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170205読んだ本&買った本

ちょっとした一言で救われるように、買って良かったとしみじみ感じさせる一頁があるのさ(^^)

【読んだ本】

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

片桐洋一『原文&現代語訳シリーズ 古今和歌集』(笠間書院,2005)所蔵本

奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社,1978)所蔵本

小山順子『藤原良経 コレクション日本歌人選 027』(笠間書院,2012)

松本清張『恋愛サスペンス 風の視線(下) 松本清張プレミアム・ミステリー』(光文社文庫,2017)

【買った本】

久保田淳『新古今和歌集全注釈 六』(角川学芸出版,2012)

各16200円の全6巻もポイント&クーポンを総動員して計20985円引きには出来たから2割引きは超えた(..)
雑歌下、神祇歌、釈教歌、解説、引用書目解題、作者一覧・作者別索引、各句索引、あとがきを収録(^^)
本書の「土台」である『新古今和歌集全評釈』講談社全9巻について、百目鬼恭三郎『読書人読むべし』
(新潮社,1984)は、「久保田の評釈は、歌の成立についての客観的な分析に特徴があり、・・・」云々
と評したけど、久保田淳は石田吉貞などに比べると歌の鑑賞の点では物足りない感じがして( ← 素人の
感想ですm(__)m)、本書も新古今集の事典として利用してた^_^; が、本書第二巻で藤原清輔の歌番号340
「薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけん」の「鑑賞」を読んでて瞠目させられた(゚ロ゚;)
「この歌は『枕草子』によって規範のようにされた美意識に異を立てた作として」有名だし、そのことは
シンプルな歌だから誰でも理解できる^_^; が、久保田淳は、同「歌の」「客観的な分析」も試みる(@_@)
〈『枕草子』では、秋の夕暮れの趣を叙するのに、春の曙の場合と同じく、空や山などという、大きな
拡がりのある遠景をもってする。それに対して清輔は、[窪田空穂の]『完本評釈』のことばを借りれば
「眼前の景」「景としては、取り立てていうほどのものでなく、小景で、しめやかで、衰えた美ともいう
べきもの」によって、秋の朝の情趣を描き、そこから「秋は夕べとたれかいひけん」と、『枕草子』の
規定した美に異を唱えるのである。これは成功しているといえよう。〉(゚ロ゚;) 更に畳み掛けるように、
久保田淳は「今、焦点を絞ったといったが、この歌における作者の眼の働かせ方は、ズームレンズの手法
と似ていると思う。」として展開されていた「分析」には読んでて唸らされ、久保田淳に敬礼( ̄^ ̄)ゞ
その評価も「いってみれば、やはり詞続きが巧みなのである。考え抜かれた結果選ばれた詞続きなのか、
それともこの程度の表現は清輔ぐらいな歌人なればおのずから成るものか、おそらくおのずと成ったもの
であろうが、『完本評釈』にもいうように、簡潔で、心は深い。」とあり、久保田淳のこと見直した(^^)
というのは、久保田淳は藤原俊成のことを気持ち悪いくらいに依怙贔屓してて、ライヴァル(てゆーか、
実際には俊成なんか格下の存在でしかなかったらしい)藤原清輔をディスるのを他書で読んでたから^_^;
それゆえ、この叙述にヨリ感じ入った嫌いはあるけれど、大枚はたいて良かったと思えた一頁だった(^^)

午後からポツポツ降ってるけど、「なごみの米屋」の「ぴーなっつ最中」を食べられる幸せ(*^_^*)
タグ:古典 和歌
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