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240417読んだ本

全集?あんなの飾りです!偉~い先生方にはそれがわからんのですよ!( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ ほにゃらら
文学全集で小説を今読んでるけど、大部で重いし三段組みで字が小さいから読んでて疲れる(-ω-、)

【読んだ本】

林屋辰三郎&梅棹忠夫&多田道太郎&加藤秀俊『日本人の知恵』(中公文庫,1973)所蔵本

    ・・・/全集・叢書の内容を書誌的に知るには、『全集叢書総覧』(出版ニュース社)
    が手ごろだが、文学関係の全集の収録作家や作品について詳細に知りたい場合には、
    『現代日本文学綜覧シリーズ』『世界文学綜覧シリーズ』(日本アソシエーツ[←
    「日外アソシエーツ」が正しい])がある。前者はたとえば『作品名かに引ける日本
    文学全集案内』『作家名から引ける日本文学全集案内』などを含んでおり、この種の
    ものとしては唯一の資料といえよう。ちなみに大正末期から現代まで、刊行された
    文学全集は日本のもので一〇〇余種、海外のもので一六〇余種、点数にして三一〇〇
    以上、個人全集に収録された日本作家は五二〇人、作品数は二四万点に達するという。
    /・・・

紀田順一郎『読書の整理学』(朝日文庫,1986)から引いたけど、本書は「全集」の項で、我が国は
書籍の年間発行総点数がソ連に次ぎイギリスと肩を並べるくらい多く、なかでも全集が「いろいろと
企画」され「相当の売れ行き」がある国は珍しいのではないかとして、次のように論じてる(@_@;)

    ・・・時代がすすむにつれて、われわれが収集しておくべき情報は、・・・
    ますます複雑多岐になってきた。そこで、厖大化の一途をたどる情報量を、
    適当に選択し整理しなければならぬ。そうして、少なくともこれだけは
    知っておくべきだという基礎知識を身につけておくことが必要だ。そういう
    時代の要望に応えるものとして出版されているのが、こんにちの全集なので
    ある。/つまり、全集というものの機能は、「あるものを全部そろえる」
    収集者[コレクター]から「少なくともこれだけはわきまえておく」ための
    選択者[セレクター]へと転化した。それは、・・・現代文化について
    偏らない展望を開くための窓口であり、基礎教養の習得という教育的効果を
    もつ。個人全集でも、この頃では「著作集」とか「選集」という形をとり、
    全著述を網羅するのではなくて、主要なものを抜き出すという選択が加え
    られているではないか。収集者[コレクター]から選択者[セレクター]へ
    の転化は、時代の進展にともなう必然の趨勢なのである。/・・・
    
「思想の科学」みたいだね(^_^;) 著作集、選集、作品集といった類は、単に、全集を出したくても
出せぬ出版社の大人の事情、あるいは出版社の販売戦略による面もあるかと(^_^;) 後者については
(岩波書店が島木赤彦の「全集の再刊」をした際に増補した第9巻の「分売を許さ」ないことを批判
した文脈での指摘だけど)「熱心な読者層の、その熱心さにつけこんで無用の支出を強うる[ママ]
商策・・・」(谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』[文藝春秋,2005])だったりする(^_^;)

    ・・・/このようなセットとしての全集出版は、なにも大正末年から始まった
    現象ではない。すでに桃山時代から江戸初期にかけて、当時の文化インテリが
    読むべき中国および日本の古典を何十冊か選んで出版してゆこうというこころみ
    があった。後陽成・後水尾両天皇の命による慶長・元和の勅版、それに対して
    家康がおこなった伏見版、駿河版の刊行がそれである。しかも同じ〝古典全集〟
    とはいっても、〝公家版〟と〝武家版〟とでは、選択された古典の内容に差異が
    あった。・・・/同じ頃、角倉素庵がスポンサーになり本阿弥光悦がデザインした
    嵯峨本というのがある。そのなかの謡曲百番などは、町人のための謡曲全集で、
    ・・・/江戸中期から後期にかけては、・・・広く庶民層に親しまれる出版物が
    多くなった。さまざまの草紙類、洒落本、黄表紙などがそれである。/そうした
    大量の書物出版の地盤は、日本人の読み書き能力の高さに求められる。・・・

古くは勅撰集=『古今和歌集』や私撰集=『和漢朗詠集』にも上述の「機能」があるのでは(@_@;)
本書が「江戸」時代ばかり取り上げるのは、日本文化論だからだろうね(@_@;) 本書の巻末にある
「『日本人の知恵』総論」で「日本の文化や思想を論じた戦後の論説には、自己批判的色彩のつよい
ものがずいぶんと多かった。」とした上で、次のように記している(@_@;)

    ・・・自己礼賛でも自己批判でもない。日本の存在するものをすべてよしとする
    「伝統主義」でもなければ、日本はダメで遅れているとする「近代主義」でもない。
    しいて主義という名をつけるなら、「土着主義」の立場とでもいおうか。/・・・
    土着主義の立場からみると、伝統主義あるいは近代主義の視点から日本の事物を
    ながめていたときとは違った意味と機能を見出すことができる。現に日本にある
    さまざまの事物には、それなりの存在理由があるはずだ。それを、われわれの
    生活大系のなかに組み入れて考えてみようという、いうなれば「肯定の論理」
    発見の努力であり、・・・/このシリーズを[昭和36=1961年に]新聞に連載中、
    否定面をまったく無視しているではないかという意見を聞かされたことがある。
    ・・・

青木保『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』(中公文庫,1999)は1964
年~1976年の日本文化論を「肯定的特殊性の認識」と時期区分、メタ日本文化論としては雑(@_@;)
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

シャア「函がない」
整備士「本の函なんて飾りです。えらい人にはわからんのですよ」
全集=CDアルバムのベスト版な位置付けなのかも。
by tai-yama (2024-04-17 23:18) 

middrinn

〈「著作集」とか「選集」という形〉が「ベスト版」かと(^_^;)
by middrinn (2024-04-18 05:41) 

df233285

ああなるほど。今の与党の支持率が「萬年低下」で「処置無し」と、
自分で言っているのは、東京五輪がコロナ蔓延で冴え無かった為だな。
by df233285 (2024-04-18 06:26) 

middrinn

小生にはイミフです(@_@;)
by middrinn (2024-04-18 14:52) 

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