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210309読んだ本【バカチン】

読書の厄介なところは、一流出版社の刊行物も胡散臭く思えてくることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
といっても、もともと世代的にも性格的にも岩波書店に対する無謬性信仰なんて無かったけどね(^_^;)
やはり辞典と同じで第一刷は買うべきじゃないけど、他方で増刷の可能性が低いから悩ましい(@_@;)

【読んだ本(バカチン)】

久保田淳&平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)所蔵本

本書巻末の「人名索引」の「作者名索引」の藤原行成の項を見てて、大爆笑オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    ・・・父は右近衛少将義孝.母は中納言源保光女.父義孝が早逝後,
    祖父伊尹に養育された.・・・

同じ「作者名索引」の藤原義孝の項に「・・・天延2年(974)9月16日没,21歳.・・・」とあり、
更に「詞書等人名索引」の藤原伊尹の項には「・・・天禄3年(972)11月1日没,49歳.・・・」と
記しているのに、「父義孝が早逝後,祖父伊尹に養育された」かよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

とりあえず河北騰「藤原行成の「権記」と栄花物語」(山中裕編『平安時代の歴史と文学 文学編』
[吉川弘文館,1981]所収)から引いておこう〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・この祖父伊尹は行成が一歳の天禄三年十一月一日に四十九歳の働き盛りで、
    衆人に愛惜されつつ薨去した。父の少将義孝は、この伊尹の二男であり、行成の母は
    醍醐帝の第三皇子代明親王の長男で源保光中納言の娘であった。・・・/ところが、
    此の義孝も天延二年九月十六日、行成三歳の時に、兄挙賢と同日に死去した為、
    時人はこれを前少将・後少将と呼んだ事が諸書に記され、多くの説話となって
    伝えられている。・・・/・・・/この時、義孝の享年は二十一歳であり、行成は
    三歳という幼少の事なのであった。最も頼みとする摂政の祖父[伊尹]にも父[義孝]
    にも死別した彼は、外祖父に当る源保光の桃園の邸で育てられたのであろう。/・・・
タグ:歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

藤原、藤原と出てきているので校正が誰だが分からなくなった
のかも(笑)。49歳でじいさんと呼ばれるのか・・・・やばいな。
by tai-yama (2021-03-09 22:40) 

ナベちはる

既に亡くなった人に育てられた…何か「不思議なこと」が起こったかもしれませんね(笑)
by ナベちはる (2021-03-10 00:30) 

middrinn

父の早逝で摂政関白の祖父に育てられは、
tai-yama様、例があるからかと(^_^;)
by middrinn (2021-03-10 05:57) 

middrinn

生霊すら出て来る時代ですから、
ナベちはる様、そうかも(^_^;)
by middrinn (2021-03-10 05:59) 

そら

49歳、昔は短命だったんですね
そう言えば私、小学生で甥っ子が生まれ叔父さんになりました(^^;
by そら (2021-03-10 06:46) 

middrinn

この伊尹は早すぎますねぇ(-ω-、)
おめでとうございま~す\(^o^)/
おじいさんも遠くないかも(^_^;)
by middrinn (2021-03-10 06:52) 

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