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200503読んだ本

ヒメツルソバ、タツナミソウ、エビネ、小さくて可愛い(〃'∇'〃)ヾ( ̄o ̄;)もしかして小鳥遊宗太か?
数日前までセーター着てたぐらいなのに朝6時すぎには18度もある夏モードでヤル気ナシオン主権(+_+)

【読んだ本】

高橋裕子&高橋達史『ヴィクトリア朝万華鏡』(新潮社1993)所蔵本

読了(^o^)丿 今年読み終えた本でベスト3には入るチョー面白い本(〃'∇'〃) 本書を次の如く評する
立花隆『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』(文春文庫,1999)(^_^;)

    /高橋裕子・高橋達史『ヴィクトリア朝万華鏡』(新潮社)は、ラファレル前派など
    ヴィクトリア朝絵画の数々を解読するという形で、その特異な時代の諸様相を語った
    ものである。私は昔からラファエル前派の大ファンで、絵はよく見ていたのだが、
    本書を読んで、自分が絵の内容をよく知らぬままに、ただ眺めていたにすぎなかった
    ということを思い知らされた。近代絵画は内容の説明など不要のものが多いが、
    ヴィクトリア朝絵画の場合は、内容を知ることで、こんなにも絵の面白みがちがって
    くるのかと思った。/文章は達者だが、第四章の小説仕立ては明らかに行き過ぎである。
    読んでいて不快だった。カラー版が多いのはよいが、色校正をもっとしっかりやって
    ほしい。/・・・
    
「行き過ぎ」とは思えないし「不快」にも感じなかったけど(´・_・`) それに本書の「あとがき」にも

    /十九世紀の英国絵画といえば、まずターナーとカンスタブル、そしてラファエル前派を
    思い浮かべるのが普通だろう。しかしこの本には純粋な風景画は一点も出てこないし、
    ラファエル前派の扱いもその熱烈なファンが期待するほど大きくはない。・・・

とあるように、(「など」を付けてはいるけど)ラファエル前派を前面に出して本書を紹介するのは
ミスリードかと(^_^;) そもそも立花隆のレヴューは本書の面白さの全てを伝えきってないね(@_@;)

とまれ、本書の「まえがき」を先ずは、その冒頭部分だけ引いておこう〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    この本での私たちのもくろみは、美術作品、主として絵画を通してヴィクトリア朝
    という時代を眺めてみようということである。ヴィクトリア朝絵画史を書こうという
    わけではない。・・・したがって、登場する画家は美術史的な「重要度」とは
    いちおう無関係に選ばれることになるだろう。・・・

こーゆー絵画史料論的試みは、黒田日出男がやってる日本史よりも西洋史の方が適してそう(⌒~⌒)
まして、「ヴィクトリア朝絵画は、表現の上では写実的な態度に貫かれている。主題にも現実に取材
したものが少なくない。」由(^^) 例えば、緻密な写実的描写や現代生活への関心はラファエル前派の
特長だし、社会派リアリズムの画家たちも社会の暗い現実や社会問題を冷静な観察眼で描いてる(^^)
ただ、社会問題だと、理想美や普遍的価値の表現というルネサンス以来の芸術論、「絵画は目の悦び
たるべしという原則」、「絵が置かれる場所から見た主題の適・不適という新しい問題」などから
限界があった点にも触れてる(^^) また、屋根裏部屋や墓地の光景が19世紀になって歴史画や風俗画の
舞台として描かれるようになった一方で、ヴィクトリア朝の偽善によって悪場所の光景が画題からは
排除されている点も指摘するなど、目配りがきく本書の著者たちであるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
そんな写実性・同時代性だけでなく、当時の絵画はたいてい物語性も備え、ストーリーのある絵(^^)
あらゆる細部に意味が与えられてて、本書が丁寧に読み解き解説してる点は立花隆の高評の通り(^^)
ヴィクトリア朝の常識は「絵はすべて物語を語る」だが、物語を語るような絵だけでなく、直接的な
「語り」から間接的な「暗示」へと徐々に移行していった画家たちの代表格のジェイムズ・ティソの
《手紙》をも取り上げて(第15章)、更には、物語性をもたない「音楽的」絵画、「無主題絵画」の
ホイッスラーの作品をめぐる裁判をも詳論(第22章)するなど、結果的に「ヴィクトリア朝絵画史」
としても読むことが出来る本書v( ̄∇ ̄)ニヤッ その目次を引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 第1章  ヴィクトリア朝──あるいはアルバート朝──の英国

     ジョージ・ギルバート・スコットほか《アルバート公記念碑》

 第2章  プラットフォームの人生模様

     ウィリアム・パウエル・フリス《駅》

 第3章  働かざる者 食うべからず

     フォード・マドックス・ブラウン《労働》

 第4章  自立させられた女たち

     リチャード・レッドグレイヴ《かわいそうな先生》

 第5章  屋根裏の殉教者たち

     ヘンリー・ウォリス《チャタートン》 リチャード・レッドグレイヴ《お針子》

 第6章  永すぎた春

     アーサー・ヒューズ《長い婚約》

 第7章  上流社会に吹くすきま風

     ウィリアム・クウィラー・オーチャードスン《功利的結婚》

 第8章  女が道を踏みはずした時

     ウィリアム・ホールマン・ハント《良心の目覚め》

 第9章  幸は田舎家にあり

     トマス・ウェブスター《おやすみなさい》

 第10章 ロンドンの底辺探訪

     ルーク・ファイルズ《救貧院臨時宿泊所の入所希望者たち》

 第11章 ロンドンの〝魚河岸〟と〝やっちゃ場〟

     ジョージ・エルガー・ヒックス《ビリングズゲイト市場》

 第12章 旅役者の娘から劇壇の女王へ

     ジョン・シンガー・サージェント《マクベス夫人に扮したエレン・テリー》

 第13章 競馬場の人間博覧会

     ウィリアム・パウエル・フリス《ダービー開催日》

 第14章 新天地への脱出

     フォード・マドックス・ブラウン《英国の見納め》

 第15章 切手と手紙をめぐるドラマ

     フレデリック・ジョージ・スティーヴンズ《母と子》 ジェイムズ・ティソ《手紙》

 第16章 交通革命 もっと速く、もっと遠くへ

     エイブラハム・ソロモン《一等車》

 第17章 犯罪報道花盛り

     フランク・ホル《ニューゲイト監獄──未決囚たち》

 第18章 展覧会は大盛況

     ウィリアム・パウエル・フリス《ロイヤル・アカデミー展の招待日、一八八一年》

 第19章 女王陛下の動物画家

     エドウィン・ランシア《上流生活》《下流生活》

 第20章 子供の情景 光と影と

     ジョン・エヴァレット・ミレイ《シャボン玉》

 第21章 草葉の陰で

     アーサー・ヒューズ《海からの帰郷》

 第22章 ヴィクトリア朝の〝前衛絵画〟

     J・A・M・ホイッスラー《黒と金色のノクターン──落下する花火》

 第23章 「泣かせる歴史画」の主役たち

     ウィリアム・フレデリック・イームズ《ところで君が最後にお父さんに会ったのはいつだね》

 第24章 絵画から映画へ

     エドワード・ポインター《エジプトのイスラエル人》

生前は抜群の知名度を誇ったのに、その後、評価が一気に凋落して日本ではほぼ無名のフリスの作品
(本書の表紙カヴァーは《ダービー開催日》)を第2章、第13章、第18章と多く取り上げている(^^)
フリスの群衆風俗画は「同時代のロンドンの中産階級の生活を多彩なエピソードを含む華やかな絵巻
に仕立て」て、現在では19世紀半ばの英国都市生活を圧縮して表わした「歴史画」のようなもの(^^)
〈登場する画家は美術史的な「重要度」とはいちおう無関係〉と「まえがき」にあったように、発表
当時は大評判だったフリスの《駅》は今や忘れられてしまっている(-ω-、) 逆に、発表当時は話題に
ならなかった同時代のマネ《チュイルリー公園の音楽会》が今日では「現代都市生活の主役」である
群衆を初めて正面切って描いた作品として高~い評価を得ていることを紹介した上での、次の指摘は
メチャ知的刺激に満ちているジャマイカ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・たしかに技法や様式の観点から見れば、アカデミックな伝統的手法で描かれた
    《駅》には特筆に値する新味は何一つ見られないから、前衛絵画の展開を辿る
    従来の「様式史としての美術史」がこの絵を無視してきたのも無理はない。しかし
    絵画のもう一つの要素である主題に関する限り、大都会の雑踏を生き生きと描いた
    《駅》の斬新さは、否定しようもない。新時代の都市生活の象徴である終着駅を
    本格的な油彩画の舞台に選んだ画家も、フリス以前には一人もいなかったのだから。/
    ・・・様式の展開を重視するあまり、「前衛」の流れだけを追う、そして全く当然のように
    フランスの優位を前提とした従来の美術史の歪みは、この[両者の評価の]落差に
    端的に集約されていると言えないだろうか。/・・・    

〈フリスについても指摘したが、十九世紀の新たな試みというと、フランスばかりが注目されて、
英国絵画の「革新性」は正当に評価されていないようだ。〉と別の章でも述べていたよv( ̄∇ ̄)ニヤッ

実は、「まえがき」で著者たちはもう一つの「もくろみ」も述べていたのさオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    ・・・/ついでに、今日、少数の例外を除いて美術史上の傑作とは見なされていない
    ヴィクトリア朝絵画というものについて、美的評価をことごとく覆す、という気はないが、
    二十世紀のモダン・アート、あるいは同じ十九世紀のフランス印象派以後の絵画
    という基準に当てはめて計るのではなく、彼らヴィクトリア朝の画家と観衆は
    いったい何をしようとしていたのか、彼らにとって絵画とは何だったのか、
    ということも考えてみたい。/・・・

従来の美術史理解・美的評価に対する異議申し立てを本書から幾つか引いとくオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    十九世紀後半の英国美術はアカデミー派と後期ラファエル前派と唯美主義の三派に
    分かれていたと考えられがちだが、実際には人間関係の上でも、芸術傾向の点でも、
    当時の英国画壇はもっと錯綜していた。ラファエル前派のD・G・ロセッティや
    バーン・ジョーンズは、ホイッスラーと同様、唯美主義者でもある。またホイッスラー対
    ラスキンの裁判では、意外なことにロイヤル・アカデミー会長フレデリック・レイトンが
    当初ホイッスラー側の第一の証人に予定されていたのだ。・・・レイトン自身、
    アカデミー会長らしい古典文学主題の作品を描く一方で、《灼熱の六月》に
    代表されるような唯美主義的作品、つまり主題がなく、色彩と形によって
    純粋な感覚の喜びを喚起する絵画を手がけてもいる。美的生活をめざす点でも、
    彼は唯美主義者であった。・・・

    ・・・雰囲気と暗示には富むがストーリーのないこの絵[=《休息の谷》1858~59年]は、
    [ラファエル前派の代表格だった]ミレイが新境地の開拓を目指した野心作だった。
    一八七〇年代に入ると「音楽の状態に憧れた」無主題絵画が高踏的唯美主義者の間で
    人気を博するが、この絵はその偉大な先駆をなしている。因みに題名の「休息の谷」も、
    メンデルスゾーンの合唱曲の題を借りて後から付けられたものだった。/・・・

    ・・・/こうした象徴の活用は、ひたすら現実だけを見詰めようとした一八七〇~
    八〇年代の社会派リアリズムの画家たちには無縁だったがラファエル前派やその周辺の
    画家たちは、一八五〇年代からすでに、象徴的モティーフを盛んに活用していた。・・・
    わが国の概説書ではラファエル前派は世紀末美術の一環として紹介されていることが多い。
    これは明白な時代錯誤なのだが、象徴の活用による不可視の世界の追求や絵画における
    音楽性の探究などにおいて、彼らの絵画が時代を超えて世紀末の象徴主義を早くに予告
    していたのもまた揺るがすことのできぬ事実なのである。/

さて、「英国の社会派リアリズムは、結局わずかの優れた作品を生んだだけで途絶えてしまう。・・・
しかし、彼らの芸術は外国の一画家に無視しえぬ影響を及ぼした。フィンセント・ファン・ゴッホで
ある。」云々とある第10章の他にも、最終章ではヴィクトリア朝美術の諸外国への影響が論じられ、
とりわけ「映画に対する絵画の影響」が詳述されている(^^) 全てがカラーではないけど、掲載された
図版は190もあって、映画のシーンのも結構ある(^^) 最後に第7章から引いておこうC= (-。- ) フゥー

    ・・・/西洋の家庭では夫婦が食卓につく場合、テーブルの短辺に向い合って
    腰掛けるのが一般的な習慣だった。この絵[=オーチャードスン《功利的結婚》]
    のテーブルは二人用のものとしてはかなり大きいが、部屋の広さを考えれば、
    これもなんら異常なことではない。しかし食卓を挟む二人を真横から捉えた
    この絵の構図の印象は強烈だったので、以後の芸術、とりわけ映画に多大な影響を
    及ぼすことになった。たとえばオーソン・ウェルズ監督・主演の「市民ケーン」
    (一九四一年)では、愛の冷めた主人公夫婦が互いに口もきかずに新聞を読みながら
    朝食をとる場面で、これとほぼ同じ構図が用いられているし、夫殺しの罪に問われる
    女の裁判を扱ったアルフレッド・ヒッチコック監督の「パラダイン夫人の恋」
    (一九四七年)の中でも、判事チャールズ・ロートンとその妻エセル・バリモアが、
    冷え冷えとした会話を交わしながら食事をする結末のシーンが、まさにこの構図で
    撮影されていた。いやさらに遡れば、無声時代の結婚コメディー「Something to
     Think About」(一九二〇年、グローリア・スワンソン主演)ですでに模倣が
    始まっている。基調はさまざまだが、いずれも夫婦の倦怠と気持の断絶に焦点を
    当てている点で共通している。現実の生活においては別段特殊なものとは言えぬ
    この坐り方も、画面の中央を大きく空けてテーブルの長さを強調した
    オーチャードスンの《功利的結婚》によって、「倦怠・断絶・孤独」という
    普遍的な記号性を獲得することになったのである。/・・・
コメント(16) 
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コメント 16

ニッキー

今日は午前中に赤いチャリの伴走で30kmほど
走ってきましたが、気温が高すぎるので
最初から「キロ5で」とお願いしました(⌒-⌒; )
水分取りながら走って、「最後に赤いチャリに内緒で
ダッシュしてゴール!」と思ったら、あっさり抜かれました(ー ー;)
そして「甘い( ̄  ̄)」とのお言葉をいただきましたw

by ニッキー (2020-05-03 19:19) 

middrinn

鬼コーチ、ドヤ顔オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) でも、ソレが
ニッキー様にとっては御褒美オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2020-05-03 19:23) 

tai-yama

ゴッホは日本だけでなく、イギリスの影響も受けているんですね。
唯美主義と浮世絵は全く正反対な絵に見えたり。
by tai-yama (2020-05-03 23:31) 

ナベちはる

天気予報を見ると最高気温が既に25℃を超えるようなことがあるので、思わず驚いてしまいます(◎_◎;)
by ナベちはる (2020-05-04 00:50) 

そら

ホント暑いですよねぇ
日本の四季はどうしちゃったんでしょうか??
私も小さな花は好きです
かすみ草にスノードロップ、小さくて可愛いです♪
by そら (2020-05-04 01:25) 

middrinn

ゴッホは本書によると一年半余り英国に滞在し、
社会問題を挿絵(ファイルズら英国の社会派
リアリズムの画家が担当)入りで取り扱った
雑誌「グラフィック」の熱心な蒐集家であり、
《国営宝くじ売場》にはファイルズの影響が
あると指摘しております(^_^;) 浮世絵は、
tai-yama様、たしかに、唯美主義ではなく
真逆なように、小生も思いますねぇ(@_@;)
by middrinn (2020-05-04 05:46) 

middrinn

たしかに去年も5月には暑かったのですが、
ナベちはる様、急転すぎますよね(@_@;)
by middrinn (2020-05-04 05:47) 

middrinn

暑くて既に寝苦しい夜になってますよ(+_+)
そら様も小さいもの好き小鳥遊宗太か(^_^;)
by middrinn (2020-05-04 05:49) 

mimimomo

おはようございます^^
小さいお花は可愛いと同時に「中はどうなっているの?」とのぞき見の楽しみもあります(--
わが家はまだ暖房器具が出ています。また明日あたり亜kらちょっと涼しさが戻るようです。

絵画の世界は難しいですね。原田マハさんの本、および圀府寺司さんの本でゴッホのこと読みましたが、イギリスにいたと言うのあまりはっきりと記憶にないです。
ヴィクトリア朝と言うと、その時代に建てられた家が沢山イギリスにあったことと、テレビ番組のことを思い出しますが、絵画の方はさっぱり(__;
by mimimomo (2020-05-04 09:57) 

middrinn

小さくても、ちゃんと花として一人前に揃っているんでしょうね(^^)
小さすぎて見付けてあげられない時もありますが(^_^;) 本書によると
ゴッホは1870年代に通算すると1年半余り滞英した由(^^) この時代、
ラファエル前派だけではないようで魅力的な絵画も結構ある由(^o^)丿
by middrinn (2020-05-04 11:58) 

Cazz

私もラファエル前派は大好きです。
ファンが多いから手に取りやすくなるからですかね。
店頭で興味を引かれそうな本だと思います。

暑いので連日、アイスを食べてしいます・・・
高脂血漿になりそうです^^

by Cazz (2020-05-04 11:59) 

middrinn

ラファエル前派の絵画は、色彩がけばけばしいから目立つのかも(^_^;)
描かれている女性も従来の美人と違って特徴的ですよね(^_^;) 篠田達明
『モナ・リザは高脂血症だった 肖像画29枚のカルテ』(新潮新書,2003)
の表題通り、モナ・リザも絵から高脂血症だったと言われてる由(^_^;)
by middrinn (2020-05-04 12:08) 

YURI

ハント『良心の目覚め』の解釈を知った時、ヴィクトリア朝の女は(いや、男も?)生き辛そうだな、などと思ったものでした。ゴッホが影響を受けたなんて、意外です。
by YURI (2020-05-04 22:24) 

yokomi

 我が家の食卓には、長辺に私、短辺に奥様の2人だけ。その視線は...(^_^;)
by yokomi (2020-05-05 00:46) 

middrinn

本書によると、当時は絵の意味が理解できなくて、ラスキンが解説する羽目に(^_^;)
YURI様、ゴッホは「グラフィック」が手に入ったと弟に報告するほど喜んだ由^_^;
by middrinn (2020-05-05 06:06) 

middrinn

その視線は、時々交わって、
yokomi様が照れるとか(^^)
by middrinn (2020-05-05 06:10) 

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