210706読んだ本
読書の厄介なところは、首飾り事件ならぬ耳飾り事件と呼ぶべきミスである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)
倉本一宏編『現代語訳 小右記3 長徳の変』(吉川弘文館,2016)115頁の長保元年(999年)9月10日条
から引くけど、最後の一文の意味が解る人いるかな(^_^;)
・・・源中将[頼定]が・・・また、談って云ったことには、「右大弁行成の蔵人頭を
辞す表が返給された」ということだ。もしかしたらこれは、人の耳を飾るものか。
「人の耳を飾る」なる表現、初めて見たけど、この本は注釈が無いから、チンプンカンプン(@_@;)
迫徹朗『王朝文学の考証的研究』(風間書房,1973)が解説してくれてたヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
なお、例によって、返り点は省略して引くm(__)m
・・・/『小右記』の長保元年九月十日条に、「又(源中将成信[ママ])談云、
右大弁行成辞蔵人頭之表返給了者、若是飾人耳歟」とある。この記事の意味する
ところを、他の資料も参照して説明すると、源中将成信[ママ]が語ることには、
右大弁行成が兼職の蔵人頭を辞任したいという上表文を去る七日に提出したが、
翌八日、その必要はないと返却されたということである。これは本当に辞職したい
からではなくて、人の耳を飾る、つまり、自分は蔵人頭に恋恋としているのでなく、
こうして辞表まで出したが、もうすこし頑張ってくれと朝廷から慰留されたから
続けるのだと、他人にみせびらかすために提出したのであって、本人は蔵人頭で
いたかったのではなかろうかと。[『小右記』の記主である]藤原実資は勘ぐった
のである。/その疑いはもっともなことで、摂関その他の上級貴族は辞表を時時出す
のが例となっていた。しかし、ほんの形式であって、その人が死にでもしないかぎり、
朝廷はほとんど受け取らない。だから実資は、行成の人物を理解していながらも、
邪推したわけである。/然しながら、行成の辞表提出は、そうした表面的な動機に
よるものでなく、蔵人頭を辞したがよいという夢を見たことによるのである。
古代人のすべてが、夢の告げは十分な考慮を払うべき、霊界からの通信であると
信じていたことについては、かつて触れたことがあるので省略するが、要するに
夢告に基づく必然的な結果であった。/・・・/この事件について考えてみるに、
もし行成が自分の日記の『権記』に「去夜夢可辞蔵人頭之趣」と記しておかなかったら、
後人は「若是飾人耳歟」の言に強く左右されたことであろう。・・・
『小右記』(しかも、注釈のない「現代語訳」)だけを読んでちゃダメということかC= (-。- ) フゥー
耳飾り事件と呼びたいのは「この事件」ではなく本書96頁の次の件で、脱字ではなく誤読か(@_@;)
・・・さきの内裏火災後の八月のこと、行成を訪ねた大江匡衡は話のついでに、
白馬寺の尼(則天武后)が入内して唐が滅びた故事を引き、出家した定子の入内と
内裏火災を諷刺しているが、不幸な定子のため、かねての愛顧に報いて務めを果し、
また天皇に対する敬愛の念は変らぬものの、おそらく行成自身も大義名分の上から
匡衡の言に同感せざるを得なかったであろう。その夜、蔵人頭を辞すべきことを
夢みた彼は、九月七日に現実に辞表作成を匡衡に依頼し、自ら清書して奏上するが、
辞意の中に定子に関わる事が大きな影を投げかけているように感ずる。なお、辞表は
翌日却下されたが(『権記』)、『小右記』は「若しくは是れ人に餝るのみか」と
冷評している。/・・・
【読んだ本】
黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)
倉本一宏編『現代語訳 小右記3 長徳の変』(吉川弘文館,2016)115頁の長保元年(999年)9月10日条
から引くけど、最後の一文の意味が解る人いるかな(^_^;)
・・・源中将[頼定]が・・・また、談って云ったことには、「右大弁行成の蔵人頭を
辞す表が返給された」ということだ。もしかしたらこれは、人の耳を飾るものか。
「人の耳を飾る」なる表現、初めて見たけど、この本は注釈が無いから、チンプンカンプン(@_@;)
迫徹朗『王朝文学の考証的研究』(風間書房,1973)が解説してくれてたヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
なお、例によって、返り点は省略して引くm(__)m
・・・/『小右記』の長保元年九月十日条に、「又(源中将成信[ママ])談云、
右大弁行成辞蔵人頭之表返給了者、若是飾人耳歟」とある。この記事の意味する
ところを、他の資料も参照して説明すると、源中将成信[ママ]が語ることには、
右大弁行成が兼職の蔵人頭を辞任したいという上表文を去る七日に提出したが、
翌八日、その必要はないと返却されたということである。これは本当に辞職したい
からではなくて、人の耳を飾る、つまり、自分は蔵人頭に恋恋としているのでなく、
こうして辞表まで出したが、もうすこし頑張ってくれと朝廷から慰留されたから
続けるのだと、他人にみせびらかすために提出したのであって、本人は蔵人頭で
いたかったのではなかろうかと。[『小右記』の記主である]藤原実資は勘ぐった
のである。/その疑いはもっともなことで、摂関その他の上級貴族は辞表を時時出す
のが例となっていた。しかし、ほんの形式であって、その人が死にでもしないかぎり、
朝廷はほとんど受け取らない。だから実資は、行成の人物を理解していながらも、
邪推したわけである。/然しながら、行成の辞表提出は、そうした表面的な動機に
よるものでなく、蔵人頭を辞したがよいという夢を見たことによるのである。
古代人のすべてが、夢の告げは十分な考慮を払うべき、霊界からの通信であると
信じていたことについては、かつて触れたことがあるので省略するが、要するに
夢告に基づく必然的な結果であった。/・・・/この事件について考えてみるに、
もし行成が自分の日記の『権記』に「去夜夢可辞蔵人頭之趣」と記しておかなかったら、
後人は「若是飾人耳歟」の言に強く左右されたことであろう。・・・
『小右記』(しかも、注釈のない「現代語訳」)だけを読んでちゃダメということかC= (-。- ) フゥー
耳飾り事件と呼びたいのは「この事件」ではなく本書96頁の次の件で、脱字ではなく誤読か(@_@;)
・・・さきの内裏火災後の八月のこと、行成を訪ねた大江匡衡は話のついでに、
白馬寺の尼(則天武后)が入内して唐が滅びた故事を引き、出家した定子の入内と
内裏火災を諷刺しているが、不幸な定子のため、かねての愛顧に報いて務めを果し、
また天皇に対する敬愛の念は変らぬものの、おそらく行成自身も大義名分の上から
匡衡の言に同感せざるを得なかったであろう。その夜、蔵人頭を辞すべきことを
夢みた彼は、九月七日に現実に辞表作成を匡衡に依頼し、自ら清書して奏上するが、
辞意の中に定子に関わる事が大きな影を投げかけているように感ずる。なお、辞表は
翌日却下されたが(『権記』)、『小右記』は「若しくは是れ人に餝るのみか」と
冷評している。/・・・
菅総理が陛下に辞表を出したらもちろん、そのままクビ。
耳を飾ることはないかも。オリンピック強行の件もあるし・・・
by tai-yama (2021-07-06 23:01)
もしも字が上手かったら、藤原行成の場合みたいに、
却下されても辞表は返してもらえないかも(^_^;)
by middrinn (2021-07-07 07:19)
「耳を飾る」なんて優美な表現と思ったのに
邪推かも・・・だったとは(⌒-⌒; )
by ニッキー (2021-07-07 21:16)
たしかに、優美な表現ですよねぇ(^_^;)
何か典拠があるのか気になります(^_^;)
by middrinn (2021-07-07 21:20)
夢を見て職を辞すなんてロマンチック(^_^)v でも、実際に辞めたら食うに困らない目論見はあったのかなぁ....なんてゲスの勘ぐり(^_^;)
by yokomi (2021-07-09 13:20)
「蔵人頭を辞したがよいという夢」ですから、あまりいい夢見ではなかったかと(^_^;)
by middrinn (2021-07-09 15:45)