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210308読んだ本

読書の厄介なところは、受験で暗記させられた知識が疑わしくなることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(中)』(講談社学術文庫,2012)

嵯峨天皇、橘逸勢、空海の「三筆」と一緒に「三蹟」として小野道風、藤原佐理、藤原行成の3人も
暗記させられたものだが、小野道風ではなく兼明親王(源兼明)を数える説もあるみたい( ̄◇ ̄;)

例えば、後藤昭雄&池上洵一&山根對助(校注)『新日本古典文学大系32 江談抄 中外抄 富家語』
(岩波書店,1997)所収の山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(大江匡房の言談を藤原実兼[=
信西の父]が筆録)第二の二三「兼明・佐理・行成等同の手書きの事」(同書47~48頁)を引くが、
[ ]内は(振り仮名を除いて)同書47頁の脚注から補ったものである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    「兼明・佐理・行成の三人は等同[=同等の]手書き[=能筆]なり。おのおの皆、
    様は少しく相乖[あひたが]ふなり。後の人、殿最[でんさい=優劣。「殿は劣る、
    最はすぐれていること。」]を決し難きか。故源右相府[=源師房]曰はく、
    「行成卿は、世人、道風に劣ると謂[おも]へるか」と。まことは佐理・兼明に
    等[ひと]しとなむ、世人は称[い]ひける」と。

同時代とまでは言えないけど、兼明親王、藤原佐理、藤原行成をセットで挙げるのが当時の認識で、
源師房の言を見ると、小野道風は別格なのかしら(@_@;) 興味深いのは、藤原行成の日記『権記』
の長保5年(1003年)11月25日条で、本書306頁から引く(@_@;)

     二十五日、辛亥。 小野道風に書法を授けられる夢想

    内裏に参った。東宮[居貞親王=後の三条天皇]の許に参った。目染の裳を返却した。
    弾正宮[為尊親王]の許に参った。/この夜の夢に、野(小野)道風に逢った。
    おっしゃって云ったことには、「書法を授けよう」と。雑事を言談した。

小野道風は康保3年(966年)没らしく、藤原行成は天禄3年(972年)生まれゆえ、面識は無い(^_^;)
タグ:歴史 書道
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

小野道風が凄すぎて、「三蹟」扱いで無くなってしまうとは・・・
評価が下がれば受験生に覚えてもらえるのに。
by tai-yama (2021-03-09 00:10) 

ナベちはる

学生時代、試験が終わると嘘のように頭から知識が抜けていくことが何度もありました…(^^;
by ナベちはる (2021-03-09 01:09) 

middrinn

あくまでも私見でして、ともあれ、院政期には、
tai-yama様、道風は数えなかったかと(^_^;)
by middrinn (2021-03-09 05:40) 

middrinn

たしかに(^_^;) 先日の講習のは、
ナベちはる様、どうかな(^_^;)
by middrinn (2021-03-09 05:41) 

そら

私、学生の頃から歴史はからっきしダメでして
今は全て忘れています(^^;
by そら (2021-03-09 06:39) 

middrinn

綱吉の母の桂昌院とか身近なとこから、
思い出されるのではないかと(^_^;)
by middrinn (2021-03-09 06:52) 

df233285

『藤原行成「権記」(下)』に、”将棋駒の裏に崩し字で『と金』と
書いている”話でも出てたら、教えてくださいね~
by df233285 (2021-03-09 07:36) 

middrinn

依頼されて和歌とか書いている場面などはありましたから、
将棋の駒らしきものが出てきたらお知らせします(^o^)丿
by middrinn (2021-03-09 08:26) 

Cazz

今はかつて定番だった年号とか名前の読み方とか
古い肖像画とかが結構、変わっていると聞きました。
把握してないと恥をかきそうです^^
by Cazz (2021-03-09 15:04) 

middrinn

護良親王(後醍醐天皇の皇子で倒幕で活躍)は昔は「もりなが」でしたが、
今は「もりよし」ですし、神護寺の源頼朝像も足利直義という説が有力に、
国宝の騎馬武者像なんかも足利尊氏から高師直と変わりましたしね(^_^;)
by middrinn (2021-03-09 16:48) 

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