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231027読んだ本

女子大って、こーゆー感じで騒がしかったよなぁと読んでいて大昔のことを思い出したよん(⌒~⌒)
第一戦を山本由伸でオリが取れなければ阪神が日本一という予想を見たが、去年のヤクルトとの日本
シリーズもほぼ全ての評論家が同様の予想をし山本由伸で初戦を落としたけどオリが日本一に(^_^;)

【読んだ本】

麻生磯次(訳注)『現代語訳対照 奥の細道 他四編』(旺文社文庫,1970)所蔵本
富山奏(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉文集』(新潮社,1978)所蔵本

麻生・前掲書から『鹿島紀行』の本文の最終段落(その後には句が並んでる)を訳も併せて引くが、
繰り返し符号は用いない(^_^;)

    ・・・/月のひかり、雨の音、ただあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべき
    ことの葉もなし。はるばると月みにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。かの
    何がしの女すら、郭公[ほととぎす]の歌得よまでかへりわづらひしも、我ためには
    よき荷担の人ならむかし。/

     ・・・/月の光がもれるかと思うと、また雨がはらはらと落ちて、しみじみと心を
     動かされる景色に胸がいっぱいになり、口に出すことばもない。こんな有様では、
     はるばるここまで月見に来た甲斐もないのが残念至極である。しかし清少納言でさえ、
     ほととぎすを聞きに行きながら、その歌をよむことができないで、帰るのに困った
     ということだが、今の私にとっては、よい仲間のように思われる。

「『枕草子』八十三段[ママ]に、加茂[ママ]の奥にほととぎすを聞きに行ったが、事に紛れて歌
をよむことができなかったという話がある。」という脚注や上記訳文は問題ないと思うけど、原文の
「歌得よまでかへりわづらひし」(=歌をよむことができないで、帰るのに困った)は疑問(@_@;)

本書の『鹿島詣』も、頭注で「清少納言が、賀茂の奥にほととぎすを聞きに出かけたが、他の事柄に
とりまぎれて、ほととぎすの歌を一首も詠むことができぬままに帰るのを気にした話が『枕草子』に
ある。」とし、次に引いた傍注の訳も正しいと思うんだけど、原文の当該部分は不審である(@_@;)

    ・・・え詠まで帰りわづらひしも、・・・

     詠むことができずに帰るのを気に病んだのも

「気にした」と「気に病んだ」は同義(心配するの意)にも取れるが、程度が違うと解しておくし、
また萩谷朴の清少納言理解によると「気にした」というのも考え難いけど、今回は論じない(@_@;)

「よむことができないで、帰るのに困った」や「詠むことができずに帰るのを気に病んだ」となると
清少納言が「困った」「気に病んだ」のは「帰る」前のことになるが、清少納言が「困った」「気に
病んだ」のは「帰」った後(に中宮定子からホトトギスの歌を詠むよう命じられたため)であって、
この原文を見る限りでは、松尾芭蕉は『枕草子』の当該章段を誤読しているのではないかと(@_@;)

『枕草子』の当該章段には、この論点に関連する件は三つあるけど、原文は省略して先ずは石田穣二
(訳注)『新版 枕草子 上巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1979)の訳を引く(⌒~⌒)ニヤニヤ

    ・・・([高階]明順)「こんな田舎では、場所柄こういう見物も一興でしょう」
    と言って、稲という物を取り出して来て、若い下女たちのこざっぱりしたのや、
    その辺の農家の娘などを連れて来て、五、六人で稲こきをさせたり、また見たこと
    もないくるくるまわる挽き臼を二人で引かせて歌を謡わせたりするのを、物珍しさに
    キャーキャー笑ったりするうちに、目的の、郭公の歌を詠もうとしたことなどどこか
    に忘れてしまいそうだ。・・・

「キャーキャー笑っ」てる清少納言や中宮定子の女房たちは、女子高生か女子大生のノリだな(^_^;)
この件から歌を詠めなくて「困った」「気に病んだ」様子など読み取れないのではないかと(@_@;)

    ・・・/(従者)「雨が降り出した」/というので、(私たちは)急いで車に乗るのだが、
    /女房「ところで、肝腎の歌は、ここでこそ詠まなくちゃね」/などというので、/
    清少「いいわよ。帰り道にでも(詠めるわ)」/なんていって、一同乗車した。/・・・

萩谷朴『枕草子解環 二』(同朋舎出版,1982)の訳を引いたが(石田・前掲書や上坂信男&神作光一
&湯本なぎさ&鈴木美弥[全訳注]『枕草子(上)』[講談社学術文庫,1999]は前者の発言の主を
清少納言とし、後者の発言は彼女以外の女房によるものと解する)、やはり詠むことを忘れていない
程度であって、歌を詠めなくて「困った」「気に病んだ」とまでは読み取れないだろう(@_@;)

    ・・・/中宮[定子]「ところで、どこなの? 歌は」/とお尋ねになるので、
    「かようかようの次第」と申し上げると、/中宮「情けないことねえ。殿上人
    たちが耳にしたら、どうして、しゃれた歌の一つもなくてはすませるの?(郭公
    の声を)聞いたその場で、即座に、詠むべきだったわね。あまり慎重ぶってた
    らしいのが、けしからぬことよ。ここでいいから詠みなさい。ほんとにだらしが
    ない」/などと、おっしゃるものだから、「もっともだ」と思うにつけても、
    実につらいことですよ……。/(和歌をどうするか)相談し合ったりするうちに、
    ・・・

萩谷・前掲書の訳だけど(解釈=原文の切り方が異なる上坂他・前掲書等は「・・・などおっしゃる
ので、お言葉の通りだと思うと、大変困ったことだなど[ママ]話し合っている時に、・・・」)、
御覧の通り、歌を詠まずに帰って来たために、今ここで詠めと中宮定子から命じられて初めて、清少
納言は「困った」「気に病んだ」わけであって、松尾芭蕉は『枕草子』を誤読しているかと(@_@;)

田中善信『芭蕉の学力』(新典社選書,2012)が疑問視しているのは芭蕉の「漢詩や漢文を読解する
能力」に関してだけど、実は日本の古典作品についての「読解する能力」も怪しかったりして(^_^;)
コメント(4) 
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コメント 4

df233285

6の10の24乗キログラムの地球の重さを常用対数で0として、
5.5(316228倍)程度の太陽から15000万キロメートル
のところに、6の10の24乗キログラムの地球を作ろうとして
も高速衝突銀座の星間物質の衝突の激しさで、その10分の1以下の
5の10の23乗キログラムの惑星を作るのがやっと。であって、
気圧は火星のように百分の1になる程度。無理に作ろうとすると、
破片が出来るのはあたり前で、100億年の寿命のある、太陽の如く
重型の恒星に、まともな月の無い惑星は、本来この条件では、
でき難いという、天体物理学的議論が仮に成熟したならば。
人工照明が普及したという背景もあり「月をありがたがる文学」は、
考古学の専門家にしか、理解出来無い時代がやがて、中期未来に
来るかもしれないと、私は疑う。
by df233285 (2023-10-28 10:53) 

middrinn

星野之宣『ムーン・ロスト』(講談社漫画文庫,2006)では小惑星の衝突を
避けようとしたら、結果として月が消滅しました((;゚Д゚)ヒィィィ! 月光と同じ
ように月の潮汐効果のことを詠んでいる詩歌もあるかもしれません(^_^;)
by middrinn (2023-10-28 15:32) 

tai-yama

「郭公」これって・・・・カッコウでは。
トホホギスと言ってみたり(笑)。
by tai-yama (2023-10-28 19:09) 

middrinn

トホホです(ノ_-;)トホホ… 「家集」は「歌集」の誤記では?と昔アップした直後
にコメされたけど、辞書をお引き下さいと返信コメしたら削除された(^_^;)
手元にある『大辞林』第一版第一刷の「郭公」の項にも、〈平安時代以来、
ホトトギスに「郭公」の字を当てることがある〉との説明があります(^_^;)
by middrinn (2023-10-28 20:12) 

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