何が吃驚って、某政令指定都市の図書館、8月31日まで臨時休館を延長∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?
東京都シガンシナ区の住民なので関係ないとはいえ図書館が利用できないと出費が嵩むなぁ(´ヘ`;)
運動不足で筋肉が減った分、脂肪が増してトントンだとすると、先ずは腹筋かなo(-`д´- o)ガンバル!!

【昨日買った本&読んだ本(バカチン)】

秋山虔&小町谷照彦&倉田実『日本古典評釈・全注釈叢書 伊勢集全注釈』(角川書店,2016)

Amazon出品者「21世紀ブックサービス」に16481円(17500+配送料等257-5%還元875-ギフト券401)
で15日に注文したのが昨日16日に届いた(^^) コンディション説明文の「中古品 - ほぼ新品 -【新品】
新品商品です。帯に保管に伴うわずかなイタミがあります。」は、帯に「イタミ」は見当たらないし、
テンプレか(^_^;) プチプチ梱包されレターパックプラスで注文翌日の夜間に届く(^^) 本書の新品は
品切らしいが、22000円+税が約8000円割引でゲット出来たようなものヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

某有名人が本書を取り上げて秋山虔を「紫式部研究の大権威」としてたが、谷沢永一が「源氏の本文
が読めていない鈍感な秋山虔」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2016-10-29
と評したことは有名だし、『紫式部日記』の紫式部の歌を秋山虔が和歌の常識に反した解釈をしてる
ことは萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上巻』(角川書店,1971)も指摘する
ところ(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-22 )オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
ちなみに、その有名人(タレント)、本書は「とある出版社からの依頼」による企画だったが、その
「出版元が倒産してしまい」云々と書いているけど、「貴重本刊行会」は「倒産」したのか(@_@;)
小町谷照彦は和歌の訳が簡にして要を得た感じなので、同(訳注)『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,
2010)や同(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)を愛用してたんだけど、
何首か間違ってることが最近判明(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-27
及び ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-28 )(ノ;ω;)ノ ガッカリ!┫:・
倉田実は・・・ごめんなさい! 名前を見かけたことあるかもしれないけど、思い出せませんm(__)m

なのに、本書を購入した理由は2つ(^_^;) 第1に、犬養廉&後藤祥子&平野由紀子(校注)『新日本
古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)所収の平野由紀子(校注)『伊勢集』の語釈が脚注
ゆえ如何せん物足りなくて、関根慶子&山下道代『私家集全釈叢書16 伊勢集全釈』(風間書房,1996)
も購入したけど、両書とも483首なのに、本書はソレに加えて63首も多く取り上げていること(⌒~⌒)
第2に、秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)が2019年の読了本でベスト5に入る知的面白さ
だったこと(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-01 )(〃'∇'〃) ただし、
同書には疑問もあるけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-03-07 )(^_^;)

『伊勢集』には西本願寺本、歌仙家集本、群書類従本の三系統があるとされ、本書などが底本とする
西本願寺本は「寛平の帝の御時、・・・」で始まるのに対して、歌仙家集本と群書類従本の両系統は
「いづれの御時にかありけむ、・・・」で始まり、『源氏物語』「桐壷」巻が「いづれの御時にか、
女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに・・・」と始まっていることとの類似性が議論に(@_@;)
んで、本書曰く、「ここから、二つの問題が出てくる。一つは、西本願寺本の本文の存在が広く知ら
れるに至って、二つの本文のいずれが原形なのかということであり、それと付随して、もう一つは、
『伊勢集』と『源氏物語』の記述にはどのような関連があるかということである。」( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
続いて、本書は各学説を紹介してて非常に有益なんだけど、その中に次の記述を発見ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・また、直接『源氏物語』との影響関係には触れていないが、『新体系』の
    「年号を明記した書き方と朧化した書き方とどちらが先行するか議論のあるところ。
    [歌番号]二二[の歌の]詞書の「時のみかど」なる朧化された時代設定と呼応する
    はずと考えれば、「いづれの…」の方が原形か。底本[=西本願寺本]は傍注が
    本文化したか」、・・・
    
「直接『源氏物語』との影響関係には触れていないが」とあるが、犬養廉&後藤祥子&平野由紀子
(校注)『新日本古典文学大系28 平安私家集』(岩波書店,1994)は巻末の解説(平野由紀子)に
「・・・/以上のように考えると、『源氏物語』の冒頭、/いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ
たまひける中に……/は、まさに『伊勢集』の表現を紫式部がとり入れたことになる。」と明言して
いるのを、秋山虔、小町谷照彦、倉田実は見落としてんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!