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211102読んだ本&おまけバカチン

読書の厄介なところは、作者の教養の有無・程度で作品評価も異なることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
作者が教養人かどうかを見極めるのは難しいし、モチ評価する側に教養が無いと話は始まらない(@_@;)
評価してるつもりが評価されたりしてることもあるわけで評価なんてしない方がいいかもC= (-。- ) フゥー

【読んだ本】

後藤重郎(校注)『新潮日本古典集成 山家集』(新潮社,1982→2015新装版)所蔵本

歌川広重が猿と「桜の花」を描いた花鳥画に「秋」を詠んだ漢詩文の画賛が書かれてるのを不思議に
思わぬ評者もいるが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-02 )、評価する
側ではなく、評価される側(作者)の教養の有無・程度は、その作品評価に関わってくるかと(^_^;)
植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)から再び引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・わが国では、結局のところ、猿声の悲哀は、和歌のイメージとして定着
    しなかった。芭蕉は「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」という句を作っている。
    中国や平安時代の漢詩人たちが、耳につんざくような猿声にはらったイメージを
    思い起こしながら、秋風の中で泣きさけぶ捨て子のあわれな声と較べたならば、
    果たしてどちらが悲しいであろうか、と述べたのである。既成のイメージに
    対する、芭蕉自身の懐疑が、ここにはある。これはまた、日中両国における、
    カン高い鋭角的な音色・音質に対する好みと深く関連していよう。/・・・

芭蕉作の「春なれや名もなき山の朝がすみ」を知った時には芭蕉が和歌に詳しいことが判って衝撃を
受けたし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-06 )、更に「猿を聞く人
捨子に秋の風いかに」からは漢詩文の教養もあることが判る( ̄◇ ̄;) しかも、「芭蕉自身の懐疑」
とあるように、現実世界の悲しみをどう受けとめるのかと、漢詩人に対してだけでなく自分自身にも
問いかけたものと井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)も評しており、芭蕉には敬意m(__)m
「猿声の悲哀」は日中の比較文化論の主題の一つであり、松浦友久『詩語の諸相 唐詩ノート』(研文
出版,1981)でも詳論されているが、松浦友久『李白 詩と表象』(現代教養文庫,1970)から引く(^^)

    ・・・中国の古典詩からあれほど多くの素材を転用した日本の和歌が、猿の声に
    ついては、ほとんど関心を示していない。より具体的にいえば、古典和歌をほぼ
    完全に収める『国歌大観』(正・続)をみても、「猿[ましら]に関しては、
    ほとんど数えるほどの例しかない。反対に、中国の中世詩に少なくて日本の和歌に
    多いのは、「鹿」(さをしか)の声である。/・・・/〝猿声〟と〝鹿のね〟を
    めぐる抒情の美、そこには、するどいもの、きびしいもののなかにも日常的な共感
    を見いだす中国的な美意識と、やさしいもの、なだらかなものにこそ共感する
    日本的な美意識との相違が、反映しているといえよう。・・・

しかも、「ほとんど数えるほどの例」の一つであろう凡河内躬恒の『古今和歌集』入集歌も漢詩の題
を与えられた上での詠作(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-20 )(^_^;)
そこで、チト気になるのが、大原に住む寂然に対して高野の山中から西行が詠んで送った10首の中の
猿[ましら]を詠んだ歌であり、本書から後藤重郎の訳も一緒に引く(@_@;)

    山深み 苔のむしろの 上に居て 何心なく 啼く猿かな

     山が深いので一面に敷きつめた苔の上に坐り、無心に猿が啼くことでありますよ。

「何心[なにごころ]なく」とは「何かをおそれたり、わずらわされたりすることなく、無心に。」
と頭注にあるが、漢詩文の影響下に「猿声の悲哀」を詠むことを拒否し、漢詩文の「猿声の悲哀」を
意識して敢えて「何心なく」と西行は表現したものなのか、西行は漢詩文に関する教養を身につけて
いたイメージが無いので(あくまでも小生の印象だが)、何とも判断に苦しむところである(@_@;)

【おまけバカチン】

目崎徳衛(日本歴史学会編集)『西行』(吉川弘文館人物叢書,1980→1989新装版)所蔵本

〈・・・西行が高野の情趣を「山深み」と詠い出した十首を送り、寂然が「大原の里」で結ぶ十首で
答えた贈答(『山家集』)には、両者それぞれの草庵の風情が如実にうかがわれる。それによれば、
西行の草庵は・・・猿[ましら]・梟[ふくろう]・鹿[かせぎ]などの声がすごく聞える、深山の
幽邃[ゆうすい]そのものであり、・・・〉と目崎徳衛は記しているけど、「鹿」を詠んだ当該歌を
引くが、どこに「鹿・・・の声がすごく聞える」んだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

    山深み 馴るるかせぎの け近さに 世に遠ざかる ほどぞ知らるる

     山が深いので、鹿が近く馴れ親しむにつけ、世間からどんなに遠ざかったかが
     知られることですよ。
コメント(6) 
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コメント 6

爛漫亭

 秋に牡鹿は牝鹿をもとめて鳴くのだそうですね。
秋は恋の季節で、その声が王朝和歌に好まれたよう
ですね。
by 爛漫亭 (2021-11-02 23:00) 

tai-yama

夜中、バイクを停めた場所で猿の鳴き声を聞き怖くなって
その場をサルことはよくあったり(笑)。
by tai-yama (2021-11-02 23:32) 

ナベちはる

「評価する」なんて、しない方が良いですよね。
悪い評価をされて逆恨み…はないと思いたいですが、それがあり得るので怖いです。
by ナベちはる (2021-11-03 01:35) 

middrinn

植木久行『唐詩歳時記』にも「・・・鹿の鳴き声は、中国では楽しくめでたいもの
として、日本ではさびしくわびしいものとして聞きなされている。」とありまして、
爛漫亭様、猿の声と同じように、日中の比較文化論で取り上げられるネタです(^^)
by middrinn (2021-11-03 07:54) 

middrinn

お猿さんが怖いとおっしゃるなら、仲良くなるために、
tai-yama様、saru-yamaと改名・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2021-11-03 08:07) 

middrinn

書いた小説に酷評コメントされたとして、
ナベちはる様、訴えてやると怒りまくる
SSブログを見たことありますよ(^_^;)
by middrinn (2021-11-03 09:15) 

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