SSブログ

160626読んだ本

入院中の10日間、TVは有料ゆえ一度も視ず、ネットも15分100円で官報を一回チェックしただけなので、
帰宅した一昨日午後から普段チェックしてるニュース・サイトを遡って閲覧し、浦島太郎からの脱却に
努めてる^_^; そしたら今朝アホな記事発見(@_@) 昨日書いた「芸術新潮」について、「夕刊フジ」の
サイト「zakzak」24日付の「光浦靖子、まさかの限界露出 コスプレ写真界“神”とコラボで新境地?」
がソレ^_^; 「お笑いコンビ、オアシズの光浦靖子(45)が、25日発売の「芸術新潮」7月号(新潮社、
1550円)で、まさかの限界露出に挑戦していることが24日、分かった。光浦史上最高の限界ショットは
これまで見たこともない姿を写し出している。/同誌の巻頭カラーを飾る作品は、写真家のサイトウ
零央氏とのコラボ。」と同記事にはあるが、「同誌の巻頭カラー」って、なんじゃらほい? 同作品は
総頁数184頁の同誌の54~59頁に掲載されているのに(なお、48~53頁はシノヤマキシン撮り下ろしの
オカダ・カズチカのヌード)、どこが「巻頭」なのさ^_^; この記事を書いたライターは発売前の同誌
を入手できなかったのかもしらんが、その点を割り引いても、そもそも「芸術新潮」はほぼ全頁カラー
なので、この表現はおかしい^_^; おそらく「芸術新潮」を見たことが無くて、そこらの週刊誌の類い
と勘違いして「巻頭カラー」なんて表現を使ったんだろうね(..) 取材前に本屋や図書館で芸術新潮の
先月号とかバックナンバーぐらいチェックしないのかね^_^; もし産経の記者なら、情けないね(;_;)
なお、同サイトほか産経グループ各メディアで不定期連載している「産経新聞特別記者・清水満」は、
ずっと「拙稿」という言葉を勘違いして使っていた^_^; 例えば、「SANSPO.COM」での「レジェンドよ、
永遠に・・・・・・祝いを迎えた王さん、江川さん」と題した2015年5月20日付のコラムでは、「江川さんの現役
時代を番記者として過ごした拙稿としては、“1度、ユニホームを来てほしい”って、心から願う。
理論武装は、同年代ではピカイチなんですから・・・・・・。/それにしても、高校、大学時代からその姿を見て、
ピッチングのすごさも間近に感じていた江川さんが、もう還暦とは・・・・・・。拙稿のような老兵もそろそろ、
潮時ですかね・・・・・・。」といった風^_^; 一時期「zakzak」のコラム「SPORTS BAR」で毎回のように連発^_^;

【読んだ本】

宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)所蔵本

本書は先ず「方法論」ないし執筆の「動機」「思惑」を記した「序」が良いね(^^) 論点は色々あるが、
例えば、「たとえある逸話の内容が史実ではないとしても、そうした逸話があるということ、そして
また後世の人びとが、そうした逸話によってその人物を理解していたということは、これまた紛れも
ない史実である。史実かどうか分からないものが多いということを明確に認識した上で、古来伝えられ
ている逸話を中心に据えて評伝を試みたものが、もっと適当な数あってよさそうな気がするが、どうも
実際にはそうではない。」由。ここで、小生は土田直鎮を想起^_^; 正確に言えば、同『日本の歴史5
王朝の貴族』(中公文庫,2004改版)の「解説」において、倉本一宏が「『王朝の貴族』の問題点」の
見出しで論じた同書が「叙述に使用している史料の問題」を何度も熟読玩味していたからだけどね^_^;
本書「序」の言葉を借りると「厳密な史実[てゆーか、史料]というものにあまりにこだわりすぎる」
方向へとハンドルを切り続けた倉本一宏だけど、最近のは暴走しすぎて〈クラッシュ〉しちゃった^_^;
とまれ、本書の「序」に戻れば、「つまり、こういった[「本当とはとても思えない、ないし本当か
どうか分からない」]話は、かつての日本人の一種の基礎知識であったわけである。もしもこうした話
を切り捨ててばかりいたならば、やがてわれわれは、かつての日本人がそうした基礎知識を前提にして
書いたり語ったりしたことを、まったく理解できないことになるであろう。「史実」追究のかたわら、
たとえ荒唐無稽な逸話であろうとも、それを現代の人びとに、また後世の人びとに、何らかの形で伝え
るというのも、やはり必要なことなのではないだろうか。」由。なんて素敵なマニフェストだろう(^^)

門扉を開けようとしたら天から雛が落ちてきて猫や狸からの一時保護を開始も約2時間後に死亡(;_;)
コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0