210912読んだ本
読書の厄介なところは、書名を見ても内容を思い出せないような本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
内容記憶の一助になればと読了本の目次を節見出しまでメモり始めたけど役に立たない気が( ̄^ ̄)エヘン
【読んだ本】
黒田基樹『下剋上』(講談社現代新書,2021)
読了(^o^)丿 ブログ内検索でヒットしないので昔の話だが(手帳を虱潰しに調べれば判るが面倒)、
黒田基樹は一冊読んだことある(^_^;) 書名も内容も思い出せないとこが我ながら凄い( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
はじめに 下剋上の特質は何か
新たな身分秩序の形成/中世に頻繁だった/守護・「大名[たいめい]」から戦国大名へ/
本書で取り上げる事例/
第一章 長尾景春の叛乱と挫折――下剋上の走りは、太田道灌の活躍で鎮められた
家宰という役職/転換をもたらした享徳の乱/「遷代の論理」と「相伝の論理」の衝突/
権益の維持のため/太田道灌の仲裁と失敗/典型的な下剋上行為/一旦は鎮圧された/
主家の当主を擁立していなかった/主君としての器量を問題に/景春の執念/
第二章 伊勢宗瑞の伊豆乱入――「下剋上の典型」とは言いがたい名誉回復行為だった
書き換えられた「北条早雲」像/今川家の家督をめぐる内乱/姉北川殿の要請による
駿河下向/茶々丸のクーデター/隣接する政治勢力との抗争/伊豆乱入を決意させた要因/
困難を極めた伊豆経略/茶々丸の逆襲/領民復興に取り組んだ/「天下の英物」/
第三章 朝倉孝景と尼子経久の困難――守護家の重臣が主家から自立し、実力で戦国大名化した
下剋上による戦国大名化/朝倉孝景と斯波家/「殿上人」として振る舞う/
越前一国の平定/越前国主としての確立へ/尼子経久と京極家/出雲の有力国衆を服属/
出雲国主としての確立へ/大規模な叛乱をうけながら/戦国大名化に成功した理由/
第四章 長尾為景・景虎(上杉謙信)の幸運――頓挫もした親子二代での下剋上には、幸運が
重なっていた
親子二代での下剋上/上杉定実の擁立/最初の大きな危機/為景の下剋上/再び内乱へ/
家督を晴景に譲る/晴景はいつ生まれたか/下剋上の頓挫/晴景から景虎へ/
景虎の思わぬ幸い/
第五章 斎藤利政(道三)の苛烈――強引な手法で四段階の身上がり[=身分上昇]を経た、
戦国最大の下剋上
書き改められた下剋上の過程/利政(道三)の親の身上がり/土岐家での台頭/
暗殺、毒殺、騙し討ち/十七年かけて戦国大名へ/なぜ下剋上を決断したか/
嫡男義龍との抗争へ/合戦で戦死/道三の下剋上がもたらしたもの/
第六章 陶晴賢の無念――取って代わる意図はなかったのに、なぜ主君を殺したのか
西国最大の下剋上/陶隆房と大内家/義隆との対立/謀叛は全く想定できなかった/
叛乱の決意/主従関係の切断/隆房のクーデター/「天道の計らいにて」/思わぬ戦死/
晴賢は下剋上したのか/
第七章 三好長慶の挑戦――将軍を追放して「天下」を統治し、朝廷も依存するように
戦国大名と幕府との関係が問題に/三好長慶と細川京兆家/足利義晴と細川晴元の和睦/
長慶の台頭/細川晴元への叛乱/細川家からの自立/将軍を追放する/
将軍の反撃とそれへの妥協/公家や諸大名からの非難/「天下」統治がもたらしたもの/
第八章 織田信長から秀吉・家康へ――下剋上の連続により、名実ともに「天下人」の地位を
確立
究極の下剋上/清須織田家の克服/斯波家追放による国主化/将軍足利義昭の追放/
独力で「天下」統治へ/羽柴秀吉の下剋上/徳川家康の下剋上/最後の下剋上/
おわりに 下剋上の終焉へ
「上剋下」の事例/主殺しの高いリスク/近世政治秩序の展開/封じ込められた下剋上/
あとがき
主要参考文献
黒田基樹の研究対象らしい第一章と第二章が特に面白かったね(⌒~⌒) 長尾景春がこんなにしぶとい
ヤツだったとは知らなかったし、もう北条早雲を描いた歴史小説とか読めなくなった(^_^;) 本書41頁
に非常に興味深い指摘もあったv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・/そうして明治時代になって、[伊勢]宗瑞の経歴は、東アジアにおいて
西洋列強に追いついていこうとする日本の発展状況に呼応するように、無名の存在が
大成したという物語が好まれて、伊勢牢人の出身で、永享四年[1432年]生まれの
大器晩成の好例として取り上げられるようになった。/・・・
伊豆経略は60歳近くになってからとされてきたけど、本書40頁によれば生年は康正2年(1456年)ゆえ
30代後半の話の由(^_^;) 他の章も知らなかったことが結構あって、勉強になった(⌒~⌒) 例えば、
本書115頁の「図5-1 斎藤利政(道三)略系図」を眺めてて、「織田信長妻(帰蝶・濃姫)」の左側の
「土岐頼充妻(右と同一人物か)」「土岐頼香妻(右と同一人物か)」に、おりょ!?と思ったら、
本書120~121頁に次のように記されていた( ̄◇ ̄;)
・・・/この和睦にともなって、利政は頼充との政治関係を構築した。すなわち娘を
頼充の妻とした。頼充は次期土岐家当主の地位を約束されていたとみなされるから、
これは頼充の家督継承後に、それへの政治的影響力を確固たるものにしようとする
ものであったろう。さらに頼充の弟頼香[よりたか]にも娘を嫁がせたことが伝え
られている。なおこの頼香は江戸時代の所伝では、頼芸の弟に位置付けられているが、
正しくは頼充の弟であった。/これによれば利政は、頼充・頼香兄弟に娘を嫁がせた
ことになる。ただし、頼香妻について明確な史料は確認されていないので、頼充の死後
に再嫁した可能性もあろう。また頼充妻こそ、のちに織田信長に嫁いだ娘(いわゆる
帰蝶・濃姫)の可能性が高いとみなされている。/・・・
「いまだ詳しい事情は判明していないが、頼充の死去[=「早世」]により、頼香が土岐家の家督
継承者の地位につき、利政の娘を妻に迎えたものの、利政とは対立が生じたらしい。」(本書121頁)
ということで、頼香は「自害に追い込」まれたか「騙し討ち」にあったらしい(本書122頁)(@_@;)
んでもって、本書123頁に次の記述( ̄◇ ̄;)
・・・/そしてかつて土岐頼充の妻であった娘(いわゆる帰蝶・濃姫)を、
織田信秀の嫡男信長に再嫁させた。その時期は現在でも確定されていないが、
同年[天文18年=1549年]のうちであったと考えられている。ちなみにこの
利政娘は、天正元年(一五七三)十二月二十五日に死去したとみなされている。
/・・・
内容記憶の一助になればと読了本の目次を節見出しまでメモり始めたけど役に立たない気が( ̄^ ̄)エヘン
【読んだ本】
黒田基樹『下剋上』(講談社現代新書,2021)
読了(^o^)丿 ブログ内検索でヒットしないので昔の話だが(手帳を虱潰しに調べれば判るが面倒)、
黒田基樹は一冊読んだことある(^_^;) 書名も内容も思い出せないとこが我ながら凄い( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
はじめに 下剋上の特質は何か
新たな身分秩序の形成/中世に頻繁だった/守護・「大名[たいめい]」から戦国大名へ/
本書で取り上げる事例/
第一章 長尾景春の叛乱と挫折――下剋上の走りは、太田道灌の活躍で鎮められた
家宰という役職/転換をもたらした享徳の乱/「遷代の論理」と「相伝の論理」の衝突/
権益の維持のため/太田道灌の仲裁と失敗/典型的な下剋上行為/一旦は鎮圧された/
主家の当主を擁立していなかった/主君としての器量を問題に/景春の執念/
第二章 伊勢宗瑞の伊豆乱入――「下剋上の典型」とは言いがたい名誉回復行為だった
書き換えられた「北条早雲」像/今川家の家督をめぐる内乱/姉北川殿の要請による
駿河下向/茶々丸のクーデター/隣接する政治勢力との抗争/伊豆乱入を決意させた要因/
困難を極めた伊豆経略/茶々丸の逆襲/領民復興に取り組んだ/「天下の英物」/
第三章 朝倉孝景と尼子経久の困難――守護家の重臣が主家から自立し、実力で戦国大名化した
下剋上による戦国大名化/朝倉孝景と斯波家/「殿上人」として振る舞う/
越前一国の平定/越前国主としての確立へ/尼子経久と京極家/出雲の有力国衆を服属/
出雲国主としての確立へ/大規模な叛乱をうけながら/戦国大名化に成功した理由/
第四章 長尾為景・景虎(上杉謙信)の幸運――頓挫もした親子二代での下剋上には、幸運が
重なっていた
親子二代での下剋上/上杉定実の擁立/最初の大きな危機/為景の下剋上/再び内乱へ/
家督を晴景に譲る/晴景はいつ生まれたか/下剋上の頓挫/晴景から景虎へ/
景虎の思わぬ幸い/
第五章 斎藤利政(道三)の苛烈――強引な手法で四段階の身上がり[=身分上昇]を経た、
戦国最大の下剋上
書き改められた下剋上の過程/利政(道三)の親の身上がり/土岐家での台頭/
暗殺、毒殺、騙し討ち/十七年かけて戦国大名へ/なぜ下剋上を決断したか/
嫡男義龍との抗争へ/合戦で戦死/道三の下剋上がもたらしたもの/
第六章 陶晴賢の無念――取って代わる意図はなかったのに、なぜ主君を殺したのか
西国最大の下剋上/陶隆房と大内家/義隆との対立/謀叛は全く想定できなかった/
叛乱の決意/主従関係の切断/隆房のクーデター/「天道の計らいにて」/思わぬ戦死/
晴賢は下剋上したのか/
第七章 三好長慶の挑戦――将軍を追放して「天下」を統治し、朝廷も依存するように
戦国大名と幕府との関係が問題に/三好長慶と細川京兆家/足利義晴と細川晴元の和睦/
長慶の台頭/細川晴元への叛乱/細川家からの自立/将軍を追放する/
将軍の反撃とそれへの妥協/公家や諸大名からの非難/「天下」統治がもたらしたもの/
第八章 織田信長から秀吉・家康へ――下剋上の連続により、名実ともに「天下人」の地位を
確立
究極の下剋上/清須織田家の克服/斯波家追放による国主化/将軍足利義昭の追放/
独力で「天下」統治へ/羽柴秀吉の下剋上/徳川家康の下剋上/最後の下剋上/
おわりに 下剋上の終焉へ
「上剋下」の事例/主殺しの高いリスク/近世政治秩序の展開/封じ込められた下剋上/
あとがき
主要参考文献
黒田基樹の研究対象らしい第一章と第二章が特に面白かったね(⌒~⌒) 長尾景春がこんなにしぶとい
ヤツだったとは知らなかったし、もう北条早雲を描いた歴史小説とか読めなくなった(^_^;) 本書41頁
に非常に興味深い指摘もあったv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・/そうして明治時代になって、[伊勢]宗瑞の経歴は、東アジアにおいて
西洋列強に追いついていこうとする日本の発展状況に呼応するように、無名の存在が
大成したという物語が好まれて、伊勢牢人の出身で、永享四年[1432年]生まれの
大器晩成の好例として取り上げられるようになった。/・・・
伊豆経略は60歳近くになってからとされてきたけど、本書40頁によれば生年は康正2年(1456年)ゆえ
30代後半の話の由(^_^;) 他の章も知らなかったことが結構あって、勉強になった(⌒~⌒) 例えば、
本書115頁の「図5-1 斎藤利政(道三)略系図」を眺めてて、「織田信長妻(帰蝶・濃姫)」の左側の
「土岐頼充妻(右と同一人物か)」「土岐頼香妻(右と同一人物か)」に、おりょ!?と思ったら、
本書120~121頁に次のように記されていた( ̄◇ ̄;)
・・・/この和睦にともなって、利政は頼充との政治関係を構築した。すなわち娘を
頼充の妻とした。頼充は次期土岐家当主の地位を約束されていたとみなされるから、
これは頼充の家督継承後に、それへの政治的影響力を確固たるものにしようとする
ものであったろう。さらに頼充の弟頼香[よりたか]にも娘を嫁がせたことが伝え
られている。なおこの頼香は江戸時代の所伝では、頼芸の弟に位置付けられているが、
正しくは頼充の弟であった。/これによれば利政は、頼充・頼香兄弟に娘を嫁がせた
ことになる。ただし、頼香妻について明確な史料は確認されていないので、頼充の死後
に再嫁した可能性もあろう。また頼充妻こそ、のちに織田信長に嫁いだ娘(いわゆる
帰蝶・濃姫)の可能性が高いとみなされている。/・・・
「いまだ詳しい事情は判明していないが、頼充の死去[=「早世」]により、頼香が土岐家の家督
継承者の地位につき、利政の娘を妻に迎えたものの、利政とは対立が生じたらしい。」(本書121頁)
ということで、頼香は「自害に追い込」まれたか「騙し討ち」にあったらしい(本書122頁)(@_@;)
んでもって、本書123頁に次の記述( ̄◇ ̄;)
・・・/そしてかつて土岐頼充の妻であった娘(いわゆる帰蝶・濃姫)を、
織田信秀の嫡男信長に再嫁させた。その時期は現在でも確定されていないが、
同年[天文18年=1549年]のうちであったと考えられている。ちなみにこの
利政娘は、天正元年(一五七三)十二月二十五日に死去したとみなされている。
/・・・
CSに出ると「下克上」とロッテファンは騒ぐけど今年はされる側に
なったり。楽天とかにやられそう・・・
by tai-yama (2021-09-12 22:57)
書名を見て内容を思い出せない本、目次を細かくメモしておいてもメモしたことを忘れそうな気がしなくもないです…(-_-;A)
by ナベちはる (2021-09-13 01:52)
ロッテは楽天に9連勝中で対戦成績も14勝6敗1分ゆえ、
tai-yama様、CSでやられることはないのでは(^_^;)
by middrinn (2021-09-13 06:00)
後日ブログ内検索して、細目次までメモってたことを、
ナベちはる様、思い出す程度かもしれません(^_^;)
by middrinn (2021-09-13 06:01)
私、小説とかドラマとかの内容は直ぐに忘れます、なので何回でも見れる!
まぁ単に記憶力が落ちてるだけなんだけど(^^;
by そら (2021-09-13 06:39)
何回でも楽しめると前向きに捉えるところがいいですね(^o^)丿
赤瀬川原平の言う老人力がついてきたのかもしれません(^_^;)
by middrinn (2021-09-13 06:47)