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161029読んだ本

喉の痛みは消えたが、頭痛が酷いし、吐き気一歩手前の気持ち悪さは、薬の副作用か症状の悪化か(+_+)

【読んだ本】

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

読了(^^) 本書は一応面白く読めたんだけど、著者が力説してるような「この世に現われた、もっとも
理想的な男性」とは到底思えず、神の怒りをかっても気付かぬほど罪障感の欠片すら無い上に、他人の
過ちはネチネチいたぶって死に追い込むのには嫌悪感すら覚えたので、「光源氏だーいきらい!」(-"-)
← 河合克敏『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(小学館ヤングサンデーコミックス,2012)第十巻での
望月結希(主人公じゃないのに第一巻の表紙なのは何故?)のセリフを援用(^^) 谷沢永一『紙つぶて
自作自注最終版』(文藝春秋,2005)曰く、「鼎談『「源氏物語」を読む』(筑摩書房)では源氏の本文
が読めていない鈍感な秋山虔と池田弥三郎を相手に、彼等の面子を損なわないよう清水好子は気苦労し
ながら仄めかしの説得を試みている。」云々と(@_@) 著者は『源氏物語』を誤読しているらしいのだが、
何せ小生は『源氏物語』の内容に関して全く無知なので、本書に対してはアレコレ言う資格はない(..)
が、『源氏物語』の入門書として読んだので、気になる点はある^_^; なお、本書は今も現役で新刊書店に
あるみたいだけど、小生のは1984年7月25日発行第38刷(^^) さて、叙述は初心者向けに配慮されてて、
大変丁寧だから良かったし(ただし、「葵の上」の名前だけが突如出てくる箇所があって、誰なん?と
前を探すとその名を出さずに言及している件があり、その件は巻末の索引にも出ていない(-_-))、特に
随所に関係者の系図が出てくるのはありがたい(^^) でも、その系図の名前が本文に出ていた名前と
違うので戸惑うことがあったりして、その数頁後に昇進してたことが判明とか、「境遇が変わると呼び名も
変わります」と冒頭に断ってはいるけど、本文叙述を踏まえた系図掲載頁にしてほしい(-_-) とはいえ、
このくらいの努力を読み手に強いるのは受忍限度内だろうから、これは大したことじゃないけどね^_^;
また、本書は〈長くて複雑な源氏物語の内容を、大胆にカットしてみました。そして「光源氏の一生」
という筋道に、源氏物語の内容を再構成してみました。〉とあるけど、光源氏を中心とした人間関係に
ついての最低限の基礎知識を得たかった小生としては、何を「カット」したのかが非常に気になる(..)
「源氏物語五十四巻のうち、光源氏を主人公として、その一生を書いた部分は、第一巻から第四十一巻
までです。」と本書にあるから、勿論その範囲内でだけど(^^) んで、例によって、芸術新潮の出番^_^;
同誌2008年2月号が「源氏物語 天皇になれなかった皇子のものがたり」と題した「源氏物語千年紀記念
特集」を組んでて「国宝《源氏物語絵巻》全56面一挙掲載!」等してる(^^) 三田村雅子の同特集の解説
がメチャ興味津々な内容なので、のんびり読んでいこうと思ってるんだけど、同特集の末尾に編集部に
よる「10分で読める『源氏物語』」が^_^; 各巻ごとの主要人物&あらすじが載ってる上に、よく出来た
人間関係図が3つあって、名前を忘れっぽい小生としては同誌は必携(^^) そこで、先ずは「第一巻から
第四十一巻まで」に登場する主要人物を見たんだけど、「空蝉」「末摘花」「麗景殿女御」「朝顔の君」
は本書では見たことないんですが、「カットして」もいい人たちなのかしら(..) 同誌同記事であらすじ
を読んで更に驚いた(@_@;) 光源氏が、玉蔓をその実父・内大臣(頭の中将)に会わせず、六条院に
引き取ったのは、玉蔓のためを思った深~い配慮に基づくヒギンズ教授ごっこと本書は強調してたけど、
同誌同記事によると、「多くの男たちが玉蔓の虜となり、養父・光源氏までが言い寄る。」(胡蝶)、
「光源氏は玉蔓に急接近するものの、ことには及ばず。」(篝火)、「台風のお見舞いに六条院を訪れた
夕霧が、紫の上をかいま見て一目惚れ。嵐にまぎれ、光源氏と玉蔓のあやしい関係まで覗き見る。」
(野分)だと(゚ロ゚;)エェッ!? 下心あったことを「カット」したな(-_-) しかし、一番びっくらこいたのは
「須磨」の件(@_@) スキャンダル(本人はそう思ってない!)から自らを追い落とす陰謀が進んでるのに
嫌気が差して、光源氏は都を離れて須磨に赴くわけだが、どうして須磨の地なのかを解説している件で、
そもそも須磨という地は「わびしい思いをそそるところ」であること、「都で罪をえた人々が」やって
くるところであること、「昔、関があり」「須磨は摂津の国の西のはずれ」で「須磨の関を越えると」
播磨の国に入り、都からは「地方の国々」「さびしい、遠い国々」となることなどなどが説明されてて、
ここまではナルホドと読んだ(^^) ところが、その後に続けて、「ですから、須磨の関や、須磨の関の
番人たちは、昔から、よく歌に歌われました。都の人々の文学的な心をそそる題材でした。/淡路島
かよう千鳥の 鳴く声に いく夜寝ざめぬ 須磨の関守」(゚o゚;)ナンデスト? 百人一首の歌で有名だから作者
を明記しなかったのかもしらんが、源兼昌の歌なわけだけど、これは『源氏物語』の中の光源氏の歌を
踏まえて詠まれたものであることは、石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)、島津忠夫訳注
『新版 百人一首』(角川文庫,1984改版22版)及び同(角川ソフィア文庫,2008新版16版)、安東次男
『百人一首』(新潮文庫,1976)など一致してるぞ^_^; 「昔から、よく歌に歌われました」と言うなら、
『源氏物語』以前に詠まれた歌を例として挙げろよ(-"-) そんな感じで、全く『源氏物語』の内容を
知らなかった小生としては読んでタメになったけれど、どこまで信じていいのやら、といったとこ^_^;

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

何冊か新しい本を読み出そうとしたけど、読めるような状態じゃなくて、数行で断念(+_+)
タグ:評論 古典 和歌
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