230131読んだ本【バカチン】
本の方がネットよりも信用できると思い込んでいる人がネット上の誤情報を増やしてるかと(@_@;)
出版物に対する過信から書物に記された情報の真偽を確認せずにネットに発信し誤情報拡散(@_@;)
【読んだ本(バカチン)】
松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(三)』(角川書店,1972)所蔵本
・・・/地下人[じげにん]は、昇殿を聴されぬ人で、殿上人に対する語である。
もっとも公卿でも地下人で、昇殿しない者もあった。これを「地下の公卿」
「地下の上達部[かんだちめ]」といった。/・・・
石村貞吉(嵐義人校訂)『有職故実(上)』(講談社学術文庫,1987)は斯く簡潔に記すが、やはり
和田英松(所功校訂)『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983)からも関連記述を引いておく(^^)
・・・四位、五位はもちろん、公卿でも昇殿をゆるされるものと、ゆるされないものが
あったので、・・・
・・・昇殿は、御一代限りであるから、いつまでも継続することはできないので、
御代がわりにはさらに選定せられたのである。それゆえ、先朝の殿上人でも落選
することがあった。・・・
・・・昇殿は前にも述べたごとく勅許でなければすることができぬ。だから、
公卿でさえ昇殿せぬものがあって、それをば地下の公卿とも地下の上達部とも
いったのである。・・・
この「地下の上達部」の例として、和田英松が挙げているのがプレイボーイ源頼定(為平親王の子で
村上天皇の孫)に関する『大鏡』の叙述で、保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)による訳
を引く(@_@;)
・・・このご過失によって、源宰相[←一条先帝の寛弘6=1009年に源頼定は参議に]は、
三条院のご在位中は、昇殿もお許されにならず、地下の上達部でいらっしゃいましたが、
今上〔後一条天皇〕の御代になって、始めて昇殿を許され、検非違使の別当などになって、
お亡くなりになったのです。/・・・
「始めて」がミスリードな訳なのはさておき、源頼定の「ご過失」とは、三条天皇が皇太子だった頃
からその麗景殿尚侍綏子(藤原兼家女)と密通しており、妊娠までさせたことを指すヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
さて、さて、さ~て!三条天皇によって源頼定は昇殿を停められたという『大鏡』の上記叙述は事実
なのか気になってたので、松村博司の次の記述(返り点等は省略して引用)を見付けた時にはホッと
した(´・_・`)
・・・『小右記』によれば、長和五年[1016年]二月七日後一条天皇が大極殿に
おいて即位された当日、「今日右兵衛督(頼定)於八省被聴昇殿」とあるによれば、
三条天皇の在位中は昇殿をゆるされず、地下の上達部であったというのは事実であろうと、
村井康彦氏は『平安貴族の世界』(昭和四三年 徳間書店)において言われている。
おそらく綏子との密通事件に起因するものであろう。・・・
だが、念のため、藤原実資の日記『小右記』の同日条を、国際日本文化研究センター「摂関期古記録
データベース」で確認したところ、その訓読文は次の通り(ノ_-;)ハァ…
・・・今日、行幸に扈従する公卿、道綱・斉信〈妹の服なり。而るに着さず、供奉す。
摂政の気色に依るなり。世、以て許さず。〉・頼通、中納言俊賢・行成・懐平・教通
・頼宗・経房、参議通任、非参議三位二人〈右中将能信、右兵衛督憲定。〉。今日、
右兵衛督、八省に於いて昇殿を聴さる。/・・・
「昇殿を聴さ」れた「右兵衛督」は源頼定の兄の源憲定じゃねーかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
・出典として挙げてる文献に書かれていない人名を推測で書き加えるなヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-25
出版物に対する過信から書物に記された情報の真偽を確認せずにネットに発信し誤情報拡散(@_@;)
【読んだ本(バカチン)】
松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(三)』(角川書店,1972)所蔵本
・・・/地下人[じげにん]は、昇殿を聴されぬ人で、殿上人に対する語である。
もっとも公卿でも地下人で、昇殿しない者もあった。これを「地下の公卿」
「地下の上達部[かんだちめ]」といった。/・・・
石村貞吉(嵐義人校訂)『有職故実(上)』(講談社学術文庫,1987)は斯く簡潔に記すが、やはり
和田英松(所功校訂)『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983)からも関連記述を引いておく(^^)
・・・四位、五位はもちろん、公卿でも昇殿をゆるされるものと、ゆるされないものが
あったので、・・・
・・・昇殿は、御一代限りであるから、いつまでも継続することはできないので、
御代がわりにはさらに選定せられたのである。それゆえ、先朝の殿上人でも落選
することがあった。・・・
・・・昇殿は前にも述べたごとく勅許でなければすることができぬ。だから、
公卿でさえ昇殿せぬものがあって、それをば地下の公卿とも地下の上達部とも
いったのである。・・・
この「地下の上達部」の例として、和田英松が挙げているのがプレイボーイ源頼定(為平親王の子で
村上天皇の孫)に関する『大鏡』の叙述で、保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)による訳
を引く(@_@;)
・・・このご過失によって、源宰相[←一条先帝の寛弘6=1009年に源頼定は参議に]は、
三条院のご在位中は、昇殿もお許されにならず、地下の上達部でいらっしゃいましたが、
今上〔後一条天皇〕の御代になって、始めて昇殿を許され、検非違使の別当などになって、
お亡くなりになったのです。/・・・
「始めて」がミスリードな訳なのはさておき、源頼定の「ご過失」とは、三条天皇が皇太子だった頃
からその麗景殿尚侍綏子(藤原兼家女)と密通しており、妊娠までさせたことを指すヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
さて、さて、さ~て!三条天皇によって源頼定は昇殿を停められたという『大鏡』の上記叙述は事実
なのか気になってたので、松村博司の次の記述(返り点等は省略して引用)を見付けた時にはホッと
した(´・_・`)
・・・『小右記』によれば、長和五年[1016年]二月七日後一条天皇が大極殿に
おいて即位された当日、「今日右兵衛督(頼定)於八省被聴昇殿」とあるによれば、
三条天皇の在位中は昇殿をゆるされず、地下の上達部であったというのは事実であろうと、
村井康彦氏は『平安貴族の世界』(昭和四三年 徳間書店)において言われている。
おそらく綏子との密通事件に起因するものであろう。・・・
だが、念のため、藤原実資の日記『小右記』の同日条を、国際日本文化研究センター「摂関期古記録
データベース」で確認したところ、その訓読文は次の通り(ノ_-;)ハァ…
・・・今日、行幸に扈従する公卿、道綱・斉信〈妹の服なり。而るに着さず、供奉す。
摂政の気色に依るなり。世、以て許さず。〉・頼通、中納言俊賢・行成・懐平・教通
・頼宗・経房、参議通任、非参議三位二人〈右中将能信、右兵衛督憲定。〉。今日、
右兵衛督、八省に於いて昇殿を聴さる。/・・・
「昇殿を聴さ」れた「右兵衛督」は源頼定の兄の源憲定じゃねーかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
・出典として挙げてる文献に書かれていない人名を推測で書き加えるなヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
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「地下の上達部」ってなんかクーデターでも企んでいそうな
気もしたり(笑)。始めての昇殿は緊張したり・・・
by tai-yama (2023-01-31 23:20)
「誰でも使える」というのがネットですが、だからと言って「本の方がネットよりも信用できる」というのは違いますよね(^^;
by ナベちはる (2023-02-01 01:15)
源頼定は女性にモテモテの地下アイドル・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; たしかに、
tai-yama様、「地下」という字面と「上達部」とはミスマッチ(^_^;)
「地下の上達部」はクーデターを企めるほどの人数はいなさそう(^_^;)
あれだけ対立した道長でも三条天皇は昇殿を聴したみたいですし(^_^;)
by middrinn (2023-02-01 06:39)
出典として書名を記して自信満々に誤った記述をネットに引用してる人いまして、
本は出版社による原稿チェックを経て出版されるので誤りは少なくなるのに対し、
ナベちはる様、ネットはチェック無しで発信されてるからという論理かな(^_^;)
しかし、本を執筆、原稿をチェック、ネットに発信、同じ人間のすること(^_^;)
by middrinn (2023-02-01 07:13)
実態は三条天皇は源頼定の昇殿まで止め続けると、内裏が
火災になるので途中で許したっぽいという事でしょうかね。
それでも、のちには火事になったようですが・・・
by df233285 (2023-02-01 08:02)
地下人とされたことが内裏放火の動機になると( ̄◇ ̄;) 頼定
が「地下の上達部」だったのか小生には判らないです(@_@;)
中関白家から道長に乗り換え、顕光女と通じるなど謎(^_^;)
by middrinn (2023-02-01 09:25)