元始、女性は太陽であったオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 今日泊亜蘭の『氷河0年』、昔「子供の科学」の
連載で(何故か)飛び飛びに読んでたので、何とか入手して通読・・・は止めた方が良いかな(^_^;)

【読んだ本】

久保田淳(校注・訳)『新編日本古典文学全集47 建礼門院右京大夫集 とはずがたり』(小学館,1999)

メチャ小さいことのように思われるかもしれないが、糸賀きみ江(全訳注)『建礼門院右京大夫集』
(講談社学術文庫,2009)の歌の現代語訳がチト気になる(@_@;) 詞書は現代語訳のみ引くm(__)m

      高倉院が御在位のころ、あれは承安四年などといった年でしたでしょうか。
      正月一日に、中宮さま[平清盛女の徳子で後の建礼門院]の御座所の方へ
      [高倉]天皇がおいであそばされた折のこと、天皇の、裾を長く引いた直衣
      のお姿、中宮さまの御正装なさったご様子などが立派なことはいつものこと
      とは申せ、まぶしいほど美しくお見えでいらしたのを、通路の方からお見うけ
      して、わたくしの心に思い浮かんだのは次のようなものでした。

    雲の上に かかる月日の ひかり見る 身の契りさへ うれしとぞ思ふ

     宮中にお仕えして 天上の日月[じつげつ]の光のような 天皇中宮さまの
     おそろいのお姿を拝見できる わが身のめぐり合わせまでが こんなにもうれしい

詞書からイメージされる状況が実際と異なる点は三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)
が指摘してるところだが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-03-17 )、
和歌では「月日」となってるのに、「日月」と順番が入れ替わってる訳はおかしくないかな(@_@;)
同書には全く説明が無いけど、本書所収の久保田淳(校注・訳)『建礼門院右京大夫集』は「かかる
月日の光」に付した頭注7で次のように指摘している(本書16頁)(@_@;)

    ・・・「月」は中宮、「日」は天皇の比喩で、・・・

しかし、詞書で天皇→中宮の順に叙述して和歌では「月日」となっているのだから、「月」は天皇、
「日」は中宮の比喩と解するのが自然かと(@_@;) 『建礼門院右京大夫集』に載ってる他の歌から
各勅撰集の入集歌、更には『万葉集』まで話が広がっちゃうんで、実は大きな論点だったり(@_@;)