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210630読んだ本

読書の厄介なところは、ニセモノに群がるのはニセモノだということである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
東京都シガンシナ区の選挙公報が昨日ウチのポストにも珍しく入ったので期日前投票に行けそう(^o^)丿
都議選の選挙公報について「170628読んだ本」に次のように書いてて4年という歳月を感じる( ̄◇ ̄;)

 期日前投票にしたいので、早急に目を通しておく必要が(..) それにしても、都議選は、都知事選や
 区市町村議選とは違い、立候補者の数が比較的少ないから、短時間で全員分を読了できそうだ(^^)v
 どれどれ、ミカサが代表を務めてる「エレン・ファーストの会」の公認候補は・・・サシャかよ^_^;
 サシャは何を公約したのかな・・・「築地も豊洲もワタシが食べ尽くします!」だとぉ(゚ロ゚;)ヤリカネン…

【読んだ本】

表章『昭和の創作「伊賀観世系譜」 梅原猛の挑発に応えて』(ぺりかん社,2010)

知的興趣に満ち満ちた本書、帯の内容紹介文と目次をメモっておこっと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    「私は全面的に表氏に論争を仕掛けたいと思う」(『うつぼ船Ⅱ 観阿弥と正成』より)

    梅原猛氏の挑発を受け、伊賀観世系譜を総合的に考察し、昭和に創作された偽系図
    であることを論証する。

    伊賀観世系譜とは、昭和32年から38年にかけて、伊賀の郷土史家
    久保文雄氏が紹介した上島家所蔵の観世家関係の系譜資料である。
    観阿弥の出身を伊賀とし、楠木正成の甥とするこの系図は、
    杉本苑子や白洲正子、平泉澄などに興味を示されてきた。学界は
    当初から否定的であったが、今回、梅原猛氏の挑発に応え、
    本書をあらたに書き下ろした。

    はじめに

    第一章 伊賀観世系譜の内容とそれへの評価

     一 久保文雄紹介の伊賀観世系譜の内容
    
      【① 久保文雄の紹介論文】
      【②「観世之事」をめぐって】
      【③「観世系図」をめぐって】
      【④「観世福田系図」をめぐって】
      【⑤ 元清生誕日関係の記録三種】
      【(補説)久保文雄の人柄】

     二 伊賀観世系譜についての久保の把握

      【⑥ 観世大夫家系譜をめぐる基礎資料】
       〔A『申楽談儀』第23条の記事〕
       〔B「観世小次郎信光画像賛」〕
       〔C『四座役者目録』の観阿弥の記事〕
       〔D『観世累葉履歴』の首部の説〕
      【⑦ 久保の伊賀観世系譜評価】
       〔E 久保の基本姿勢〕
       〔F 久保の取り組みの欠陥〕

     三 伊賀観世系譜をめぐる諸家の評価

      【a 杉本苑子の見解】
      【b 早瀬保太郎の論考】
      【c『永富家の人びと』の見解】
      【d 北川忠彦の見解】
      【e 鹿島守之助の見解と行動】
      【f 増田正造の見解】
      【g 白洲正子の見解】
      【h 西一祥の意見】
      【i 山崎正和の意見】
      【j 堂本正樹の見解】
      【k 尾本頼彦『伊賀の上島家文書再検』について】
      【l 馬場あき子・松岡心平の意見】
      【m 伊沢元彦『天皇になろうとした将軍』の奇説】

     四 伊賀観世系譜への平泉澄博士・梅原猛の評価とそれへの批判

      【① 平泉澄博士の著書とその背景】
      【② 平泉博士説批判】
      【③ 梅原新著の内容批判(その一)】
      【④「らくいばら」をめぐる梅原の暴論】
      【⑤ 梅原新著の内容批判(その二)】
      【⑥「観世小次郎行状」をめぐる平泉・梅原両氏の見解への反論】
      【⑦ 梅原の観阿弥伊賀出身説への反論】

     五 伊賀観世系譜をめぐる表章の昔の発言

      【a 岩波文庫本『申楽談儀』(昭和35年4月刊)】
      【b「世阿弥の生涯をめぐる諸問題」(『文学』昭和38年1月号)】
      【c 日本思想体系『世阿弥 禅竹』(昭和49年)】
      【d『岩波講座 能・狂言』「Ⅰ能楽の歴史」(昭和62年)】
      【e その後の諸論考】
      【f『川西町史(本文編)』(平成16年、川西町教育委員会)】

     六 伊賀観世系譜をめぐる久保の見解への疑問

      【① 伊賀観世系譜の疑問点】
      【② 伊賀観世系譜化政期成立説への疑問】
      【③ 伊賀観世系譜の成立時期認定は記事内容の分析から】

    第二章 伊賀観世系譜は近代の創作

     七 伊賀観世系譜は現存諸資料に基づく編纂物―「観世之事」をめぐって―

      【①『観世累葉履歴』との関係】
      【② 清次の父の名「元成」説の背景】
      【③「観世丸」の名をめぐって】

     八 伊賀観世系譜は吉田本『世阿弥十六部集』以後の編纂―『申楽談儀』等との関係―

      【④ 系図の基本的体系面での影響】
      【⑤ 特異な固有名詞の共存】
      【⑥「杉の木」と「杉の内」】
      【⑦「おゝたの中」をめぐって】
      【⑧「小みの大夫】をめぐって】
      【⑨「観阿弥文中甲寅歳京起」をめぐって】
      【⑩『申楽談儀』以外の『世阿弥十六部集』所収の他書の影響】
       [a]元清生年正平十八年説
       [b]元雅暗殺説
       [c]元次世阿弥長男説

     九 伊賀観世系譜は昭和以降の編纂―『能楽源流考』や野々村氏著書を利用している―

      【⑪『四座役者目録』との関係】
      【⑫ 金春家系図との関係】
      【⑬ 宝生系図との関係】
      【⑭『雲上散楽会宴』との関係】
      【⑮『満済准后日記』との関係】
      【⑯ 野々村戒三氏の著書の影響】
       《a 野々村氏の著書と伊賀観世系譜の縁》
       《b 野々村氏の世阿弥父子南朝方説》
       《c「嶋岡弾正」の名をめぐって》
       《d 嶋岡弾正をめぐる補説》
       《e 第八節以下のまとめ》

     十 余説あれこれ

      【A 伊賀観世系譜編纂の目的と編者】
      【B「観世福田系図」の特異性】
      【C 五世祐賢の記事の検討】
      【D「預人」をめぐって】

    第三章 楠木氏縁戚説も播磨永富家縁戚説も伊賀系譜の創作

     十一 楠木氏と観世家縁戚説は架空

      【a 楠木正成は観阿弥の叔父説】
      【b 玉櫛庄楠木氏本拠説】

     十二 播磨永富家との縁戚説も架空

      【c 乙系図と屋鋪図書き込みの上島・永富縁戚説】
      【d 伊賀永富系譜の上島・永富縁戚説】
      【e 上島・永富縁戚説の信頼度】
      【f 伊藤ていじの見解とそれへの批判(その一)】
      【g 伊藤ていじの見解とそれへの批判(その二)】
      【h 上島・永富縁戚説も近年の創作】

    おわりに

    索引(人名・曲名・書名・論文名)

上島家に伝わるとして久保文雄が紹介した「伊賀観世系譜」は、黒田俊雄『日本の歴史8 蒙古襲来』
(中公文庫,1974)も取り上げ、「これをこのまま信じてよいものかどうか──久保氏からこのことを
教えられた吉川英治氏は、『私本太平記』でそうと決めて話をすすめているが、わたくしは史料の
性格からみてまだ若干の不安をのこさざるをえない。」としたのに、苑子タン、永井路子との対談本
『ごめんあそばせ 独断日本史』(中公文庫,1988)で「・・・『上島文書』というのがあるでしょう。
伊賀上野の上島という旧家で発見された文書で、江戸の文化文政頃の写しだものだから、学界では
問題にされないんだけど、その文章を読むといかにも古様なの。江戸時代後期は偽系図とか偽文書が
専門的につくられていたから、古様にだってできるとも言えるけど、『上島文書』を偽造するメリット
はないので、私は原本になった文書はかなり古いんじゃないかと思う。」「その『上島文書』を踏ま
えると、観阿弥、世阿弥、世阿弥の子元雅、甥の音阿弥につづく系譜のなかで納得できない種々の謎
が、すうっと解けるの。それで私は『華の碑文』で世阿弥の生涯を書いたとき、この『上島文書』を
全面的に使った。」云々と力説し、本物と信じ込んでいるので、大丈夫かなぁと思っていた(@_@;)

そっち方面の基礎知識が小生には無いので本書を拾い読みしただけだけど、心証はクロだなぁ(^_^;)
系譜編纂の目的として上島家が観世大夫家の本家筋と強調して上島家の地位を高めようとしたことが
読み取れるが、反響の大きさに困惑したか上島家は昭和40年代中頃以降は公開拒否の姿勢に転じて、
本書の「本物ならば公開を拒否するはずはあるまい。」(本書230頁)という指摘に尽きるわな(^_^;)
モチ個々の論点での論証、梅原猛からの批判に対する反論や本物と思い込んでる人々への批判にこそ
説得力があり、面白いんだけどね(^^) 梅原猛のデタラメさは今更なんだけど、贋者は贋物に群がる、
てゆーか、贋者だから贋物に引っ掛かるんだろう(^_^;) 本書65~66頁から引くけど(一部孫引き)、
梅原猛が「白洲氏ほど能を愛した人はなく、彼女は人間についても芸術についても、当代に比類ない
ほどの実に鋭い感性を持っておられた。」と『うつぼ船Ⅱ 観阿弥と正成』(角川学芸出版,2009)で
持ち上げていた白洲正子は、

      ・・・観阿弥も伊賀の服部氏の一族でした。服部氏は後世の服部半蔵などで
      知られる如く、忍術の方では著名な家柄です。観阿弥が忍者だったとは申し
      ませんが、そういう雰囲気の中で育ったことは確かです。ついでのことに
      いっておきますと、観阿弥の母、つまり世阿弥の祖母に当る人は、楠木正成
      の姉で、したがって南朝とは切っても切れぬつながりがあったのです。
      正成が多くの忍者を用いたことは有名ですが、神出鬼没の彼自身も、いわば
      忍者の親方のような人物だったのかも知れません。

    などと、伊賀観世系譜の説を無批判に信用した上で、「正成は多くの忍者を用いたこと
    は有名です」といった非常識な歴史認識に基づいて観阿弥をも忍者の系列に加えるような
    安直な感想を並べ立てていて、これがかの著名な文筆家の文章なのかと疑われるほどで
    ある。・・・
     
と本書は論評(゚o゚;) 彼女の著作が売れてるのは知ってるも読んだことがなく、高雅な御趣味の方かと
思ってたけど、上記引用を読む限り、低俗、俗物としか言いようがないね(^_^;) 所詮、贋者は贋者に
騙されるわけで梅原猛や白洲正子のような贋者の愛読者たちも贋・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;オマエモソノコタンノファン!

「伊賀観世系譜」は江戸時代の文化文政期どころか、昭和初期に創作されたと本書は結論していて、
その「編纂時期についての考察結果」は本書227頁に次のように纏められている(^^)

    /伊賀観世系譜は、明治42年発行の吉田東伍校注『世阿弥十六部集』を利用している
    ことが確実であり、どんなに早くとも同年以後の編纂である。また、昭和初期に学界
    に紹介された『四座役者目録』を利用している上に、昭和13年発行の能勢朝次博士著
    『能楽源流考』やそれに前後する頃の野々村戒三氏の著書の影響を蒙っていることの
    確実な記事を含んでいるから、乙系図のような後に編まれた分は、それ以後──下限
    は久保氏による紹介まで下ることになるが、一応「昭和20年頃まで」としておこう──
    まで近接した時期になっての編纂である可能性が極めて高い。/

冒頭に引用した苑子タンも含めて偽作の動機やメリットが判らないと述べている論者が結構いるけど、
上島家固有の目的(上述)に加え、昭和初期の創作となると、本書251頁の次の指摘の通りかと(^_^;)

    ・・・/楠木正成をめぐる評価の社会的風潮の変遷の面を考慮しても、系譜を楠木氏に
    関連するものにしたがる傾向は明治以降である可能性が格段と高かろう。明治維新後の
    能界の顕著な動きの一つが、楠公関係の能の新作や復曲である。楠公関係の謡曲は江戸
    時代に何曲か作られていたものの、実際に演じられていた曲は明治維新まで皆無だった。
    それが、明治になって、観世流は〈楠露〉を。金剛流は〈桜井駅〉を、喜多流は〈桜井〉を、
    それぞれ正式に演目に加えた。能界復興の手立ての一つだった能新作にあたって、まず
    楠公物が選ばれたわけで、それは楠公父子を敬慕する風潮が明治以後の世間にすこぶる
    強かったことの反映に相違あるまい。そうした風潮下では、自家の先祖と楠木氏とを
    縁戚であったように仕立てたくなるのは当然の願望であったろう。増田正造のように
    「世阿弥一族を楠氏に結びつけねばならなかった理由は何だったのだろう」(六四頁参照)
    などとまじめに考える必要は全くない。「ねばならなかった」理由などあるはずがない。
    明治以降ならば結びつけて当然だったのである。/・・・

付言すると、南北朝正閏問題は明治末に起きているが、昭和の初めにも有名な事件があり、例えば、
神田文人編『昭和史年表〔完結版〕 大正12年9月1日-平成元年12月31日』(小学館,1990第3版)の
昭和9年(1934年)2月7日の「政治・経済」の欄には次の事件がピックアップされているv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    商相中島久万吉の「足利尊氏論」が貴族院で問題化,辞任に追い込まれる。

その上の1月29日に八幡製鉄所と釜石など5製鉄会社が合併して日本製鉄株式会社が設立されたことが
載っていて、そこから中島久万吉の方に手書きで矢印が引かれて「疑惑」と書き込まれているけど、
何の本で読んで書き込んだのか思い出せない(ノ_-;)トホホ… それはさておき、上記の2月7日の事件には
「建武の中興600年祭」と書き込まれており、こちらの方は佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』
(中公文庫,1974→2005改版)のことであり、同書に次のように解説されているv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・中島にとって運の悪かったことは、この昭和九年が後醍醐天皇の建武の新政、
    いわゆる建武中興(一三三四年)の六百年後に当たっており、一部の軍人・神職・
    歴史家たちが後醍醐と南朝およびその〝忠臣〟の事績を〝顕彰〟して、天皇制擁護の
    思想を宣伝すべく、大々的な建武中興六百年記念事業を始めていた矢先であったこと
    である。/・・・

「そうした風潮下では、自家の先祖と楠木氏とを縁戚であったように仕立てたくなるのは当然の願望
であったろう」との表章の指摘は説得力があり、苑子タンじゃないけど「すうっと解ける」(⌒~⌒)
タグ:歴史
コメント(12) 
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コメント 12

tai-yama

私も偽物が大好きと(笑)。中国のコピー品に群がるのはやはり
偽者・・・・。竹内文書に近いものが色々あったとは。
by tai-yama (2021-06-30 23:18) 

アニマルボイス

このあたりのことは全く関心がないけど、永仁の壷事件を想起させるような話で、つい読んじゃいました。関係書物全然読んでいないので真偽のほどはわかりませんが、推論としておもしろい。ミステリ大賞進呈したいくらいです。
楠公については、俗物としては水木しげるの「近藤勇」に書かれていた、たいした人物でもないのに「日本外史」にものすごく立派な人物のように書かれていたので、勇は尊敬する第一の人物と考えていた(←以上ボケ老人の記憶)というシーンを思い出しました。
歳をとると素直な心がなくなり何事も色眼鏡で見てしまうせいか、曽我兄弟も赤穂浪士も乃木大将も、「偉い人」たちをつい「なんだかなぁ」という感じで見てしまいます。大化の改新も、単にクーデターじゃないの、ってな感じです。困ったものです。m(__)m
by アニマルボイス (2021-06-30 23:33) 

ナベちはる

「類は友を呼ぶ」…ではないですが、やはりニセモノにはニセモノが近づいてくるのですね。
by ナベちはる (2021-07-01 01:14) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
都民・・・ 失礼、エレン・ファーストの会の会長は百合子さんでは無かったのですね。
最近では、百合子さんと言うと、トロプリで出て来る生徒会長の白鳥百合子さんを思い浮かべます。
by ネオ・アッキー (2021-07-01 05:50) 

df233285

聞いた話では。今度の都議選の争点は、全国規模の課題が
優越らしいですね。なら、都民にだけ選択させて済ませて置かない
で、国民一般に、今後の政策方針の各々良否の判断を、させ
て貰いたいものだと、特に東京都隣接県の人間として思います。
by df233285 (2021-07-01 08:38) 

middrinn

バイクオンリーではなく実は車にも乗っている
tai-yama様は偽ライダーオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2021-07-01 08:55) 

middrinn

『永仁の壺 偽作の顛末』(講談社文庫,1995)の松井覚進と違い、
表章は専門家(研究者)だからでしょうけど、詳しくない一般人
を意識した執筆ではないのが残念(^_^;) ノンフィクションの賞を
与えられてもおかしくない出来と思いますが、梅原、白洲、伊沢
元彦らを酷評してるから賞の勧進元の出版社が嫌がりそう(^_^;)
その作品は知りませんが、退勢の組織に最後まで忠を尽くす点は
楠木正成も近藤勇も共通ですが、前者は宮方、後者は幕府方で、
近藤勇が楠木正成を尊敬してたというのは不思議な感じも(^_^;)
アニマルボイス様よりも斜に構えている所為か、「偉い人」たち
よりも、この人たちを称賛している人々の方に興味を持ちますし、
評価が覆されたとか時代によって評価が変遷とか好きです(^_^;)
by middrinn (2021-07-01 08:59) 

middrinn

類は友を呼ぶ! まさに、ソレです(^o^)丿
ナベちはる様、本物は近づきません(^_^;)
by middrinn (2021-07-01 09:01) 

middrinn

プリキュア視たことないので(m(__)m)、白鳥百合子と聞くと、
ネオ・アッキー様、実在の女優・アイドルを連想します(^_^;)
by middrinn (2021-07-01 09:02) 

middrinn

フツーに「全国民に」云々と公約している候補者がいますね(^_^;)
長さん様、国政政党の候補者だから公約も流用してるのかも(@_@;)
by middrinn (2021-07-01 09:07) 

yokomi

質が良ければ偽物でも良いのですが、安く作って儲けようとするのでしょうから、偽物に良い物は無い!??(^_^;) 日本製鉄といえば近々呉市の製鉄所を全面閉鎖するとか。地元の雇用が大変(>_<)
by yokomi (2021-07-01 13:01) 

middrinn

そーゆー話じゃないです(^_^;)
by middrinn (2021-07-01 15:31) 

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