大宝令の制定あるに及んでは、主鷹司を置いて、
    兵部省に管せしめられ、鷹狩はますます盛んであった。それで聖武天皇(45)
    神亀五年(七二八)以来、朝廷の許可なくして私に鷹を飼うことを禁じられ、
    その禁令の下ること、再三再四に及んだがその効なく、平安時代に入り、
    ・・・一般の放鷹に対する関心はすこぶる高いものがあって、片々たる禁令の
    いかんともすることができなかったとみえる。・・・

とある如く、禁令を何度出しても効果が無いのは鷹狩りにそれだけ魅力があるということ(^_^;) 桓武
天皇は自らの出自から始めて(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-14 )、
結局その面白さにハマってしまっただけかと(^_^;) 加えて、雉肉パーティーを好・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
「パフォーマンス」では半数しか説明が付かぬも、コレならば「一三二回にのぼる」のも納得(^_^;)

もっともらしい説を思い付くのは結構だけど、裏付ける史実が無く、否定的な状況証拠ばかり(^_^;)
タグ:歴史
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コメント 6

df233285

鷹が奈良県を避ける理由でも考えないと、遷都は徳政
という類のアピールと、結びつけるのは無理ですよね。
くつわ虫が、栃木県鹿沼市の一部に居ないという話は
聞いたことがありますが。何れにしても鷹狩が皇族が
好んでする遊戯と、言われるようになったとは通説で、
個人的に複数回耳にはしました。しかし和名類聚抄
の書き方の空気から察すると、皇族・貴族は古代、
遊戯一般を、一通りこなさなくては、恥ずかしい存在
との教育が通常、子弟に対しては行われたのでは
ないかと、かなり強く疑われるとも私は認識します。
by df233285 (2022-02-15 22:34) 

tai-yama

日ハムの監督も新しい土地で自分が王者であることを見せる必要に
迫られたためのパフォーマンス・・・と。実際、日ハムが鷹狩りを
したらさらに人気が高まるかも(笑)。
by tai-yama (2022-02-15 23:08) 

ナベちはる

今だったら根拠を調べる手段はいろいろありますが、それが無かったころは「受け入れられるものを言ったもの勝ち」みたいなところはあったかもしれませんね(+o+)
by ナベちはる (2022-02-16 01:15) 

middrinn

たしかに『日本後紀』に出てる平安遷都以前の鷹狩り35回も
長さん様、山背国か摂津国で、大和国では無いですね(^_^;)
遷都は「軍事と造作」の後者ですから、苦役ですよね(^_^;)
by middrinn (2022-02-16 13:01) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製日ハムが鷹狩りをしたら座布団1枚 ♪
tai-yama様、鷲狩り、鴎狩り、獅子狩りも期待・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2022-02-16 13:06) 

middrinn

ところが、簡単に根拠を調べられる現在でも、
ナベちはる様、言った者勝ちなんです(^_^;)
by middrinn (2022-02-16 13:11) 

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