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240224昨日買った本

やっと手に入れた本を読むのは愉しいなv( ̄∇ ̄)ヾ( ̄o ̄;)キャンセルしようとした本だよな?

【昨日買った本】

山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集32 栄花物語②』(小学館,1997)

「HMV&BOOKS online」で新品5123円を1500円クーポン&376pを使って3247円で18日に注文して
23日に「最寄りの」コンビニで受け取り送料無料に(^_^;) 五刷だけど、月報33(1996年12月)も
付いてたよヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 藤原道長を論じた山折哲雄「一身にして二世を経た男」、
曽根正人「『栄花物語』作者の仏教信仰」、後藤祥子「小一条院のこと」が掲載されている月報(^^)
本書本巻は『栄花物語』の巻第十一「つぼみ花」から巻第二十六「楚王のゆめ」が収録されてる(^^)
本書巻末の「付録」の一つの「栄花物語年表」(←目次としての機能も)を眺めてて目が留まって、
巻第十二の「たまのむらぎく」の「〔四〕隆家、眼を病み、大宰府赴任を望む」という見出しが付け
られている節を披いたんだけど、その冒頭の現代語訳を引く(^^)

    /これということもなく月日が過ぎていって、例の[藤原]隆家中納言は、
    このところ目をたいそうおわずらいになって、あれこれ手を尽して治療
    なさったのだが、やはり物を見ることがむずかしく、今では世間づきあい
    もなさらずに、情けない有様で籠居していらっしゃった。じつのところ、
    大殿[藤原道長]なども、常日ごろ御碁や双六のよきお相手とお思いになり、
    好ましいお方として応対申しておられるので、たいそう気がかりに、
    お気の毒なことと思っていらっしゃるのであった。・・・

本文の「碁、双六がたき」に付された頭注には「碁や双六のよい遊び相手。隆家と道長が親しかった
こと→巻八〔六〕」とあり、松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(二)』(角川
書店,1971)だと巻第八の「はつはな」の「四 伊周・隆家の有様」という見出しが付いた節のこと
を指していると思われるので、該当しそうな件を同書の訳で引く(^^)

    ・・・中納言[隆家]は大殿[道長]のもとへ常々参上なさり、また(中納言の)
    お見えなさらぬ時は、度々(呼び寄せて)そばに置かれては、憎からぬものに思い
    申し上げなさって、「この中納言は憎い心を持った人ではない。帥殿[=隆家の兄
    の藤原伊周]の余りに賢い心に引かれて策動したりするのだろう」などと思し召さ
    れた。/

さて、さて、さ~て!隆家が道長の「双六のよきお相手」ということで気になったことが二つ(^_^;)

第一に、『大鏡』では不穏な企てをしてるとの噂が流れた伊周が道長を訪ねて釈明した後に双六を
して「・・・帥殿は常に負け奉らせたまてぞ・・・」(石川徹[校注]『新潮日本古典集成 大鏡』
[新潮社,1989]⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-02 )とあるが、
隆家と道長の対戦成績はどうだったのだろう(^_^;) 隆家は双六でも強そうなイメージだけど(^_^;)

第二に、『今昔物語集』に「・・・/双六というものは元来口論がつきものであるから、二人が賽の
目について口争いをしているうちに、ついにけんかになった。・・・」(馬淵和夫&国東文麿&稲垣
泰一[校注・訳]『新編日本古典文学全集37 今昔物語集③』[小学館,2001]の訳)という説話
があり、源頼朝の密命を受けた梶原景時が上総広常を斬殺したのも双六でありがちな喧嘩を装っての
仕業に思えるのだけれど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-04-22 )、
隆家は双六をして道長と喧嘩にならなかったのかな(^_^;) 道長を矢で射たりし・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
タグ:歴史 古典
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

隆家も接待双六が上手だったのかも・・・
現代のサラリーマンと同じく、当時の貴族は接待双六の技術も
すごかったのかも(笑)。
by tai-yama (2024-02-24 19:26) 

middrinn

隆家はそーゆーことをするような性格・キャラではないかと(^_^;)
花山院と同じ目に遭うかもとビクビクしながら道長は双六を(^_^;)
by middrinn (2024-02-25 06:08) 

df233285

小右記で藤原隆家と雙六を関連付ける記載を、当方読んだ記憶が無い。
藤原道長は、サイコロを使うとみられる、ある種の賭博をしていた
ようだが、雙六するときサイコロを使っていたという、日記史料に当方
思い当たら無い。
藤原道長。雙六大会は、あんまり仕切ら無かったんじゃないんですか。
by df233285 (2024-02-25 06:19) 

middrinn

たしかに双六盤は用いることなく賽・采で遊ぶ「擲賽」
「擲采」「擲賽の戯」「擲賽の興」だったら『小右記』
『権記』『御堂関白記』に散見されますけどね(^_^;)
国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」
の『権記』の寛弘4年(1007年)8月19日条に〈十九日、
壬子。華山院に参る。「御悩、重し」と云々。右将軍、
参らる。権中納言・大蔵卿、双六す。〉とありますけど、
この「権中納言」とは藤原隆家で、花山院(半年後に
崩御)と「双六」をしてたら、面白いのですが(^_^;)
本書ではなく、『藤原行成「権記」』を買ってたなら、
倉本一宏が誰に比定したかすぐ判ったのですが(^_^;)
by middrinn (2024-02-25 15:32) 

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