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230430読んだ本

二次元の世界へ自由に出入りができる忍術だか魔法だかが出てくる漫画があったような(@_@;)

【読んだ本】

森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)所蔵本

本書の「四月二十八日 左甚五郎」の項を読んでいたら、次のエピソードが載ってた( ̄◇ ̄;)マジッ!?

    ・・・/甚五郎が関東へ下ったことがあったかどうかも定かでないのに、
    浅草寺の狩野元信の絵馬の夜な夜な出でて畑を荒すのを、彼が彫物の
    下絵の心を以て、綱を書いて繋ぎ止めたという逸話もある。これは
    『江戸砂子』に載っている。/日光廟の眠り猫や、その外甚五郎の作
    と称せられるものは方々にあるが、大方は疑わしいという。あまり有名
    でない人の逸話や事蹟が、有名な人に吸引されて行ってしまうように、
    神社や仏閣の彫刻物で、やや古雅なものは、みんな甚五郎に持って行って
    しまったのだ。/

元ネタは巨勢金岡かな(@_@;) 『今昔物語集』にもあったような気がするんだけど、一部の巻しか
持っていないために未確認だが、西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 下』
(新潮社,1983→2019新装版)の「紫宸殿賢聖障子並びに清涼殿等の障子の画の事」(の末尾部分)
と「仁和寺御室に金岡が画ける馬、近辺の田を食ふ事」の両説話が元ネタではないかと愚考(@_@;)

    ・・・昔、かの馬形[=馬の図]の障子を[巨勢]金岡が書きたりける、夜々はなれて
    萩の戸の萩をくひければ、勅定ありて、その馬つなぎたるていにかきなされたりける時、
    はなれずなりにけりと申し伝へ侍るは、まことなりける事にや。/

    /仁和寺の御室といふは、寛平法皇[ウダダ]の御在所なり。その御所に、金岡筆を
    ふるひて絵かける中に、ことに勝れたる馬形なん侍るなる[=があったという]。
    その馬、夜々はなれて[=夜ごとに絵から抜け出して]近辺の田[の稲]を食らひけり。
    なにもののすると知れる者なくて過ぎ侍りけるほどに、件の馬の足に土つきてぬれぬれと
    ある事、たびたびにおよびける時、人々あやしみて、この馬のしわざにやとて、
    [その馬の絵は]壁にかきたるに、馬の目をほりくじりてけり。それより眼なくなりて、
    田を食らふ事とどまりにけり。/

江戸時代には巨勢金岡は「あまり有名でない人」だったのかね(@_@;) 曲亭馬琴(作)小池藤五郎
(校訂)『南総里見八犬伝(八)』(岩波文庫,1990)に巨勢金岡の「無瞳子[ひとみなし]の虎」
なる画の話が出てきて、馬琴は巨勢金岡自身に「紫宸殿賢聖障子並びに清涼殿等の障子の画の事」の
説話を語らせてたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-18 )(@_@;)
wikiによると、『江戸砂子』というのは『南総里見八犬伝』よりも前に刊行されてるからか(@_@;)
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

"有名な人に吸引されて行ってしまうように、神社や仏閣の彫刻物で
やや古雅なものは、みんな甚五郎に持って行ってしまったのだ。"
あっ、と驚く「甚五郎(ためごろう)」と言ってみたり(笑)。
馬をつなぎとめることができた甚五郎としては「うまくいった」と。
by tai-yama (2023-04-30 22:25) 

middrinn

うーん(@_@;) 2連発ですが、厳正なる審査
の結果、残念ながら座布団には・・・(-ω-、)
ちなみに、ゲバゲバには左卜全も出演(^_^;)
by middrinn (2023-05-01 05:49) 

df233285

「2次元ってなに」と最初は思いましたが。 
左甚五郎は3次元彫刻家だが下絵描きでも著名とは勉強になりました。
by df233285 (2023-05-01 07:42) 

middrinn

絵画、写真、漫画等の平面という意です(^_^;)
おそらく伝左甚五郎作の彫刻の出来栄えからの
想像にすぎず、下絵は残ってないのかも(@_@;)
それだけ神格化されているんでしょうね(^_^;)
by middrinn (2023-05-01 15:58) 

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