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230219読んだ本

10にすべきか11にすべきか(@_@;) んにゃ、ノートPCより先にガラケーをスマホにすべきか(@_@;)
灰原薬『応天の門⑰』(新潮社BUNCH COMICS)発売予定キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!!
ぽムたんのコメントは正しかったm(__)m それにしても、3/9までに704pも貯められるかなぁ(@_@;)
考証がいい加減で金払いたくない( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 高子タンの水着姿が拝めるなら・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

・大学寮に関し朱雀門の「中」とか「紀元道」とか⑮巻はバカチン3個ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-24

【読んだ本】

呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』(講談社現代新書,2021)

「はじめに」が気になるも(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-10 )、
「第一章 伊豆の流人」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-01 )に
続いて、「第二章 鎌倉殿の誕生」を読んだ(^_^;) 目が留まったところのみメモ_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    第二章 鎌倉殿の誕生

     1 頼朝の敗走

      以仁王令旨の活用/相模国へ/石橋山合戦/

     2 鎌倉入り

      安房国へ/上総広常の臣従/千葉常胤の思惑/秩父平氏の降伏と鎌倉入り/

     3 富士川合戦

      甲斐源氏の挙兵と鉢田合戦/東国平家家人の壊滅/富士川合戦の実像/
      上洛断念は事実か/黄瀬川の対面/

     4 南関東軍事政権の樹立

      新恩給与と本領安堵/常陸進攻/鎌倉殿と御家人/

本書の良かった点や気になる点は前回の「第一章」の記事に記した通りなんだけど、付言するなら、
第二章でも近年の学説を紹介しながら論を進めているけど、ちゃんと誰の説なのかを明示してくれる
点は専門外に人間には有り難いわな(^^) 旗揚げ後の源頼朝の軍勢が一気に三倍以上になったのは、
伊東祐親と並ぶ伊豆の有力在庁の「工藤介」「狩野介」こと工藤茂光[もちみつ]が馳せ参じたから
とする(^^) しかし、「頼朝が伊豆を離れ、工藤茂光が[石橋山合戦で]死んだことで、頼朝挙兵時
における茂光の役割の大きさは忘れ去られた。かくして北条氏による貢献のみが後世に強調されるこ
とになった。」由(本書58頁)( ̄◇ ̄;) 野口実の研究に拠ると、上総広常が頼朝への臣従を逡巡
してたというのは誤りだし、千葉常胤も上総広常が頼朝方として決起(目代の平重国[明恵の父]を
討つなど上総国の平家方勢力の討滅)したのを見て参戦(下総国の目代への攻撃、更に京都と地方の
双方に基盤を持ち行き来する「留住貴族」藤原親政の打倒)を決意したとする( ̄◇ ̄;) 本書63頁の
「では上総広常が頼朝に従った理由は何か。『源平盛衰記』や延慶本『平家物語』は、広常と[平家
の侍大将]伊藤忠清に以前から確執があったと述べる。後世に成立した軍記類の逸話をどこまで信じ
て良いかという問題はあるが、前後の状況を考えれば、新たに上総の受領となった伊藤忠清の圧迫を
受けていた蓋然性は高い。後述する富士川合戦では、広常の庶兄である印東常茂が平家方についてい
ることから、忠清は常茂を支援することで広常を圧迫したと考えられる。これに広常が反発し、反平
家の挙兵に踏み切ったのだろう。」や本書66頁の「なお『吾妻鏡』は千葉常胤が単独で藤原親政を破
ったと記すが、『源平闘諍録』は上総広常が加勢したと述べている。後者の記述の方が事実だろう。」
など、軍記物を信用する点は気になる(@_@;) 一方、「しかしながら、頼朝が鎌倉を本拠地に選ん
だのは、父祖ゆかりの地であるからというだけではない。『吾妻鏡』は当時の鎌倉を辺鄙な村である
かのように説明するが、これは頼朝入部による発展を強調するための文飾と考えられる。」とする、
本書68頁の解説は興味深い(^^) 頼朝の鎌倉入りは石橋山での惨敗から僅か40余日しか経っておらず、
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中公文庫,1974)は「命からがら流れついた敗軍の将である頼朝に、
千葉介・上総介などの豪族が従ったということは大きなナゾであり、このナゾさえとければ幕府成立
の意味はただちに理解できる、とさえいわれているぐらいである。」と強調していた論点については
本書72~73頁は次のように説明していた(^^)

    ・・・/それにしても、石橋山合戦の惨敗からわずか二ヵ月で頼朝が南関東を制圧し、
    平家家人を一掃できたのはなぜだろうか。その背景には平家の南関東支配体制の脆弱性
    があった。/平治の乱後、源義朝の軍事基盤であった南関東から源氏の影響力を払拭
    するため、清盛は義朝と深い関係を有していた各国の最有力在庁を抑圧する方針を
    採用した。この傾向は治承三年の政変以降、より顕著になり、平家関係者や平家家人
    が最有力在庁の権益を奪うようになった。これにより相模の三浦氏、下総の千葉氏、
    上総の上総氏らは困窮し、平家への不満を募らせていった。/だが平家家人は一国内
    で圧倒的な実力を有していたわけではなく、平家家人と互角かそれ以上の武力を持つ
    最有力在庁を押さえつける体制には、元から無理があった。平時には清盛の権威を
    後ろ盾にした平家家人に屈従を余儀なくされていた在庁官人らは、内乱状況に乗じて
    一斉蜂起した。国衙機構を通じた軍事動員が進む前に国衙の統率者である目代を
    急襲する反乱軍の作戦によって、公権を発動できる平家家人の優位性は打ち消された。
    /個々の武力は必ずしも卓越していない平家家人側の強みは家人同士の連携であった。
    相模の大庭景親と伊豆の伊東祐親が共同作戦を展開した石橋山合戦は、その成功例で
    ある。しかし南関東全域で同時多発的に反平家闘争が発生すると、平家家人の連携
    では対応できなくなった。平家側はそこまで広域的な軍事指揮系統を整備していな
    かったからである。/東国の平家家人を統括する役割を担ったのは「東国の御後見」
    (『源平盛衰記』)と呼ばれた大庭景親だったが、明らかに力不足であった。・・・

これに対し、反平家の「結集核」となり得る頼朝を石橋山で討ち漏らしたのが「致命的な失策」で、
「追討軍の到着の遅れ」も東国の平家家人を見殺しにしたとする(本書74頁)(^^) あと、本章では
新恩給与と本領安堵の問題も重要だが、興味深いのは治承4年(1180年)12月12日に新しい大倉御所
に頼朝が転居する移徙[わたまし]の儀式(^^) 311人の御家人が2列に向かい合いながら着座して、
「移徙の儀は、誰が御家人で誰がそうでないかを確定する意味を有していた。」(本書87頁)とし、
本書88頁から引く(^^)

    ・・・/移徙の儀は、御家人たちから見れば頼朝を正式に主君として仰ぐ儀式であった。
    『吾妻鏡』は、この儀式以降、東国の武士たちは頼朝を「鎌倉の主」として推戴する
    ようになった、と記す。頼朝の地位は後に「鎌倉殿」と呼ばれるようになる。/既述の
    通り、頼朝の軍事占領下に置かれた南関東は、朝廷の支配から外れた独立国家の様相を
    呈していた。よって移徙の儀は、上横手雅敬氏の言葉を借りれば、「独立国家の国王の
    戴冠式」に等しい。/・・・

ナポレオンの戴冠式のようなドラマチックな出来事は無さそうだから、絵画にはならないかな(^_^;)
なお、安房で長狭常伴を迎え撃ったのは「三浦常澄」とあるけど(本書60頁)、三浦義澄の誤植(^^)
タグ:歴史
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df233285

さきほど、スペース問題の解決方法を考えたのですが。
①なるだけ安い費用で、中古スキャナーとwin7パソコン
お古ノートPC等を、導入する新pcとは全く別に、それより
先に買う。なお古pcを、中古スキャナーに加えて更に買う
のは、新品スキャナー単体が、中古スキャナー+中古PC
の値段より高価になるとみられる為。購入した中古win
7等pcには、昔のバージョンのアクロバットリーダーを、
スキャナ付属のcd等から、お古win7等PCには、
インストールできる場合が多いので入れておく。松下電器
のを、当方確か使用。
②数百円以下で購入した本でかつ、図書館にあるという本は、
新しいwin11等ディスクトップパソコンのスペースが
出来る程度に、スキャナとスキャナ動作用中古パソコンで、
内容をただちに電子化するという、実質的コピー作業をする。
PDFファイル形式で、部屋のスペースを空ける目的の、
やむなく廃棄書籍内容は保存。
③USBメモリーを2個位は買う。
④USBメモリーそれぞれに、「ごみ箱」という名称の
フォルダーを作成し、プロパティで

アイコンの形を「ごみ箱」模様を選んで、黄色四角から変更

しておく。著作権法の、法的トラブルに備えるため。
⑤スキャナーと、中古win7等パソコンと昔バージョンの
アクロバットリーダーで作成した、図書館有り安価書籍pdf
電子データを、USBメモリーの

ごみ箱という名称のフォルダーの下に、著作権法対応のために
必ず全部移動

する。その2個位のUSBメモリーは、廃品業者が来たら、

そのうち持って行かせるという名目の引き出しに、入れておく。

実際実務上は、何年か、ぐずぐずしていても良いと思われる。
⑥pdf化作業を終えた紙の書籍は、古紙類を捨てる日に廃棄。
⑦出来たスペースに、newのディスクトップwin11
パソコン等を、めでたく置く。タイピングの速度が落ちるので、
無理にダウンサイジングしない方が、良いのでは?
以下御説明:
コンテンツの廃棄作業が、各々の廃棄書籍につき1回から
2回になった位で、冷たい2018年版著作権法に、
middrinn様の従来よりの、

正義の「不良書籍、バカチン付け改善・改革運動」が
揶揄されてしまうというのも、有るとしたら全く不当

な話ではないかと、私は心の奥底より信じます。以上。
by df233285 (2023-02-19 19:28) 

tai-yama

安房に逃げた頼朝の反乱に平氏方は"泡食って"しまったのかも(笑)。
平将門も鎌倉に拠点を置いていたらあるいは・・・・
by tai-yama (2023-02-19 23:15) 

middrinn

中古でもスキャナーとか買う余裕ないですよ(^_^;)
お金に加えて労力と時間を必要としますよね(^_^;)
作業で読書とブログ執筆の時間が減りますし(^_^;)
作業中に処理すべき本をつい読み耽っちゃいそうで、
そうなると作業が遅々として進まない可能性(^_^;)
ゴミ屋敷脱却は喫緊の最優先課題になったので(+_+)
長さん様、費用対効果を考えると難しいですm(__)m
by middrinn (2023-02-20 06:20) 

middrinn

えらいこちゃ!えらいこちゃ!よいよいよいよい ♪と泡食って、
tai-yama様、平家方は阿波踊り・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;エライヤッチャ!
将門は鎌倉、小田原、江戸に比べると、北すぎな気が(^_^;)
たしかに鎌倉なら藤原秀郷の下野国から距離があるし(^_^;)
by middrinn (2023-02-20 07:03) 

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