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210720読んだ本【バカチンだらけ】

読書の厄介なところは、女子学生というだけで胸をときめかせるバカチンである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP! ③』(小学館少年サンデーコミックス,1995)によると、
「馬っ気」とは「牡馬が時と場所をわきまえずに発情すること」らしいよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

野口元大(校注)『新潮日本古典集成 竹取物語』(新潮社,1979)所蔵本

    ・・・つい最近になって、衝撃的な発見が報告された。柳田国男によってこの物語に
    おける自由区域と指摘され、以来長らく作者の机上の創作として、誰も疑ってみようと
    しなかった五人の貴公子の難題求婚譚の類話の伝承が明らかになったのである。しかも
    その難題も多くの昔話では三つが普通であるのに、この「竹姫」という民話では
    『竹取物語』の場合と同じく五つの難題が、五人の求婚者に割り当てられるのである。
    さらに加えて決定的なだめ押しと思われたのは、その出題者の女性が竹の筒から生れ、
    見るまに成長したという発端までついていたことであった。ついでに余分な感想を
    つけ加えると、この報告が、一人の女子学生の卒業論文という形でなされたこと、
    そしてそれをめぐって幾人もの専門家の熱心な探索活動が続けられたものの、結局の
    ところは、『竹取物語』に関していえば、何と似た話があるものだという発見以上に
    何も出てこない空しさなど、なにか『竹取物語』にあまりにもふさわしい出来事だった
    と言えそうに思われて、興味をそそられたことであった。/・・・

本書の巻末、てゆーか、後半部分の「解説」、「竹姫」という「チベット族の間に伝承されている」
中国民話が「発見」され、その『竹取物語』との類似を「報告」した「女子学生」について野口元大
は言及しているけど、チト興奮気味のようにも思われる(@_@;) その「女子学生」と思しき人物の
名前は本書巻頭の「凡例」から判明する(@_@;)

    /一、巻末に附録として、『竹取物語』関係資料を収録した。その第一は、
    近年最大の発見として話題を呼んだ『斑竹姑娘』(竹姫)であり、発見者
    百田弥栄子による対訳の形で全文を掲げ、『竹取物語』との対照表を添えた。
    ・・・

雨海博洋(訳注)『対訳古典シリーズ 竹取物語』(旺文社文庫,1988新版)の後半部分の「解説」も
『斑竹姑娘』の全文と(久保田美年子による)訳文を収録して、その「『斑竹姑娘』解説」には次の
ように記しており、野口元大の言う「女子学生」とは百田弥栄子で間違いないようである(@_@;)

    ・・・/中国の田海燕氏が、一九五四年~五六年にかけて採集整理し、一九五七年に、
    その一部が上海の児童出版社から刊行された。/日本では、百田弥栄子氏が「竹取物語
    の成立に関する一考察」(アジア・アフリカ語学院紀要・三号、昭和四七年一一月)に
    紹介・邦訳され、『竹取物語』との関連を説かれている。/・・・

「学生」であっても(モチ男女を問わず)「発見者」としてその名も記して顕彰するのは結構だが、
ネット検索では百田弥栄子は1944年生とあり、「卒業論文」という点はチト不審ではある(@_@;)

上坂信男(全訳注)『竹取物語』(講談社学術文庫,1978)は、本文の〈余説〉に次の記述が(@_@;)

    ・・・/なお、近年、中国四川省の奥地に伝わる斑竹姑娘[クーニャン]の話で、
    登場する五人の男に対する難題が『竹取』のそれに酷似するので、『竹取』は、
    それを翻案したものであろうとの報告がなされ、(伊藤清司『かぐや姫の誕生』他)
    ・・・

伊藤清司を筆頭に挙げているけど(句読点は原文ママ)、百田弥栄子は「他」になるのかな(@_@;)

片桐洋一(校注)『竹取物語』(片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本
古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』[小学館,1994]所収)の「解説」を読んで
新たな謎が(@_@;)

    ・・・/『竹取物語』の素材や背景に、仏典や漢籍など外来の典籍を種とするものが
    あるのではないかという指摘は、江戸時代からみられたが、近年、特に盛んになって
    きた。/なかでも、中国四川省のカム地方、金沙江のほとりに居住するチベット族の
    伝承として報告された「斑竹姑娘[ハンチククーニャン]」の説話が『竹取物語』の
    源泉として紹介された時の驚きはいまだに忘れられない。/・・・

片桐洋一も「女子学生」に馬っ気・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 冗談はさておき、次のように続いた( ̄◇ ̄;)

    ・・・/この説は、初め伊藤清司氏によって本書の元版である日本古典文学全集
    『竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(昭和四十七年刊)の月報などに
    その大概が示され、まもなく講談社現代新書『かぐや姫の誕生─古代説話の起源』に
    詳しく述べられたのであるが、じつは君島久子氏の創見であり、既に昭和四十二年
    九月に日本中国学会において発表され、同四十六年には説話文学会においても発表
    されていたのである。/・・・
    
伊藤清司には嫌~な感じがしたし、君島久子なる新たな人物の登場に、百田弥栄子が改名したのかと
一瞬考えちゃったが、ネット検索すると1925年生の別人(^_^;) 同書の「参考文献」はチト薄くて役に
立たなかったけど(片桐洋一は九仭の功を一簣に虧いたね)、前掲『対訳古典シリーズ 竹取物語』の
メチャ充実してる「参考文献目録」から3人の関連してそうな文献を原文ママでピックアップ(^o^)丿

    チベットの「竹娘説話」と「竹取物語」 君島久子(説話文学研究6)昭和47・2

    『竹取物語』源流考(下) 伊藤清司・百田弥栄子(中国大陸古代文化研究6)昭和47・5

    竹取物語の成立に関する一考察 百田弥栄子(アジア・アフリカ語学院紀要)昭和47・11

    金沙江の竹姫物語─チベット族の伝承と「竹取物語」─ 君島久子(文学41-3)昭和48・5

片桐洋一の指摘にある、君島久子が「同四十六年には説話文学会においても発表」したのをペーパー
(論文)化したのが「説話文学研究6」掲載のだろうから、君島久子が「昭和四十二年九月に日本中国
学会において発表」というのも、単にペーパー化されなかったか「参考文献目録」の遺漏であって、
事実なのだろう(⌒~⌒) どうも、この「参考文献目録」を作成したのは雨海博洋ではなく、雨海博洋
は「参考文献目録」に載る全ての文献を読むことはおろか、「参考文献目録」のチェックすらせずに、
「『斑竹姑娘』解説」を書いたことになるね(@_@;) 野口元大も上坂信男も「君島久子氏の創見」を
無視ないし軽視(上坂信男が「他」に含めてたのなら)していることになり、チト問題かと(@_@;)

ただ、民族學研究39巻1号(1974年)に、百田弥栄子が〈「かぐや姫の誕生」読後感〉として伊藤清司
『かぐや姫の誕生─古代説話の起源』(講談社現代新書,1973)を書評し、伊藤清司がソレに答えたの
をネット上で閲覧したけど、研究者のモラルを(お互いに)問う凄まじい内容だったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・/さて第4四[ママ]章だが,著者[伊藤清司]は中国のチベット族の竹中生誕
    説話『斑竹姑娘』を新資料として示され,これによりいくつかの仮説を提出されている。
    したがってこの『斑竹姑娘』があってはじめて本書が成り立ったと考えられよう。
    ところがこの資料については,すでに君島久子氏が学会でもご論文でも(「チベット
    の『竹娘説話』と『竹取物語』1971年5月30日付「説話研究」第6号)発表されている。
    この点について著者がふれておられないのは,何故だろうか。たとえば『後漢書』
    西南夷伝の夜郎国の伝承等のように,古くからくり返し『竹取物語』との類似を指摘
    されてきた資料については,自由に引用できよう。しかしこの『斑竹姑娘』については
    そうではないのである。/実は私も又『斑竹姑娘』を主要資料として「竹取物語の成立
    に関する一考察」なる卒論(慶大文学部1970年度)を提出した。私は当時通信教育の
    学生であり,ゼミや共同研究等に参加する機会もなく,したがって君島氏について
    『斑竹姑娘』を読み,これと『竹取物語』との研究を思いたってから氏に多大のご指導
    とご啓発をいただきつつ、十年近い歳月をかけて卒論を完成したのである。/・・・
    
更に、百田弥栄子は、自身の「卒論」と伊藤清司の「本書の構成とは酷似しているし,順序・資料・
内容も極めて類似している」こと、「第4章の『竹取物語』と『斑竹姑娘』との比較対照表は,120行
にわたって私の卒論とほとんど同じ表現を用いておられる」し、「『斑竹姑娘』の訳文についても,
本書中の訳文は,卒論に附した訳文を用いておられるように思われる」として例証しており(しかも
「私の卒論提出時の誤訳」を伊藤清司が用いているケース)、「卒論」で展開した「推論」の数々を
伊藤清司がパクっていると具体的に指摘した上で、

    ・・・/(あとがきにある「竹取物語源流考」は,伊藤氏との連名で『大陸古文化
    研究5』[ママ])(1971年5月所収,9月発行)に掲載されているが,なぜ連名で
    発表せねばならないのか,今に至るも納得しかねる。)/長年月をかけてまとめた
    学生の卒論を,それまでは研究テーマにされていなかった教授が,学生の苦心と努力を
    軽視してご自分の業績として出版されるようなご行為は,どのようなものであろうか。
    私個人の問題だけではなく,あとに続く学生や研究生のためにも,このようなことが
    再びないようにとお願いしたい。/なお本書には,関,三谷,君島諸先生のご論文の
    引用についても不明確な個所がみられるようだが,ここではふれない。/・・・

として、掲載してくれたことへの編集部諸先生への謝辞で〆られている(@_@;) こんな泥試合に辿り
着くとは予想外だったが、伊藤清司の〈百田さんの「書評」に応えて〉から気になる点のみ引くと、

    ・・・/ところで,竹取研究に欠かせぬ斑竹姑娘をわが国において最初に紹介されたのが
    君島さんであることをはじめて知ったのは,本書のあとがきでもふれたように,百田さん
    の卒論をもとに,いわゆる「翻案説」に書き改め私の文責で共同執筆の形で書いた「竹取
    物語源流考」(『中国大陸古文化研究5』1971・5所収)の上梓間近い時であった。この
    資料は周知の通り,1957年に上海で刊行された『金玉鳳凰』第1冊に収録されたもので,
    この書は当時,私も入手し所蔵していたが,この資料には気付かず,百田さんの卒論作業
    の過程(1969)で知り,そしてその百田さん自身の口から,君島さんが既にこの資料を
    御紹介済みであることを,卒論受理後の,上述の『中国大陸古文化研究5』の出版直前に
    教えられて,(なぜ,それを秘匿されていたのか?)そのときはただおどろいたのであった。
    そのような事情や,公刊された資料の公共性についての云々はここでは別として,拙著中に,
    資料としての斑竹姑娘の出所等に関連し,君島さんのことに言及していないのは失礼で
    あろうという百田さんの御指摘はご尤もなことで,君島さんご自身からは,御寛容にも
    何の御叱責もないが,ここに事情を明らかにし失礼をおわびしたい。・・・/・・・本書
    成立の経緯をのべたあとがきで百田さんの卒論に言及してあるとはいえ,・・・/・・・/
    ・・・本書の成立する経緯を簡単にのべたあとがきの中で,百田さんの名にふれたにすぎず,
    本文中にその名を明示しなかったということが,結果的に若い学究である御本人の軽視と
    なったという訴えに対しては,なんとも応える術もなく深謝するのみである。・・・また,
    もとより,私が「業績」の一人じめを策したと非難し,「業績」の分前そのものを求められ
    ているのでもないであろうが,・・・/所与の紙面が尽きるので,若干の点につき簡単に
    付記することを許されたい。/(1) 百田さんの卒論作成の2ヵ年間の事情は,指導教授
    であった私が推薦して出席された慶應義塾大学通信教育部主催の座談会「卒業論文─苦心と
    喜び─」(『三色旗』1972年2月号所収)での百田さん自身の御発言の謝辞にもみられる。
    /(2) 百田さんは「卒業論文(慶大・国文)をもとに書き改めたものとして,出身校の
    アジアアフリカ語学院の『紀要3』(1972・3)にご自身で発表されたようであるが,その
    中で,なぜか,君島さんの論文にも言及がないもようである。/・・・/(4) 関・三谷
    両先生の論文引用に関する御指摘の点については,私は納得しかねている。・・・/・・・
    /(校正の段階で,新たに百田さんが『中国大陸古文化研究』の論文にふれ,今になって,
    それを連名で発表したことは納得しかねる旨を加筆されたそうであるので,・・・

百田レヴュー&伊藤リプライの要約に非ず、あくまで小生の興味・関心がある点のみ引いただけで、
気になるのは百田弥栄子が「君島氏について『斑竹姑娘』を読み」としつつ「十年近い歳月をかけて
卒論を完成した」と述べている点だ(@_@;) 「1970年度」の卒論を「十年近い歳月をかけて・・・
完成」したとなると、「昭和四十二年九月に日本中国学会において発表」した「君島久子氏の創見」
よりも前になるけど(@_@;) 他方で伊藤清司が言う「百田さんの卒論作成の2ヵ年間」とは慶大通信
教育部の制度の話なのか実際の話なのか判らない(@_@;) 雨海博洋が〈百田弥栄子氏が「竹取物語の
成立に関する一考察」(アジア・アフリカ語学院紀要・三号、昭和四七年一一月)に紹介・邦訳され、
『竹取物語』との関連を説かれている。〉として、百田弥栄子を『斑竹姑娘』の「発見者」のように
紹介してたのも含め、百田弥栄子の当該論文が「その中で,なぜか,君島さんの論文にも言及がない
もようである」(伊藤清司の指摘)というのも辻褄は合うけど(@_@;) バカチンだらけだね(@_@;)
「公刊された資料」である『金玉鳳凰』収録の『斑竹姑娘』を読んで『竹取物語』との類似に逸早く
気付いたとしても、ソレを論文や学会報告の形で一番最初に発表したかどうかが肝心( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

・ピーター・マクミラン曰く「すべての月が愛されたことが日本文化の大きな特徴」とは笑止(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-03

・「『古今集』成立」の時点では、富士山は噴煙を出してねーんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-05
タグ:古典 中国 説話
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

君島さんが一番の大物だったと。
「斑竹姑娘はありまーす」と言えば某理系の晴子さんに・・・
教授は印税ウハウハ。
by tai-yama (2021-07-20 23:05) 

ナベちはる

女子だと響く人は少なからずいますが、これが男子になるとかなり少なく…不思議な気がしてきます(^^;
by ナベちはる (2021-07-21 01:22) 

middrinn

伊藤清司のリプライを見る限り、君島久子は大人の対応で、
tai-yama様、片桐洋一も流石という感じですねぇ(^_^;)
by middrinn (2021-07-21 05:12) 

middrinn

それだけ学界が男性社会、てゆーか、
ナベちはる様、おじさん社会(^_^;)
by middrinn (2021-07-21 05:13) 

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