大昔の話じゃが、流行っていたゲーム機が欲しくて、かなり揃ってた漫画のコレクション、例えば、
池沢さとし『サーキットの狼』、飯森広一『レース鳩0777』、矢口高雄『釣りキチ三平』、松本零士
『銀河鉄道999』、車田正美『リングにかけろ』、高橋よしひろ『悪たれ巨人』・・・等々を古本屋
に売り払った子供が居っての、大人になってから、それはそれは後悔したとか聞いとるぞよ(-ω-、)
学生の頃にも新谷かおる『エリア88』、飯森広一『60億のシラミ』『アイン』等を売ってたな(:_;)
先祖伝来の貴重な品が無いのは出来の悪~い子孫が金に困って売ってしまったからだったり(@_@;)

【読んだ本】

春名好重『上代能書伝』(木耳社,1972)所蔵本

本書の「藤原忠通 消息」の章にチト不思議に思う記述(春名好重『能書百話』[淡交社,1986]の
「三八 藤原忠通」にも同旨の記述)があった(@_@;)

    ・・・[父の忠実の日記]「殿暦」の天永元年(一一一〇)十月二十五日の条に、
    忠通(十四歳)が庚申待に詩や歌を作ったことが記されている。翌年秋から冬に
    かけては度々作文会を催したり、歌会を開いたことが見えている。権中納言藤原
    宗忠を感服させたといわれている。十一月十七日、忠通は白河法皇から「草子」
    を戴いた。忠通の詩集「法性寺殿御集」に「志学之時」(十五歳の時)白河法皇
    から「白氏文集」を戴いたことが見えている。「草子」は「白氏文集」らしい。
    忠通は詩を作ると白河法皇のお目にかけていたので、法皇は詩に長じていた忠通
    に「白氏文集」を下賜されたのである。・・・

言うまでもなく、「藤原忠通(一〇九七~一一六四)は関白忠実の子で、関白師通の孫であり、摂政
道長六世の孫である。」(前掲『能書百話』)から、摂関家の直系なのに、藤原道長が集めまくった
『白氏文集』は伝わってないのかね(@_@;) 河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』(岩波
新書,2014)も「道長が書籍の収集で力を入れていたのは、ほかならぬ『文選』と『白氏文集』で、
・・・」と記しているが、藤原道長は、寛弘7年(1010年)に摺本の『白氏文集』を一条天皇に献上
後も曽令文からの献上本 or その写本を所蔵してたと思われるが、その後も長和2年(1013年)には
摺本の『白氏文集』を贈られたにもかかわらず、長和4年(1015年)にリクエストして『白氏文集』
を入手したという謎も(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-26 )(^_^;)

・行成が「寛仁」なのに前年号の「長和」と書き間違えたのには理由があるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-03

・「権中納言で正二位の行成が(当時は身分の賤しい)経師の家へ行くことはできない」のか(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-18

・王羲之が王右軍と言われたから藤原敏行も藤右軍と言われたんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-28

・書道の神様とされている菅原道真は実は能書ではなかったと春名好重『上代能書伝』は断定(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-20

・藤原道長は、たられば能書であって、能書とは言えないのではないか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-21