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210411読んだ本

読書の厄介なところは、「Hey T !」と呼ばれる理由が解らぬことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
T-岡田は22歳で本塁打王を獲得も(ノーステップ打法で!)、その後は期待外れの成績が続いてて、
メンタルの問題か好機に弱いため鈍足なのに1番打者に起用されるが結果を出せず、自らの野選で失点
してもヘラヘラしてるのも何とかしてほしいが、「Hey T !」とネット掲示板では呼ばれてる(@_@;)
ちなみに、平貞文が「平中」と呼ばれるのは、よく女性からキスを求められたため・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

萩谷朴『平中全講』(同朋舎,1959初版→1978復刊)所蔵本

〈・・・結局「平中」と号した由来は摑[つか]めないのである。〉と巻末「解説」にある清水好子
(校注・訳)『平中物語』(片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子[校注・訳]『新編日本古典
文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』[小学館,1994]所収)の第一段の冒頭部分の訳
を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /今ではもう昔のことになったが、男が二人して女一人に言い寄ったのだった。
    先から言い寄っていた男は官職が上で、当時の帝のお側近くお仕え申し、後から
    求婚した男は、同じ帝の御母皇太后のお血筋で、官職は初めの男より下であった。
    けれども、どう思ったのか、女は後の男になびいたのだった。/こういうわけなので、
    この初めの男は、この、女をものにした男をひどく憎んで、ありとあらゆる不都合な
    ことを、機会あるごとに、帝が無礼なとお思いになるようなことを捏造しては、
    中傷して申し上げているうちに、この男はこの男でまた役所勤めを耐えがたく思って、
    ただ遊山などに出歩いてばかりいて、衛府の役人でありながら、勤めもろくにしない
    ということになって、帝は官職を取り上げさせなさったので、世の中もおもしろく
    なくなって、いやな世間とは付き合わず、ひたすら仏道修行に従って、山林にでも
    分け入ろうと思いはするが、少しでも遠くへ行くことを許さず、父母がたいそう
    かわいがっていられる人なので、世の憂さに出家したいと思う心も、この父母への
    思いのために、妨げられるのであった。/折しも、とりわけ物思わしい秋の頃
    だったので、男はひどくさびしい思いがして、わが心一つを慰めかねる夕暮に、
    次のような歌を詠むのだった。/・・・

「男」の一人が物語の主人公の平中こと平貞文なのは言うまでもなく、頭注では、「帝」はウダダ、
「帝の御母皇太后」は班子女王(桓武天皇の孫であり、その甥にあたる平好風は平貞文の父である)
と解説するだけで、目加田さくを(全訳注)『平仲物語』(講談社学術文庫,1979)も同様(´・_・`)

本書は各段に「証」なる項を立てて、「作品の背後にある史実地誌、作中人物の伝記等の考証。」
(凡例に代えて)がなされてて、この第一段のもう一人の「男」に関しては次の如しヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    /当時権門の貴公子で、官吏の任免に奏請のきく程の上卿であったものとしては、
    藤原時平の他には考えられない。時平はこの段の推定年代寛平七年(八九五)には、
    廿五才で従三位中納言右近大将東宮大夫。平中とは、伊勢を間にし国経の北の方を
    間にして、常に恋を争う間柄であった。そしてこの時平に就かずして平中に従った
    とされる女性は詳かではないが、年代的に云って、伊勢が未だ宇多天皇に侍せず、
    再度の宮仕えの後、仲平・時平・貞文等に争われていた期間に相当するので、伊勢
    その人ではないかと思われるが、第二段及び伊勢集にも見られるように、伊勢は結局、
    平中にも許さなかったものらしく、その点、この説話の書出しは事実と異なった脚色が
    なされていることとなる。従って失脚以後、当の恋人との交渉が全然記述されていない
    不自然さをも諒解することが出来よう。寛平八・九年の頃には、既に伊勢は宇多天皇の
    皇子(行中親王カ)を生み奉っている。宇多天皇の勅勘には、本段には記されていない
    天皇御自身の感情も加わっていたことであろう。時平の讒計が完全に成功したのも
    その為であり、失脚後の没交渉も実はその為である。平中の訴えるに由ない苦悩の程も
    察せられるというものである。因みに、宇多天皇の母后は、仲野親王の娘、光孝天皇の
    夫人、班子女王で、貞文の父好風の叔母に当る方である。/

清水好子が同書巻末「解説」の「五 平中物語研究史」で「萩谷氏の詳細きわまる平中関係の資料は、
研究者を益するのみでなく、氏自身の注釈と論究に、自在な方向からの考察を可能にしているといえ
よう。」と本書を評してるのを〈萩谷朴の「注釈と論究」がフリーダム過ぎると腐しているようにも
読めなくもない〉と感じたのは(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-19
的外れではなかったような気がするぐらい、萩谷朴による本書の考証を同書は無視しているね(^_^;)

秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)の「第五章 平中の敗北」には、「さて、まったく蛇足
ながら、伊勢の相手の男である平中こと平定文についてひと言ふれておくことにしたい。」として、
「定文は祖父茂世王の妹で宇多天皇の母后班子女王の庇護も厚かったが、寛平七年のころ藤原時平の
讒口によって、右馬権小允の官職を罷免されたらしい。やがて班子女王のとりなしで復官したが、
・・・」云々との記述があるが、萩谷朴による考証に依拠したものかと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:古典 歴史
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

T-岡田のTは「時平」だったり。菅原道真の呪いで、打率が1割にも
満たない状況になっているのかも・・・
by tai-yama (2021-04-11 23:04) 

ナベちはる

T-岡田選手の活躍、今年こそは良いものを見たいです。
by ナベちはる (2021-04-12 00:39) 

middrinn

時平は笑い上戸だったそうで、
tai-yama様、ヘラヘラしては
なかったのではないかと^_^;
by middrinn (2021-04-12 05:43) 

middrinn

今年こそ、今年こそ・・・と、
ナベちはる様、毎年(^_^;)
by middrinn (2021-04-12 05:45) 

そら

T-岡田選手、オリックス一筋なんですね
それもまた凄い事(^^)
イチローがいた頃は良く観に行っやんですけどねぇ、オリックス戦!
by そら (2021-04-12 06:46) 

middrinn

しかも、地元の大阪・履正社の出身ですからね(^_^;)
by middrinn (2021-04-12 06:51) 

ニッキー

ここぞという時に実力を出せない人っていますよねぇ(*_*)
頑張ってメンタルを鍛えて欲しいです^^
by ニッキー (2021-04-12 20:21) 

middrinn

逆に、チャンスには強いのに普段やる気を全く出さない人もいますね(^_^;)
by middrinn (2021-04-12 20:45) 

yokomi

今も昔も妬みとは恐ろしきものよ....(T_T)
by yokomi (2021-04-14 18:44) 

middrinn

萩谷朴によると、藤原時平と宇多天皇という、
ともに権力を持った人間の妬みですし(^_^;)
by middrinn (2021-04-14 19:03) 

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