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190125読んだ本

やらなきゃいけないことがあったけど今日もサボったのは、全てのことが億劫に感じられるから(-ω-、)
「億劫」を『大辞林』初版第一刷で引いたら、用例に「こたつに入ると、仕事をするのが──になる」と
あって、ちょっと笑った(^_^;) でも、「こたつに入」れる職場って、どんな「仕事」なんだろう(^_^;)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

本書の「第二十二番 総持寺」で、「この寺の開創者、山蔭中納言政朝が、日本庖丁の元祖といわれる
料理の神サマ・・・」云々などと、苑子タンは記した後、

    ところで、この山蔭中納言政朝なるお公卿さんについては、総持寺側におもしろい寺伝が
    残っている。仁明天皇の承和年間、越前守藤原高房は、大宰大貮に任ぜられ、筑前へ
    くだる途上、淀の穂積の橋ぎわで一匹の大亀を助けた。・・・

と個人的にはメチャ面白い話を紹介していたね(-ω-、) そして、流石は我らが苑子タンと言うべきか、

    ──ところで私は、あまりにうまく出来すぎている〝縁起〟に小意地わるい疑いをおこし、
    山蔭中納言政朝なる人物がはたして本当に実在していたかどうか、たしかめてみたくなった。
    で、尊卑分脈をひっくり返してみたところが、たしかに藤原の北家に、中納言亮高房という
    人はいた。参議藤嗣の次男で、治績も多い。そして、この高房に男児が七人いるのだが、
    政朝という名は見あたらない。朝行というのが三男にい、六男坊に山蔭という息子がいる。
    民部卿にすすみ中納言に任ぜられ、仁和四年、六十五歳で薨じているところをみると、
    この人が縁起の中のヒーローらしい。つまり〝山蔭〟は姓ではなく、彼の場合、
    名なのである。/しかも、なお見てゆくうちに、訝[おか]しなことを発見した。
    山蔭の息子も七人いるのだが、その末ッ子の「如無」という人物に傍注がつけられ、
    「入海乗亀児也。大僧都。名人」となっている。この記載が正しければ、大僧都如無こそは
    亀に助けられた子供であり、〝名人〟の二字が料理の腕前をさすのなら、庖丁の元祖も
    とりもなおさず、彼ということになる。

この件を読んで、「百目鬼恭三郎と似たようなこと、杉本苑子が今回してて、興味深かった(^^)」と
コメント( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-02-11 )したんだよね(-ω-、)
   
ところが、馬淵和夫&国東文麿&稲垣泰一(校注・訳)『新編日本古典文学全集36 今昔物語集②』
(小学館,2000)の巻第十九に「亀報山陰中納言恩語第二十九」(549~553頁)があったぞ( ̄◇ ̄;)
長い説話だし、本書と密接に関連する末尾の一文(553頁)の現代語訳だけメモっておくよ(´ヘ`;)

    この山陰中納言は摂津国に総持寺という寺を建てた人である、とこう語り伝えている
    ということだ。

しかも、同書巻末の「出典・関連資料一覧」を見ると、この説話の同話・関連資料として、『十訓抄』、
『源平盛衰記』、『沙石集(拾遺)』など7文献が挙げられてるじゃん(610~611頁)((;゚Д゚)ヒィィィ!

そこで、手元にある浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)からは
上の一ノ五の現代語訳を引く(-ω-、)

    我が日本でも、山陰中納言が筑紫に下向なさる途中、鵜飼が殺そうとしていた亀を
    買い取って、逃がしておやりになった。その時は二歳ほどであった若君を、
    同道なさっていらっしゃったが、継母と乳母とは一緒になって、若君を偶然、
    取り落としてしまったかのようにして、海の中に落し入れてしまった。
    父の中納言は茫然とされていたが、その時、助けてやった亀が、若君を甲羅の上に
    乗せて、舟のへりの所に置いていったのだった。ただちに助け上げたのは
    いうまでもない。/このことは如無僧都の話として、誰でも知っている話であるから、
    詳しく書く必要はなかろう。

その頭注の解説に「山陰中納言の物語は諸書に引かれ、報恩譚としてもっともポピュラーな話であった
ようだ。『山陰中納言物語』という物語も鎌倉時代あたりまでは伝えられていたらしい。」とあるし、
同書巻末の「関係類話一覧」には、類話・関連記事として上記の『今昔物語集』の他に、『宝物集』、
『発心集』など10も文献が挙げられていて、その中には『平家物語』まで∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
杉本圭三郎『平家物語(六)』(講談社学術文庫,1984)の「祗園女御」を披いたら出てたよ(-ω-、)

苑子タン、教養が無さすぎ! もっと調べてから書けよヾ(`◇´)ノヾ( ̄o ̄;)オイオイお前は言えないだろ!
タグ:説話 古典
コメント(20) 
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コメント 20

センニン

こんばんは。
自宅で仕事をしている人とか。
家事も仕事ですね。
by センニン (2019-01-25 20:31) 

middrinn

ナルホド(^_^;)
by middrinn (2019-01-25 20:32) 

そら

こたつねぇ、掘りごたつのある居酒屋とか?
まかないを食べるときに入れるとか(^^;
by そら (2019-01-25 20:33) 

middrinn

掘りごたつのある居酒屋( ̄◇ ̄;)
そんなとこあるんですかぁ(゚o゚;)
by middrinn (2019-01-25 20:36) 

たじまーる

炬燵は仕事をするところではなく
まったりして寝るところだと思います(^^;)
炬燵で勉強や仕事は絶対無理ですね、私(苦笑)
by たじまーる (2019-01-25 21:15) 

middrinn

こたつの上にはミカンを置いてね(^^)
でも、炬燵で勉強したいなぁ(〃'∇'〃)
by middrinn (2019-01-25 21:21) 

room7

はじめまして。nice!ありがとうございます。
すごいブログですね。亀か〜。

by room7 (2019-01-25 21:27) 

middrinn

room7様の「7つの部屋 - デザイン! News」も、お洒落ですよね(^^)
by middrinn (2019-01-25 21:51) 

suzu*

あのな…今日の総閲覧数がいつもの20倍ある!
いつもやと100ちょいやのにさσ(^_^;)
なんか変やでぇ
by suzu* (2019-01-25 22:21) 

middrinn

17時台から依然アクセス数がメチャ多いけど、
いつもより少~しだけ多い程度かしら(^_^;)
by middrinn (2019-01-25 22:25) 

ナベちはる

こたつに入れるような職業…自営業…でしょうか((+_+))
by ナベちはる (2019-01-26 02:29) 

middrinn

羨ましいですよねぇ(^_^;)
by middrinn (2019-01-26 07:51) 

oko

コタツに入れる職場・・・
程よい暖かさが調節出来るコタツを開発している会社
かな・・?なんてずーっと考えちゃう私です・・・
by oko (2019-01-26 08:19) 

middrinn

ナルホド!( ̄◇ ̄;) たしかに、
それなら理に適ってますね(^^)
今日も中継が愉しみですね(^^)
by middrinn (2019-01-26 08:36) 

enokorogusa

『山河寂寥』ようやく読了。
なかなかに面白かったです(^^)
最後駆け足的な気もしましたが、あとがきを読んで少し納得。
杉本苑子の他の作品も読んでみたくなりました。
『山河寂寥』にも藤原山蔭が出てきましたが、今回の記事の山蔭と同じ人物になるんでしょうか?
by enokorogusa (2019-01-26 09:43) 

ニッキー

こたつに入ると動きたくなくなりますもんねぇ(⌒-⌒; )
すっぽりはまり込んで動かないし、
そのまま寝ちゃったりするので
我が家ではこたつは処分されちゃいました(*_*)
by ニッキー (2019-01-26 10:14) 

middrinn

苑子タンの作品群の欠史を埋めるための作品ゆえ
副題から離れた叙述もあったりしたかと(^_^;)
enokorogusa様のお眼鏡にかなって一安心^_^;
真淵和夫ほか・前掲書巻末の「人名解説」の官歴
から同一人物かと(^^) 目崎徳衛『王朝のみやび』
にも「[在原]行平が藤原山陰(右近衛少将)と
ともに、清和天皇の寵臣であったからである。」
という件ありました(^^) 同書は「後宮を支配
する尚侍藤原淑子」など藤原淑子に数回言及(^^)
by middrinn (2019-01-26 10:19) 

middrinn

読む人を得心させる用例ですよね(^_^;)
ニッキー様のお宅は、こたつが無くても、
出窓のナベで圭太様たちは満足かと(^^)
by middrinn (2019-01-26 10:34) 

mimimomo

こんばんは^^
炬燵に入れる職業、主婦です。炬燵に入っていると仕事がしたくなくなります。ってこれ相当昔の話。今は炬燵があっても外(つまりほかの部屋ね)も暖かいからそんなに炬燵から出るの嫌じゃないと思う。
その下も読んでみたけれど・・・複雑すぎて頭が付いて行かない。
今、数独やっていた。数字の方はまだ少し楽について行くけれどね(-。-
by mimimomo (2019-01-26 18:34) 

middrinn

『大辞林』は1988年11月3日初版第1刷発行ですが、
この用例は「相当昔の話」ですか(^_^;) 古い用例を
挙げるべきものですから、むしろ正しいのか(^_^;)
上記リンク先では、苑子タンが紹介している寺伝を、
「物語の第一段は、大宰大弐に任ぜられた越前守藤原
高房が、筑紫へ下る途中、淀の穂積の橋ぎわで、大亀
を助けたところ、翌朝、継母と組んだ乳母が政朝少年
を殺そうと河に落としてしまい、悲しんだ父・高房は
せめて亡骸だけでもと観世音に祈誓すると、大亀の背
に乗った政朝少年の姿が水上に(^^)・・・」と要約
してます(^^) このように寺伝では、藤原高房の子が
継母らに殺されそうになったところを亀に助けられ、
後に山蔭中納言政朝となって総持寺を開創した、と
なっていますけど、『今昔物語集』『十訓抄』『平家
物語』などでは、総持寺を建てた山陰中納言こと藤原
山陰の子が亀に助けられて、後に如無僧都となったと
してて、微妙に差異があるわけです(^_^;) ところが、
苑子タンはコレらの説話集や物語などで伝わっている
話には一言も触れず、『尊卑分脈』を調べて「訝しな
ことを発見した。」と悦に入っているので苦言を呈した
次第です(^_^;) これで御理解頂ければ幸甚です(^^)
by middrinn (2019-01-26 19:11) 

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