「アクセス解析」の「検索ワード」、「自殺した旦那忘れられない」「杉本苑子嫌い」「おねえ」等々
イミフなのもあったけど、いつの間にか表示されなくなり、ついに項目自体が消えちゃったね(@_@;)
昨日「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」の横山秀夫『半落ち』批判への訪問者が多かったけど、
どーゆー経路で辿り着いたのか全く分らんから、つまらぬ(-ω-、) 金融機関コード調べて記入か(..)

【読んだ本】

高橋裕子『イギリス美術』(岩波新書,1998)所蔵本

読了(^o^)丿 高橋裕子&高橋達史『ヴィクトリア朝万華鏡』(新潮社,1993)は今年読了した本の中で
ベスト3に入るチョー面白い本(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-03
だけど、本書もメチャ面白かったし、また非常に勉強になる好著だったヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
肖像画、風俗画、歴史・物語画、風景画、そして世紀末のイギリス美術の章を立てた他、建築や庭園
なども論じているけど、著者自身が認めているように、版画はほとんど取り上げられなかったこと、
また「イギリスの庭園や風景画を論ずる場合、社会的・思想的背景の考察に至らざるをえない。今回
そこまではふみこめなかった・・・」ことなど、「広く浅い」概観になっているのは望蜀かな(^_^;)
でも、『ヴィクトリア朝万華鏡』と比べて端折り過ぎな点は社会派リアリズムのルーク・ファイルズ
を例に具体的に指摘済(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-11 )(^_^;)
カラー口絵は10点あるも、目次や各章の扉も含めた本文に掲載された図版がモノクロで小さ過ぎて、
本文の説明を読んでも確認できないものも(-ω-、) さて、イギリス美術の評価が低かった理由(^^)

    ・・・何かについて語るとき、私たちは便宜上、分類したり、比較すべき基準を
    設けたりするのだが、それらがいつのまにかありうべき唯一の分類、絶対的な尺度
    のように見なされると、不都合をきたす場合がある。最近の美術史学では、
    この点の見直しが盛んになってきた。例えば、従来、西洋近世の美術史は
    イタリアを中心として語られてきたのだが、それによって、これと比較される
    他の地域はおよそ見当違いの基準を無理やり押しつけられてきたのではないか──
    一九八〇年代初頭、アメリカの美術史家スヴェトラーナ・アルバースが
    十七世紀のオランダ美術について指摘したこの問題は、イギリスの美術にも同様に
    あてはまるだろう。/美術活動の諸領域について価値の序列を厳密に定める
    「正統的」美術観は、イタリア・ルネサンスに由来する。絵画・彫刻・建築を
    「大芸術」として中心にすえ、工芸や版画などを「小芸術」ないし「応用芸術」
    として周辺化する見方、さらに絵画の中では、歴史画を最高位におき、以下、
    肖像画、風俗画、動物画、風景画、静物画の順でランク付けする見方である。
    ・・・イギリスで繁栄したのは、工芸、造園、デザイン、版画、挿絵やカリカチュア、
    そして肖像画、風俗画、風景画など、どちらかといえば周辺や下位に属する
    分野だった。しかし、そもそもなぜこれらが「周辺」であり「下位」なのか、
    それは必ずしも自明ではない。・・・/・・・十九世紀末以降のモダニズムは、
    絵画を文学的テクストから切り離し、純粋に色と形の問題としてとらえようとして、
    いわば上記の古典主義的ランクを逆転させ、むしろ静物画が上位にくる可能性を認めた。
    その場合も、イギリスに静物画が栄えなかったということは、またしてもこの国を
    非美術的と断定する理由になったように思われる。/しかし、イタリア・ルネサンスを
    普遍的基準として西欧の美術全体を論ずることの問題点が認識されたのと同様、
    モダニズムの見地からの十九世紀美術の語り方も、今日では絶対的なものではない。
    モダニズムの進展に貢献した現象──もっぱらフランスに生じたとされる──のみを
    二十世紀の立場からとりあげて繋いでいく従来の語り方は、十九世紀の美術自体の研究
    とは別なものだという当然の指摘がなされ、その結果、「文学的」主題に固執し、
    描法も保守的であるがゆえにモダニズムに逆行したもの、したがって論ずるに足りない
    ものとされてきたイギリスの近代美術も、美術史家の正当な研究対象たる資格を得た。
    ここ二十年ほどのイギリス美術研究の盛況ぶりは、こうした美術史学そのものの変化と
    密接に関わっている。/・・・
    
こうした美術史学の動向あるいは従来の美術史学の歪みについては、『ヴィクトリア朝万華鏡』でも
指摘されてて興味深かったわけだが、高橋裕子は次のように記している〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/しかし、美術史的な重要性、影響力、先進性といったことは、
    私たち一人一人と個々の作品(この場合、絵画・彫刻・建築という
    「大芸術」トリオだけでなく、版画や椅子や器なども含むものとする)
    との出会いにおいては、とるにたらないものだともいえる。この本で、
    私は、通常、見逃されがちなイギリス美術の「美術史的意義」について
    何度か指摘してきた。しかし、この本の最も重要な目的は、
    イギリス美術の中に何かしら心惹かれるものを発見していただけるよう、
    紹介役をつとめることだった。/・・・

「心惹かれるものを発見」出来たし、その点においても非常に満足な一冊ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

・ストーリーと無関係な挿絵を描くビアズリー、ヴィクトリア朝絵画ではフツーなことなのかも(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-16

・中野京子センセイは大学入試の世界史の問題でも間違った解答をしそうだねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-06